第162話   姫の奪還①

「気配も、体臭すらも自由自在に消せるきみらでもね……」


 三男の背中には、その背丈に似合わぬ長剣が二本、背負われていた。それらの柄に、小さな両手をかけ、一気に引き抜く。


「狭い部屋でエモノ振り回されたら当たるんだよ!!」


 交差した長剣二本を、左右に大きく振り払って、剣先に触れたわずかな布の感触を頼りに、ファングは姿の見えない相手の位置を探り当てた。


「そこか!」


 片方の剣を思いっきり投げ、相手から布を剥ぎ取った。丸見えとなった相手は、覆いを取られたことに驚き、一瞬体が固まってしまった。その腹に思いっきり、ファングが投げた最後の剣が突き刺さる。ファングが持っていたのは、竜殺しの剣だった。


 城の倉庫に余っていた予備を、こっそり持って行ったのである。


 春の民が吐血しながら膝を着く、そのおぞましい光景は、最後の剣を投げる前にファングが宙に広げた瑠璃色のマントで覆い隠したため、床を汚した鮮血以外はヒメの目に触れなかった。


 それでも、狭い部屋に充満する血生臭さは消えないのだが。


 ヒメは蝋燭の灯りが生む大きな揺らぎに気付いて、グラジオラスに振り向いた。彼は蝋燭の乗った燭台を持ち上げていた。


「影も僕らの手がかりになっちゃうから、吹き消さないとね」


 グラジオラスが蝋燭を吹き消す音を最後に、部屋が一気に暗くなる。


 しかし小柄で身のこなしが竜の巣の民一素早いファングは、灯りが消えるより先に春の民から剣を一本引き抜き、残った人さらいの影を頼りに剣先を空中のマントにひっかけ、その感触を手がかりにもう三歩踏み込んで、マント越しに深々と刺し貫いていた。


「ヒメさん無事? ここ狭いから、早く部屋の外に行こう」


「気をつけて! まだもう一人、部屋の中にいるの!」


 部屋は暗いが、ヒメを回収しようとした二人組が扉を開けていたおかげで、出入り口から漏れる細い光の線だけが、ヒメとファングの足元を照らしていた。


(こんなに暗いと戦えないよ。早く外に出なきゃ)


 得体の知れないグラジオラスから、早く離れなければと焦った。


「私が扉を開けてくる」


「待てよ、一緒に動くぞ。扉の近くにヘンなのが待ち伏せてたら、ヒメさんがやられるよ」


「あ、そっか。じゃあ、一緒に」


 そこへ、普通に扉を引き開けて現れたのは、ガビィだった。


「あ、姫」


 ガビィは元気そうなヒメの様子に、だろうな、と言ったふうな顔をして、床に倒れている春の民を眺めた。


「俺が来なくてもよかったか?」


「私がやったんじゃないの。三男さんが助けてくれたんだ」


「そうか。とにかく脱出だ、急ぐぞ」


 ヒメは慌ててガビィに、部屋の中にまだグラジオラスが潜んでいることを告げた。ヒメとファングは警戒しながら、急いで部屋の外に出たが、グラジオラスが出てくる気配がない。


 襲ってくる気配も、なかった。


「そうだった、グラジオラスさんは世界がおかしくなっちゃう光景を、ただ眺めていたいだけなんだって。戦意は無いのかも」


 ヒメも彼に何かされたわけでもないし、いささか不気味ではあるが、グラジオラスのような人物は放っておきたく思う。


(でも、このままグラジオラスさんを放っておいたら、また暴動を起こすかもしれない)


 ヒメは迷った。彼は世界の終わりを眺めるためなら、時間も手間も惜しまずに舞台を作り上げてきた人物だ。たった一度の失敗で、あきらめてくれる保障はない。


(ここで彼の動きを止めたほうがいいのかな……でも私じゃ勝てる気がしないし……)


 ヒメの話を聞いたガビィは、部屋の戸口に立って、狭く光源の乏しい部屋の中を眺めた。


 ファングはてっきり、兄が部屋いっぱいに炎を吹いてくれるものだと思ったが、微動だにしない兄の様子に、違和感を覚えた。


「どうかしたの? 兄貴」


「……入っても、大丈夫そうだな」


 何をどう判断したのかわからないヒメは、明らかに味方ではないグラジオラスが潜んでいる部屋の中に、ガビィが入っていってしまい慌てた。


 春の民の亡骸に刺さっていた竜殺しの剣二本は、再びファングの手に収まっている。一方のガビィは、どういうわけだか丸腰だった。


 両手にはめたガントレットは、普通の鉄製で、身を守る盾にはなるかもしれないが、竜人を倒すことはできないだろう。


「僕に何か用事? 僕はお姫様には指一本触れてないよ。ただちょっとした暇つぶしに、お話ししてただけさ」


「その声、聞き覚えがあるな。俺のことを、変な曲と歌詞をつけて歌っていたやつだな」


「へえ? 僕の声を聞いただけで、そこまでわかるんだ。意外と音感があるんだね。楽器を嗜むようには見えないけど」


 グラジオラスが、姿を隠していた瑠璃色のマントをバサリと床に落とした。


 自ら姿を現した春の民の狡猾そうな笑みに、ガビィの宝石のような赤い瞳が細まる。


「きみたちはエメロ国のいろいろなことを熟知しているようだけど、それは僕らも同じことだよ。きみ、腕の傷がなかなか治らなかったそうだね。本来、竜人は驚異的な治癒力を持ってるから、四肢切断以外の切り傷なら、すぐに再生しちゃうんだよ。でもきみは、最近まで治らなかったんだってね」


 ガビィは、グラジオラスの装備を眺めた。彼はマントと一緒にポンチョも脱いでいた。現れたのは、ほっそりとしたしなやかな体。それを覆う薄衣は様々な色素に染められて、所々に肌が見えるスリットが入っている。


 そして垣間見える肌の全てに、古傷が横切っていた。鱗に覆われた竜人の肌は、めったなことでは傷つかない。戦いに明け暮れざるを得ない状況に身を置かない限り、このような体にはならないはずだ。


 ガビィの視線に気づき、グラジオラスが、口角を上げる。


「僕はきみたちが生まれるずっと前から、ここで、この世界で生きてるんだ。優しい子たちもいたけども、僕の出会いではそれは少なかった。何度裏切られ、何度殺されそうになったか知れないよ。僕を殺したってどうにもならないことに、みんな腹を立てていた」


 グラジオラスの顔から笑みが消えた。


「ねぇきみ、どうして、この部屋の戸口で炎を吹かなかったの? きみの火力ならば、この部屋を煤まみれにすることだってできたはずだよ」


「……」


「最近、きみが戦ってるとこを見たことがないよ。シグマにも稽古つけなくなったよね。どうしちゃったの? もしかして、弱くなってきてるの? 火ぃ吹けないくらいに?」


 ガビィは言い返さなかった。変わらぬ様子で仁王立ちしている。


「そうか、白銀の竜の心の一部であるきみが弱ってきてるって事は、白銀の竜は心を捨てようとしてるのかもね。心がなかったら、エメロ国の下に眠ってる黄金の竜のことも、気遣わなくて済むもんね」


 グラジオラスは、卵の襲撃が訪れた際に、ヒメの誘拐の作戦を実行に移そうとは思っていたが、それは年々激しくなる竜の様子を観察しての決断であり、竜がなぜ悪化しているのかは、わからなかった。


 それがようやく、合点がいった。


 心が、どんどん無くなっているのだ。思う存分暴れるためには、気がかりや優しさは不要であるから。


(どれほど弱ってるのかわからないけど、やっぱりガブリエル君と戦うのは避けたいなぁ。けれど、僕のお気に入りの竪琴をぐにゃぐにゃにしちゃったお礼もあるしなぁ……勝てるかな?)


 グラジオラスは、ベルトの内側に挟んでいた、異様に薄い紙のような刀を引き抜いた。透明感のある薄緑色の、幅広なリボンのような刀身が輝く。


 ガビィも、ガントレットに覆われた両拳を打ち鳴らし、顔と胸の前に構えた。


「グラジオラスと言ったか。変装屋の店主が、お前の存在に迷惑してるようだ。俺が勝ったら、二度とあの店には近づくなよ」


「へー? きみは同胞か戦士としかしゃべらないのかと思ってたけど、ナディアみたいなのともしゃべるんだね」


 グラジオラスも、片手にした薄い紙のような刀を、蛇のように意思を持つかのごとくひらめかせて、ガビィの接近を牽制した。薄く輝くその刀身が、多くの春の民の亡骸から剥がし取った鱗でできていることに、ガビィは気がついた。


 殺された仲間の怨念を背負い、この春の民は、生きてきたのかと。


(こいつの兄のグラスが、弟を化け物呼ばわりするわけだ)


 鱗は重なって刀身を短くしたり、また離れて刀身を長くした。伸縮自在の風変わりな武器を操り、グラジオラスが蛇のごとく舌舐めずりする。


「ナディアに雇われたの?」


「いいや、俺が勝手に動いている。あいつとケンカしたから、その詫びにな」


 未だ恋人と絶縁状態でいる友人に、少なからず責任を感じていたガビィ。そしていつかこの責任は、取らねばならないと思っていた。


「それと、俺の職場でよくも誘拐事件なんて起こしてくれたな。竜の巣の民おれたちの信頼に、深い傷がついたぞ。この借り、千倍にして返してやる。無傷で済むと思うなよ」


 ずいぶんと流暢に喋るようになったガビィに、グラジオラスがケラケラと笑った。


「いいよ、じゃあ勝負してあげるよ。言っとくけど僕はきみみたいな大きな体格のやつらも倒したことがあるんだ。対処法はわかってるよ」


 はなからそれを聞いていたヒメは、もうおろおろするしかなかった。


(ガビィさんが、炎を吹けなくなってるなんて、初耳だよ! どうしちゃったの!? 呼吸器官系の病気!? そんな状態で戦って大丈夫なのー!!?)


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