第49話 『弱肉強食』などという考えの矛盾と危険性

 最近、嫌な事件・事故が起こる。

 そうすると、必ず『自己責任』とか『弱肉強食』などという言葉が出てくる。

 まるで、それが世の中の全てのように語られるのだ。


 しかし、本当にそれでよいのだろうか?


 例えば『弱肉強食』という考えは「自然の摂理だから、弱い人間が殺されて当然」のように言われているが、どうだろう?

 そもそも、人間は自然の摂理に反している。(森林伐採や原発など)

 それを都合よく出すこと自体、私からすればおかしい。

 仮に、「いや、人も自然から発生したから自然の摂理」だとしても、自然界はそんなに単純ではない。

 かのダーウィン曰く

「自然界で生き残るのは弱者でも強者でもない。タイミングを逃さないものだけだ」

 (だったような気がする)

 確かにライオンやチーターに対して草食獣であるガゼルとかは格好の獲物としてテレビの自然番組に出てくる。

 でも、自然界において、ライオンやチーターが絶対王者かと言えば違う。

 実は彼ら、肉食獣は獲物を逃すことが多々ある。

 また、彼らの排せつ物や死体は目に見えないバクテリアが分解している。

 自然界は単純な三角形ではなく、絡み合った鎖のような構造をしている。

 それを自分の都合のいいように『弱肉強食』としたり顔でいうのは無知だと思う。


 かの『五輪の書』を書いた剣豪、宮本武蔵も「弱い奴が負けて当然」とは書いてない。

 むしろ、「ちゃんと自己分析をして戦略を立て戦えば勝てる」と書き残している(本当はもっと複雑だけど)

 仏教もまた、強者・弱者を区別して説法をしていない。


 私からすれば、『弱肉強食だから弱い奴が死んで当然』みたいなことを言うものは情報弱者ならぬ、思考弱者と言っていいだろう。


 その思考弱者たちが弱いものをより弱いところへ追い詰め、惨事を繰り返させる。

 私からすれば、「世の中を浴している」つもりで弱い者いじめをして楽しんでいる。

 思考弱者は反射的にものをいう。

 だから、自分の意見を頑なに信じている。

 そこにあるのは、都合のいい出来事と幸福の経験だけだ。

 他人の辛さや痛みなどなんとも思わない。

 むしろ、笑いのネタにする。


 そんな人間に私はなりたくない。

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