第45話 学校とは何ぞや

 最近、小学生ユーチューバー(一つ疑問なんだが、そもそも、YouTubeの規定では十三歳未満は使用不可では?)が「不登校は不幸じゃない」という趣旨の主張をして話題になった。


 色々な意見や見解が出ている。

 賞賛するものもあれば、いぶかしげにみるものもいる。

 まあ、一つ言えることは思春期にもなっていない子供が他人に対して「ロボット」とかおとしめることに対して世間も個々の集合体だから批判や誹謗中傷も受けることは容易に想像できたはずだ。


 もう一つ言えることは、学校の本当の意味とは勉強とかよりも世の中の理不尽さや不条理さを教えることではないか?

 

 例えば、私とあなた。

 姿かたちは違う。

 好みも違う。

 思考も違う。

 理解しがたいこともあるだろう。


 世間はそんな「理解しがたい」ことのオンパレードだ。

 だから、正論や正義が栄えた例は一度もないのだ。


 ところが、パソコンやインターネットの普及により世の中にある理不尽さや不条理さを経験し自らに落とし込む経験をする機会が減った。

 自ら考えず、スマフォやパソコンを見ればイエス・ノーが瞬時に出てくる。

 結果、独りよがりで無責任な正義が増えた(ように思う)。


 何より問題なのは、この話題をしている誰一人、少年ユーチューバーの未来に対して責任も予見もできないことだ。

 当たり前だが、人生に決まった法則などはない。

(たまぁにそういうのを売りにしている商売もあるけど)

 だから、その少年が本当に『革命家』になる可能性もないわけではない。

 同時に、『単なる中二病』という可能性もある。

 そして、どの分野でも成功する人は本当に一握りだ。

 では、ほかのものはどうなるのか?

 

 父親(そういや、母親はどうした?)は『子供を信じている』と言って全面支援しているが信じているのならなおのこと学校に行かせるべきだと思う。

 そして、たくさんの理不尽や不条理を経験させて本当の意味で自分で考えさせるように『環境を整える』のが親の務めのように思う。

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