応援コメント

第2話 だから、障碍者は嫌われる」への応援コメント


  • 編集済

    障がい者は嫌われている、という主張の意味はもちろん、僕も何となくわかる気はします。ただし、ではそれが具体的・客観的にどういう内容を指し示すのか、少し曖昧だと思いました。

    たとえば、リスペクトに欠ける、無責任、権利の主張、言い訳。挙げられた特徴を満たす、いわゆる健常者がいても、決しておかしくなさそうです。ですから、もし障がい者だから、社会から嫌われているのだとすれば、これらは本質的な理由ではないと考えます。


    ところで、僕はクリスチャンなので、原罪に関心があります。人は生まれながらにして誰もが罪人だという考え方です。それを回復するための唯一の手段として完全な人となられた神、イエスキリストを聖書では定義しています。ちなみに、ここでいう救いとしての回復は、行いや結果とは一切、無関係です。

    この考え方からすると、障がい者は無垢で純真にはならないし、結果を出している健常者の強さは、義とはなりません。

    これ以上、聖書について語るとだいぶ本題からずれてしまうので、この辺で。

    色々、意見はあると思うのですが、僕はクリスチャンになってからロジックそれ自体よりも、その背景に憐れみや忍耐強さを感じるかどうかを大切にしています。ですから、正直なところ隅田さんのご意見に、あまり感銘は受けませんでした。

    障がいがある方が、懸命に頑張っている姿は、たしかに素晴らしいです。

    けれども、頑張れない人とご自身を区別すること。それによって頑張っているならば、そもそも他の人にどう思われるかを気にしないでいいよ、と声をかけたい。自分とよく見つめ合いながら、天にいます唯一正しい方に、いっそう近づく行いをできるだけ続けること。おそらく人間には、それしか道はないです。

    ちなみに僕は統合失調症に8年前から罹患しています。だから、いわゆる精神障がい者です。長い文章になりましたが、もしここまで読んでくださったなら大変ありがたい気持ちです。

    作者からの返信

    返答ありがとうございます。

    ただ、私は宗教や神様というものに対してかなり懐疑的な人間で「もしも、神様(イエス様)に会ったらどうする?」と言われたら議論&喧嘩ですね。

    でも、宗教ではないけど「善と悪は簡単に二分できない」というのは分かります。

    ただ、それをいいことに金銭を巻き上げる輩(障碍者など)に腹が立ちます。

  • 僕もPDDという発達障害を患っていますが、ここ最近は自分である程度は改善しないとダメになるという風に考えるようになりました。

    障害を楯にすると弱くなるだけでなく、信用も失うという事に気付いて「このままじゃ駄目だ」と自分に向かって一歩ずつ頑張れと言い聞かせています。

    作者からの返信

    私の言いたかったことをすべて書いてもらったようでうれしいです。
    自分からある程度(ここの見極めが本人も周囲も大事)改善しないと社会は信用もしません。

    そして、本人もどんどん弱くなる。

    ただ、あまり無理しないようにしてください。
    あくまでも、少しづつゆっくり丁寧に進んでいってください。

  • その通りだと思います。
    僕も障害だという事に甘えて生きています。
    ごめんなさい。

    作者からの返信

    自覚があれば、大丈夫です。
    自覚があれば、対策が練れると思います。

    だから、生きてください。