54、エドシルド訪問から一年後(その一)
俺達がグランダノン大陸北東部で動いていた間、リエンム神聖皇国とジャムヒドゥンの戦争は膠着状態になっていた。キュクロプスを戦線に投入したリエンム神聖皇国は国内治安に力を入れて、ジャムヒドゥンへの侵攻はしていない。ジャムヒドゥン側もキュクロプスによる敗退の痛手から立ち直っておらず、やはり戦端を開こうとはせずにいた。
ジャムヒドゥン四士族のうち、現グランドルダ、ガウェインのウルス族とホルサがドルダのダギ族のダメージが深く、対サロモン王国のためにリエンム神聖皇国との戦争から離れていたテムル族だけが無傷だった。
そのために、グランドルダ選考方法の変更をテムル族のドルダ、ヨセフスが再び主張し始めた。それも現時点での変更を強く求めたのだ。
”まともに戦えないとは言わぬが、中心戦力を担えない士族の族長が四士族をまとめられるはずがない”と、ヨセフスはガウェインにグランドルダの地位を譲れと要求した。
いくら戦力を多く失ったとは言え、ウルス族がそれを受け入れるはずもなく、現状の体制を変える必要を認めないダギ族とアザン族もテムル族の姿勢に反発した。
だが、テムル族のヨセフスは実力行使し、ガウェインからグランドルダの証……エリムの弓……を奪い取り、他の士族からの承認もなしにグランドルダを名乗る。
エリムの弓とは、ジャムヒドゥン創始者ケレムの妻、予言者エリムが持っていたとされる弓で、予言者が次代のグランドルダを指名する際、正統なグランドルダの証として手渡してきたものだ。
ヨセフスの暴挙にテムル族の他の士族は怒り、ここにおいて四士族で長年維持してきたジャムヒドゥンはついに分裂した。
ウルス族とダギ族は、二士族で国を作り、ウルス族ガウェインを国王とした国ブレヒドゥンを建国し、テムル族はジャムヒドゥンを継承、そしてアザン族はガイヒドゥンを建国した。
ブレヒドゥンとジャムヒドゥンの国力は拮抗していたが、ガイヒドゥンだけはやや劣り、最大版図復活を目論むジャムヒドゥンはガイヒドゥン併合を当初の目標として動いていた。
このようにジャムヒドゥンの分裂で優位に立ったはずのリエンム神聖皇国であったが、こちらにも分裂の危機が生じていた。キュクロプスを使ってジャムヒドゥン側へ侵攻を目論むどころではなくなっていたのである。
奴隷制度自体は維持したまま亜人や魔族を解放、そしてサロモン王国へ移住させたため、同じ人間種内で奴隷と奴隷以外の間で対立が生まれた。
破綻した農家などの税を収められなかった者が奴隷に落ち、一旦奴隷となると以前の亜人や魔族同様の悲惨な状況で暮らさねばならなくなる。そして、奴隷の地位から一般的な国民の地位には事実上戻れない。奴隷に落ちた者の中には地方の貴族だった者もいて、領地経営に失敗し税を一度でも納められないと奴隷に落ちるという状況は彼らを恐怖させた。
ここで奴隷制維持派と奴隷制反対派に分かれ、反対派は独立を望み、神聖皇国内の至る所で反乱を起こしている。地域の図式としては首都とその近郊が奴隷制維持派で、それ以外が奴隷制反対派である。
ケレブレアを頂点に頂く維持派には戦闘神官達とキュクロプスが居て、軍事力の面では負ける心配は無い。だが、地方から食料や富を吸い上げて体制を維持していたため、経済生活面での問題は深刻だった。
軍によって反乱地域を制圧しても、再び反乱を起こさないよう監視と治安維持のために人員をこれまでの倍は配置させなければならず、他の地域への制圧軍編成も徐々に苦しくなっていった。また、どのみち奴隷として働くしか無いならというモチベーションの低下で生産性が下がり、せっかく制圧しても維持派が必要とするほどには食料も富も得られずに居た。
奴隷制をやめれば事態は改善するだろうが、別の大きな問題が生じリエンム神聖皇国の維持に危機が生じるので奴隷制を廃止できない。
ケレブレア教の教義である。
ケレブレア教の教義とは、一言で言ってしまえば、特権階級に属する者達の既得権を維持するための……教義という名を借りた絶対不可侵の強制であった。
ケレブレア教体制はケレブレアの教えを伝え守らせる側と守らせられる側の二つに分かれる。そして守れない者は奴隷となり労働の提供によってその罪を贖わせるという教義が中心にある。
奴隷制の廃止とはケレブレア教の教義は間違っていたことを意味してしまう。
それは特権を享受してる者達の地位と権力の正当性を崩すことに繋がる。
そもそもケレブレア教の教義は唯一絶対の神ケレブレアの教えという形になっており、過ちなどあるはずがないことになっているから変更や削除などできない。つまりケレブレア教の教えを国体の根幹に置き奴隷制を必要としている以上奴隷制の廃止もありえない。
現在の教皇メルティヌスと枢機卿達は、今になって亜人と魔族の解放を後悔していた。だが、それはジャムヒドゥンへケレブレア教による支配を広め、権力の拡大を望んだことがそもそもの原因である。ジャムヒドゥンへの侵攻を始めなければ、建国当初のサロモン王国には全力で対処しただろうし勝ち得ただろう。また戦力の集中が可能だったため、亜人や魔族を解放してサロモン王国との戦争を回避しようとなど考えもしなかっただろう。
現在の苦境を生んだのは、教皇を中心とする既得権者達の欲と驕りによるものだ。
現状のままでも、教義を変更削除しても、リエンム神聖皇国は現体制の維持が困難になりつつある。
しかし龍王の打倒が目前にあると考え、それに集中してるケレブレアにとっては既にリエンム神聖皇国自体の価値は軽い。教皇等のジタバタしてる様子も嘲笑の対象でしかない。カリウスという人材を手に入れた以上、リエンム神聖皇国はやはり対龍王への人間の壁以上の価値はなく、ここに至っては人間の壁は国の形をとっていなくても構わないし、その数も多くなくていいのだ。
ジャムヒドゥンとリエンム神聖皇国は長い期間維持してきた体制を崩し始めていた。
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