第35話 価値と夢の話
奇妙な夢を見た。
部屋を出ると、そこは博物館になっていた。
展示しているものが面白い。
私が好きになったキャラクターや物語の
キャラクターそのものはないが、私が見れば、「あー、あのキャラクターだ」と分かる仕様だ。
私の為にあつらえたような部屋だ。
そこに見知らぬ人間が入ってきた。
それから、こう言った。
「君の夢はカラフルでいいね」
他にも何か言っていたような気がするが、彼(たしか、男性)は拳銃を取り出してこめかみに当て笑顔で引き金を引いた。
そこで目が覚めた。
『初夢』には大晦日に見た夢と正月に見た夢のどちらかを指すが、この夢は正月に見た。
そのあとも寝て、何本か見たのが印象的なのは上記の夢だ。
まあ、今年の正月三が日はあまりやることがないので柄にもなく夢の考察なんてしてみた。
考察じゃない。
そのあとの話だ。
多分、私はあの博物館の主になっただろう。
そこで考えた。
もしも、私よりも素晴らしい夢を持つものが来た時にどうなるのだろう?
前館長(自殺した彼)は自ら死ぬことで私に素晴らしい博物館を残してくれた。
では、私も同じように自らの死を選ばないといけないのだろうか?
そもそも、『価値』とは何だろう?
あの相模原市で起こった障碍者殺傷事件で犯人は平然と『障碍者に価値はない』と言い放って世間を騒然とさせた。
今現在の私は、彼ではないが障碍者とその周りの親たちに対して思うことはある。
ただ、一つだけ言えることがある。
『絶対的価値はない』ということ。
価値を正義とも置き換えてもいい。
これらは常に比較することで生まれるものだ。
善と悪。
障碍者と健常者。
多数派と少数派。
早い話が相手より優位に立てば(そう思い込めば)自分が正義の使徒になったような気になる。
ただし、「重度の障害で意思疎通ができない人間は価値がない」という価値観が絶対的とした場合。
意思疎通のできない身勝手に動く赤ちゃんや障害はないけど年老いて動けない老人も『価値がない』ということになる。
彼らからすれば彼らも『殺せ』ということになるのだろうか?
そう、『価値』や『常識』は常に揺れ動いている。
昨日の常識が今日には通じないかもしれないし、人によって価値観は正反対になる。
例えば、私の文章を「長いなぁ」と思う人もいれば「あ、こう言う考えの人もいるのか」と感心(なのかな?)してくれる人もいるかもしれない。
しかし、あの夢は何だったんだろう?
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