第155話 最後の、妥協案③
「なんだよその顔、傷つくなぁ。やっぱり俺のこと、そんなふうに思えないか?」
肩をすくめる三男に、ヒメは慌てた。でも、慌てたところで、気の利いた言葉は思い付かない。
「その……私は、今まで、あなたのことを身内というか、先輩というか、そんなふうに、思ってたって言いますか、えっと、いつも助けてくれるし、率先してみんなを引っ張ってくれてるし……私、あなたに目標を定めていたところもあったんだ」
「それって、俺に憧れてたってこと?」
「うん。それにね、王様に内緒で、剣の稽古をつけてくれたことも、すごく嬉しかったし、あなたがいてくれたから私は今、強くあれてるんだ。そういう意味では、あなたほど私を支えてくれた人はいないよ」
いざ口に出してみたら、ヒメは三男に、大変な恩義があると、改めて気付かされた。それはもう、今の自分を形作る根本的なところから、世話になっていた。そんな彼に反発するのは、道理に反するのではと迷った。
「うん……私、エメロの王様にお別れして、あなたと、竜の巣に戻るよ」
ヒメがエメロ国で好きに動けるのは、竜の巣の皆が支えているからだ。そんな皆との繋がりを絶ってまで、ヒメがエメロ国に肩入れすることは不可能である。
今いるこの立場は、仲間が用意してくれたもの。ヒメは自分一人で何一つ手に入れていなかったことを、初めて自覚した。
「竜の巣に戻って……それで、あなたと結婚する」
ヒメは道理や恩義を無視してまで、己を貫けなかった。仲間を傷つけるのは、つらくて……。
「うちの王様だって、きっとそう願ってるし、それがきっと竜の巣がまとまる一番平和な形なんだと思う。私も、そうしたほうがきっと、普通にいろんなことが回っていくと思う。誰も困らない、一番いいカタチだね、ごめんね三男さん、私、どうかしてたかも、アハハ」
竜の巣にいた頃のように、また自分を捻じ曲げ始めるヒメの姿を、三男は見上げていた。
自分だけ剣の稽古を付けてもらえず、陰で泣いていた頃のヒメと、同じ笑顔になっていた。
(これじゃあ俺も、親父と同じだな)
世間知らずなヒメを丸め込んで、竜の巣に閉じ込めようとするやり方は、悔しかったが竜の巣の王にそっくりだった。
「……ヒメさん、兄貴は?」
「え?」
「兄貴はどうなるの。ようやくあんたのことを、アテにし始めてきたのに。計画の途中でヒメさんが抜けたら、兄貴が困るかもよ?」
ヒメは混乱した。さっきまで三男は、ガビィやマデリン達を置き去りに、すぐに帰ってきてほしいようなことを言っていたのに、今度は計画の途中で抜けるのかと訊かれた。
「で、でも、三男さんは、私が竜の巣に帰ったほうが、正しいと思うんでしょ? 私もなんだか、そのほうが正しい形のように、思えてきたんだよ」
「置いてくの?」
「置いて、って……そんな気持ちで、帰るつもりじゃ……」
ヒメは悲しくなってきた。どうしていいのか、わからなくなってきた。
(私が帰っちゃったら、ガビィさんたちは私抜きで、いろいろ作戦を実行するのかな……するだろうな、仕事一筋な人だから)
ヒメはずっと、置いていかれまいと彼の背中を追いかけた。マデリンたちに追いつこうと、必死だった。
(私がいなくても……あとは、影武者の人がやってくれる、かな……)
諦めるために、いろんな言い訳を作ろうとする。
それでも、まぶたにはっきりと浮かぶのは、力強く前に進んでゆく、あの青年の横顔。ヒメがくじけて竜の巣に帰っても、彼は前に進み続けるだろう。
どうしてそんなことができるんだろうか。ヒメはその答えを、すでに知っていた。
(ガビィさんは、うちの王様に逆らってまで、エメロ国と竜の巣を結ぼうと頑張ってるから)
彼は長年、竜の巣の皆のために、エメロ国との橋渡し役を買って出ている。その証拠に、異国の出身者でありながら苦労してエメロ国に友人や知り合いをたくさん増やした。
その顔の覆いを外し、皆の前で堂々と、自らの出生と、その出立ちを曝け出したのは――彼もまた竜の巣の仲間たちのために動いているからだ。
中身の無いハッタリだけでは、ここまで強固に活動し続けることはできない……ヒメはそう確信した。彼の生き様、その後ろ姿そのものが、彼の潔白を証明する証拠となると。
(ガビィさんが、嘘ついてるわけ無い!! 必ず、みんなを助ける方法を持ってる!)
単なる希望が、確信に変わった時、姫は顔を上げ、三男に思いっきり頭を下げた。
「ごめん! 何度も意見変わっちゃって。やっぱり私、帰れない! ガビィさんと一緒に、エメロ国も、竜の巣も、どっちも良い方向に向かわせたい。それが正しいと、思うんだ、そして私も、それで一番納得できる」
「全部が兄貴のハッタリだったらどうするの? 本当は何の案もなくて、ただのデマカセで時間稼ぎばっかりしてるヤツだったら、どうするの?」
「あなたも本当はわかってるはず。ガビィさんがそんなことをする性格じゃないってこと。あの人はハッタリに任せて生きるような、軽い人じゃない。嘘もつけないし、いろいろ不器用で残念な人なんだよ。残念なくらい真面目で、仲間思いで、家族想いなんだよ」
ガビィの大事にしたいモノの中には、あの竜の巣の王すら入っているのだから。ガビィの諦めない心と粘り強さには、感服するヒメである。
「確かに、ガビィさんが一番肝心なことを私たちに教えてくれないのは、不安になるよね。でもきっと、それにも理由があると、私は思うんだ。まだ言えない、まだ秘密にしておきたい、でも絶対に、みんなのためになることを、ガビィさんは時を見て実行しようとしているんだ」
ヒメは白いレースで覆われた胸に、両手を当てた。
「私はもう、迷わない。だって、あなたのお兄さんは、人を騙したり、見栄を張ってかっこつけるようなこと、できない人だって知ってるから。よーく知ってるから!」
三男は、こうなるだろうことは薄々わかっていたから、悔しさがあきらめに変わるのに時間はかからなかった。
「ヒメさん、兄貴の話を信じるんだね。じゃあ最後まで二人でやりきって見せてよ。親父や俺たちを裏切ってまで決めたことだろ? 間違っているのは俺たちで、正しいのは兄貴だと、ヒメさんが証明するんだ」
「三男さん」
「言っとくけど、一度兄貴を信じ抜く道を選んだら、もう後には引けないよ。俺ももう親父から庇ってやんない」
「……うん、覚悟してる」
「今日はヒメさんの意思を、確認したかったんだ。そしてこれが、最終通告。ヒメさんは巣には戻らないんだね。じゃあ、がんばれよ」
エメロ国に手を貸すことを、ずっとよく思っていなかったであろう三男から応援されて、ヒメはもじもじと絨毯を眺めた。晴れやかな顔は、できなかった。たった今自分は、竜の巣の皆よりも、ガビィに加担すると明言してしまったから。
「うん。ありがとう、三男さん……」
今まで両者の均衡を保つことを考えてきたヒメにとって、こんな無茶苦茶を貫くなんて、一度もしたことなかった。後味は、風邪を引いて何かを吐いた後みたいに、すごく悪い。
「俺にはまだ、大事な仕事が残ってるから。ヒメさんはヒメさんらしく、しっかりやるんだよ」
「仕事? そうなんだ。気をつけてね。何かあったら、私にも手伝わせて」
「あー、俺一人でやらなきゃいけないことだから、ヒメさんは気にしなくていいよ。それと、たぶん俺がこの城で何かやるのは、今日で最後だからさ、仕事が終わったら、俺は巣に帰るわ」
いきなり言われて、ヒメはびっくりした。
「こんな忙しい時に、竜の巣に帰っちゃうの? お願い! 卵の襲撃が終わるまで、この国にいてほしいの!」
お願いお願い、と不安がって頼むヒメに、三男が呆れた。
「あのなぁヒメさん、今、竜の巣には親父も俺たち三兄弟も、いないわけだよ。誰かが巣に戻って、指揮をとらなくちゃ」
「リーダーがしばらくいなくても、みんなはしっかりしてるから、ちゃんと留守番できると思うよ」
それがヒメの知っている、竜の巣の仲間だった。
三男が呆れて、肩をすくめる。
「ヒメさんは、隣国の竜がエメロ国にしか卵を落とさないと思ってるだろ? 違うんだよ、今回は、特に……。今度の竜は、本気なんだ。俺にはわかる。竜の巣も例外じゃなく、竜の攻撃対象に入ってるんだ。いや、入ってない地域なんてもうないよ。何もかも、全部、竜は滅ぼすつもりなんだ。黄金の竜が愛したもの全部、壊すつもりなんだ」
ヒメは青空色の目をぱちくりする。
「そんな、なんでそんなことを……。隣国の竜が世界を壊すために、手当たり次第に卵を生みまくってるってことなの? なんの恨みがあって、そんなことするんだろう」
ヒメはあの絵本だけでは、白銀の子竜の気持ちが読み取れないでいた。黄金の竜に置いていかれて寂しかったのは理解できるが、なぜ、黄金の竜が悲しむようなことを、するのだろうかと小首を傾げる。
何もわからない。そして誰からも教わっていなかった。教える者も、いなかった。
これからもヒメに真実を教えないままに、竜の巣の王は、ヒメを手に入れようとしていたから。
(俺たちは、ヒメさんに山ほど隠し事をしてる。兄貴だってそうだ……。それを全部知ったとき、ヒメさんは、変わらず兄貴を支えていくのかな)
疑問に思ったところで、どうせヒメのことだからと、すぐに答えが出る、それが三男には悔しかった。ヒメは竜の巣の皆を嫌いにならない、きっと次男の王子のことも、受け入れるに違いないと思った。
「それじゃな〜」
「うん。ガビィさんの作戦が、何もかも上手くいったら、私も竜の巣に帰るね」
ヒメはそう言うが、三男は、彼女が帰ってくる事はないだろうと思った。彼女が一番やりがいを感じて、輝いているのは、この場所だから。
寝台を足場に、天井板に指をひっかけ、小柄な竜人はするりと姿を消した。
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