第152話   避難勧告とエメロ国

 今日と明日、卵の襲撃に備えて、マリーベル姫の誕生日会とその準備が中止、さらに避難勧告も発令された。


 だが、城下町の若者の多くは、ちっとも深刻に捉えていなかった。子供の頃は恐れていた卵の襲撃も、竜殺しの騎士団のシグマのおかげで、建物が少し壊される程度。


 去年など、けが人が一人も出なかったという快挙を成し遂げた英雄の存在が、多くの人々に安心感と慢心を生み出してしまっていた。


 襲撃なんて家にこもっていれば、やりすごせる……そのように楽観的に捉える者もいる一方で、エメロ国の壁の中に避難しようと、荷物をまとめている人たちもいた。


 このエメロ国をぐるりと囲む、白い鉱石の壁の内側には、職人が丁寧に掘り抜いて造った広い空間があり、一時的に大勢の人が避難できるようになっている。


「座れる場所があってよかった。ここにいれば安心だね、ジェニー」


「そうねぇ、ダーリン。荷物、持ってくれてありがと!」


「なーに、お安いご用さ。こんなの片手でも楽勝だよ」


 若い男性と、お腹の大きな女性が、肩を寄せ合って座っていた。他にも避難してきた人たちが、どんどんと部屋に入ってくる。申し訳程度に作られた小さな窓から、外側の人と話し込んでいる人もいる。


「念のために避難してきたけども、今回もきっと、我が国の騎士団が勝利するに決まってるよ。あの白銀のつるぎは、その辺の硬いものに当てただけで折れてしまうような柔らかさだけど、不思議なことに卵の使者相手だったら、刃こぼれなしでバッサバッサと切り捨てることができる、特別な剣だ。今回もすぐに勝負がつくさ」


「でも怖いわ、ダーリン……」


「ハハハ、怖がりだなぁ。いざとなったら、僕が守ってあげるから平気さ」


 カップルはさらに密着し、周囲の人々から若干の白い目を向けられていた。


 鍛え抜かれた騎士団でも敵わない相手を、この若い男性が、妊婦を庇いながら成敗できるとは到底思えない、という大人げないツッコミは、皆、心の中だけで納めたのだった。



「あぁ残念だわ〜、姫様のお誕生日会にかこつけて、未来の旦那様を探すつもりでいたのにぃ」


 壁にかけて毎日眺めていたドレスを見上げて、若い女性がため息をついていた。部屋には、買ったばかりの様々な装飾品が、雑多に置かれている。


「お誕生日会のために、新しいドレスも買ったのに。ちょっと奮発して高い宝石も買ってみたのに。髪だって上手にくるくる巻けるように練習したのに、あぁ〜! ツイてないなぁ! 来年に期待かなぁ」


 下の階から、両親が支度したくを急ぐようにと大声を張り上げている。だが、王族の誕生日会という、年に数回しか無礼講を許されない祝日を潰された乙女の不満は、自分の身の安全すらどうでもよくなってしまうほどの不貞腐れへと変換されていた。


 避難する準備なんて、ぜーんぜんできてない。


 エメロの、比較的若い人々は、シグマという英雄がいてくれるお陰で、さほど怖がっていなかった。避難先を探すよりも、家にこもる派が多数を占めていた。



 だが、お年寄りたちは不安そうに眉根を寄せて、空や天井を見上げている。


 まだシグマが産まれていなかった頃、白銀の剣は、確かに騎士たちの戦いを有利に運んでくれたが、それでも卵の使者が長い腕をめちゃくちゃに振り回して襲ってくる攻撃を避けきれず、まともに喰らっては吹き飛んでいた。


 いくら白銀の鎧が戦士を生傷から守ってくれると知っていても、崩される建物の音、吹き飛ばされてき込み、なかなか立ち上がれない戦士たちの姿を、何十年と目の当たりにしてきた世代は、心に染み付いた恐怖が相当なものになっていた。


 何より歯痒いのは、特別な武器を持つ竜殺しの騎士団しか、使者たちに勝てないという事実だった。一般人がいくら武装して戦っても、いたずらに卵の使者の注意を引いてしまうばかりで、かえって危険な状況となる。


 竜殺しの騎士団以外、全く対抗できる手段がない。そして竜殺しの剣を扱える人数は、けっして多くないのである。


 もしも騎士団が、遠くの敵を相手にしてしまい、誰もこちらに来てくれなかったら、住民たちは逃げ惑うしかない。若い人なら走って逃げれるだろうが、杖がないと歩けないお年寄り等は、心細いことこの上なかった。


 見上げる空は、風を鳴らし、不穏な気配を地上にばらまく。この先も大丈夫か、不安で心配で、仕方がなくない気持ちを掻き立てる。


 また一組、老夫婦が壁の中へと避難するために、城下町の石畳みを歩いていた。


「今度の襲撃も、怪我人が出なければいいですね、お爺さん」


「そうだなぁ。シグマ様が現れてから、怪我人が一人も出ないというのは、誇らしく頼もしい限りだが、毎度、彼一人でこの広い国を、守りきるのは難しいだろう」


 老夫婦は、白い鉱石でできた壁を見上げた。白内障が進行してから、妻はずっと寄り添って歩いてくれた。否、以前からずっと、共に人生を歩んでくれた。


「この壁の中が、私たちの最後の砦だ。どうか我々を守って欲しい」


「伝承によりますとね、この白い石は、隣国にいるスノーベイデルの竜が、落としたそうですよ。しかし、これから来る卵も、あの竜が産み落としたものです。そう考えると、奇妙なものですね」



「離せやあああ! 俺は酒を買いに行くんだあああ!」


 今朝から大騒ぎしているのは、あの家具屋兼、文具店の一家だった。


「お父ちゃん! いいかげんにしとくれよ! 今日と明日は家でおとなしくしてなきゃだめなんだってば! それに今日は、酒屋さんだって閉まってるよ」


「家にこもってるやつぁ臆病もんの証拠だ、この腰抜けどもめ! 俺はちっとも怖かねーぞ! 全部シグマに任せとけばいいんだからな! 俺たちゃいつも通りに生活してりゃいいんだよ!」


 肩を掴んでくる娘の手を振り払い、男は窓を開け放って叫んだ。


「おーい竜! 俺はなぁお前なんかちっとも怖かねえんだぞ! 悔しかったら直接俺のもとへ来いってんだ、バカやろー!」


「お父ちゃんやめとくれよ! そんな大声で、下品な言葉吐いて。ご近所さんが白けるだろ!?」


 ご近所とのいざこざが、絶えない店だった。酒癖の悪い夫を残して、出ていった母。置いていかれた娘は、どうにも父を放っておけずに、ずるずると一緒に暮らしていた。


 こんな家でも構わないと婿に来てくれたのは、この店の常連客の男性だった。酔っ払いだが目利きの父を、慕ってくれていた。


 そんな若い夫婦が、ついに愛想を尽かせる日が来てしまった。


「おーい、なんだよ、その荷物は。どこ行くんだよ」


「決まってんだろ。あたしたちだけで、壁に避難しに行くんだよ」


「なーに寝ぼけたこと言ってんだ! こういうのはなぁ、変に怖がるから余計に怖く感じるんだよ」


「もう勝手に言ってな! 行くよ、お前さん」


 娘は婿と一緒に、荷物を背負い、店を出て行ってしまった。窓からそれを見ていた男は、まさか自分が本当に置いていかれるとは思っていなくて、おーいおーいと、大声を上げて呼び戻そうとしたが、振り向きもしない二人に腹を立て、窓からひとしきり罵声を吐き散らかした後、小さな荷物をいそいそと背負い、小走りで二人を追いかけたのだった。



 ナターシャからの伝言は、王子の口からエメロ王に伝えられ、病床のエメロ王から正式に、姫の誕生日会を中止とする旨が告げられた。安全な場所へ避難するようにとも。


 今日と明日は家の中で待機か、壁の中へ避難しているようにとの命令が、各地に触れ回ったのだった。がっかりしている者たちの声が王室まで届いたが、竜の卵に勝るものはない……はずなのだが、なぜだろうか、未だ姫の誕生日会を実行に移そうとする者が、何人も出ているという。広場の櫓前に集まっているのだそうだ。


 解散させるように、リアンは兵士たちに指示を出した。


「ふむ、娯楽を愛する気持ちは万国共通ゆえ致し方なし、だが、このような緊急事態の折りは、案外、恐怖政治を行っている国の方が、国民の統率が取れるのかもな」


 グラスが城の窓から、城下町を眺めている。


 特に用もないのに、執務室に入り浸るグラスに、マデリンが不機嫌顔だった。


「王子が、そんな国をお作りになるわけないでしょう」


「だろうな。だからここは、居心地が良い」


 国のことではなく、この執務室のことを言っているようだ。


 リアンの休憩時に提供される、大麦ザクザククッキーとハーブティー目当てでここにいるグラスに、リアンは吹き出しつつも苦笑していた。


 高身長で美声麗しい、貫禄のある青年という見た目に反して、子供っぽくて欲に忠実なグラスに、どこか微笑ましいものを感じていた。


 三人でテーブルを囲み、休憩を取る。グラスから聞ける話は、異国情緒に富み、今日は異国の王族の誕生日会について話してくれた。当日に喉の不調をきたしてしまった歌手に代わって、グラスが代役を務めた話が面白かった。


「ナターシャや竜の巣の民がいなかったら、今頃もっと大変なことになっていたよ」


 リアンは休憩時にまで、片手に書類を持って読んでいた。卵の観測隊が測定した速度は、類を見ない数値を出している。このままの速度だと、明日の昼頃、二十個もの卵がエメロの上空に到着する。


「姉さんの誕生日を、華やかで楽しいものにしようとして、たくさんの人を集めようと考えていた。明日がエメロ国の歴史上、記録的な災害に見舞われるところだったよ。今年は寂しい誕生日になるけど、やむを得ないな」


「マリーベルも特別楽しみにしていたわけではありませんし、王子が気にする必要はありませんわ」


「そう言ってもらえると、気持ちが楽になるよ。姉さんもきっと、僕にそう言ってくれると思う」


 何もかも独りで抱え込んでいた頃よりも、今の方が、ずっと気持ちが楽になっていた。


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