第7章 渦中へ:祈りの呪文①

「いったい何なんだこの館は? あいつら軍隊かよ。俺たちを見張るためにいるんだろ? 浩司がこっちに来ればわかるって言った意味がよくわかったよ。何かたくらんでるのは一目瞭然いちもくりょうぜんだな。ジーグ、あんたは予想してたのか?」


 広めの客室に入ってドアを閉めた途端とたん、涼醒が険しい口調で言った。


「だいたいはな。20日前に降りた時も普段より人数はいたが、継承者は汐だけだった。浩司がここに来る前までは、何の計画もなかったろう。だが、今は違う」


 眉をひそめるジーグのあかの光が、事態の深刻さを物語る。


そろうことのまれである9人の継承者が、今この地に確実に存在する。彼らにとってのその意味は、イエルのリシールたちのとらえ方とはまるでことなる」


「…イエルでは、9人の継承者の出現は警告だ。自分たちが存在するのは何故なぜか、ラシャが存在するのは何故なぜか、世界におけるその役割を忘れた時に辿たどるのは破滅への道だと。俺が知ってるのはそのくらいさ」


「それだけで充分だ」


「こっちでは?」


「9人の力を合わせ、リシールにせられた使命と制約をはいす。そして、ラシャに代わり世界を支配する…といったところか。愚かなことよ。我々ラシャが存在するのは、世界を支配するためではなく守護するためだ。それがわからぬ者たちは、いずれついえる。自らの行いによってな」


 二人の話を聞きながら、キノは暖かな色合いで統一されている部屋を見まわした。


 ダイニングテーブルと数脚の椅子。アンティークなキャビネットに、座り心地の良いソファー。入って来た扉の正面にある大きな窓は整然とした室内を映し、その右側の壁にはもうひとつのドアがある。


「だけど、ラシャに降りなけりゃ継承者の覚醒かくせいは出来ないんだろ? 9人そろっちゃまずいんだったら…8人いる時点で、あんたたちが最後のひとりを拒否すれば済む話じゃないのか?」


「ラシャは、リシールが降りるのを止めることは出来ん。そんなことをすれば、我々の存在のことわりが崩れる」


「…見つかってないってことは、本人が気づいてないか身を隠してるんだよな。たとえ継承者として覚醒してなくても、探す気のリシールに近づかれなけりゃ、感知されずには済むだろうけど…」


「今、残る一人の居所を気に病んでも仕方なかろう。護りを彼らに渡しはせん。そして、浩司がほかの継承者達の言いなりになることはない。シキも私もそれは信じているが…ただひとつあんずるべきことがあった」


 涼醒が室内を見やる。


「もう、その心配はないさ」


「この状況で、護りが見つからないまま浩司とおまえたちを残して戻るなど…彼が降りられなくて幸いかもしれんな」


「どうしてそんなこと…? 浩司がどれだけ自分も来たかったか…」


 無言で話に耳を傾けていたキノが言った。ジーグがキノへと視線を向ける。


「希音、この地にいる間、私は継承者が力を使えばそれを感知し、いざとなれば精神に損傷を与えられる。浩司を除いてな」


「浩司を除いて?」


「彼は9の継承者、唯一ラシャの者に対抗する力を持ち、その者が誕生して24年以内の間に、新たな他の8人の継承者も必ず生まれる。9の継承者の出現は、頻繁にあることではない」


 キノを見つめるジーグのひとみが揺れる。


「ともかくも、おまえたちがどこへ行こうと継承者にその力で手は出させん。そして、館の中にいる限り、私はここにいる誰の意識をも即座に止めることが出来る。リシールに対してなら、接触は不要でな。だが、彼らに私を止める力はない」


「それが、あなたがいれば安全な理由?」


「そうだ。継承者の持つ相手の額に触れ意識を奪う力は、抵抗する力が強ければ効かんこともある。他の力もだ。だが、浩司に…9の継承者にかなう者はいない」


「じゃあ、何が心配だったの?」


「ここにいる護りの発動者は、浩司の知る者だと聞いている。おまえのところへ自ら行くことを望んだのもそのためだと」


「…護りを探すのは、希由香を守りたいから…。でも、あなたたちに協力してることに変わりはないじゃない。何を心配する必要があるの? ラシャとあんな約束までした浩司が信じられないとでも言うの?」


「さっきも言ったろう。浩司が自ら汐たちの思惑に乗ることはないと信じている」


「だったら…」


「言うことを聞かざるを得ん状況になるのを恐れていたのだ」


 その言葉の意味をしばし考えた後、キノの表情が強張る。


「希由香を…?」


「あの者をしちに取られた時、浩司が何を選び何を切り捨てるか…。汐一人ならそんな心配は無用だが、シキの危惧きぐした通り、他の継承者たちも来ている。彼らを一度に相手にすることはさすがに出来まい」


 ジーグのをじっと見つめていたキノが、奥のドアを見やる。


「希由香に会わせて」


「…眠ったままだぞ」


「それでも、会いたいの」


 ジーグがソファーから腰を上げる。


「ラシャに降りた浩司から事情を聞いた。その夜私がここへ降り、彼女の身体からだの時間を止めてある。あと10日間は、継承者の力でも意識を戻すことは出来ん」


「そんなことも出来るの? 何のために?」


「滅多にやらんことだが、そうする必要があったのだ。浩司の留守中に彼らが彼女の意識を戻したりせぬためと、汐の行った強引な誘導により喪失する危険性のあった発動当日の記憶を保護するためにな」


「…放っておいたら、あの日のことは忘れちゃうかもしれないの?」


「汐が自ら失敗したとも思えるが…当日の記憶に対してかなりの力を与えたらしい。干渉を受けた彼女の心が弱まり、それと認識すらしていない護りを発動した日の記憶など要らぬと判断すれば、いずれそうなる」


「だから私に…急いで思い出させる必要があったのね…」


「まわりの時が動く中で、長い間一人の時間を止めておくのはあまりよいことではない。30日間が限度であろう」


「護りの力を使わなくても、ラシャの力だけで世界を停止させることが出来るってのは本当なのか?」


 キノとジーグとともに歩きながら、涼醒がたずねる。


「期間はどうあれ、止めるにはラシャの者の力が9ほど必要だ。現在あるのは12…今の状況ならば、緊急時には停止可能なよう、少なくとも10の力は常にラシャにあらねばならん」


「もし、必要な場合には…9人の命と引き換えでも、あんたたちはためらいもなくやるんだろうな」


「そのための存在だ。我々にあるのは命ではなく力のみ。使い惜しみしていては地上の者を護ることなど出来ん」


「…あんたたちラシャがあるのは人間を守るため…か」


「そして、浩司の守ろうとする者がここにいる」


 ジーグはささやくようにそう言うと、続き部屋へのドアを静かに開いた。



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