第143話   我が弟フローリアン王子

 木材を屋台へと変身させる軽快な金槌かなづちの音が、今朝も広場に鳴り響く。本も読めぬほど大きな音だが、美味い酒に馳走が待つ、楽しい祭りのためならば、耐えてしまえる世の不思議。


 子供たちは目を見開いて、どんどん高くなってゆくやぐらを指差し、それを形作る大工に羨望の眼差しを向けていた。


 本日も着々と進んでゆく、エメローディア姫の誕生日会の準備。


 静かに昂ってゆく娯楽への楽しみを、まるで先取りするかのように現れたるはエメロ国の騎士団一行。町行く人の驚愕した視線を、白銀の鎧で受け止める。


 いったいなんの行列なのかと、広場周囲の人々は圧倒されつつ、怪訝な顔に。しかしその解を得るや、姫の美貌に腰を抜かさんばかりに、おののいた。


 騎士団を従え、数名の侍女をはべらせたる一国の姫が、工事中の広場を背にして、国民を見据えた。


「おはようございます」


 少し強張った声なのは、緊張している証拠だろうか。その両目は清々しいまでに晴れ渡った春の空と同じスカイブルー金色こんじきの髪が白い頬をなぞり、肩の出た華奢な体躯を飾るカナリヤ色のドレスに映える。胸に沈む大きなエメラルドが、朝日に輝いていた。


「マリア様じゃ……」


 老人の呟きは、瞬く間に伝染し、マリーベル姫の神聖たる由縁ゆえんを主張した。愛国心溢れる美貌の良妻、マリア王妃の、あくる日の姿がそこには在ったが、彼女はマリアではない。


 そのドレスは母のお下がりではなかった。今日この時分このためだけに作られた最高傑作にして、マリーベル姫の意思を永遠に歴史に刻みつけるための戦装束。流行りのエアリーな膨らみを持たせた柔らかな生地に、ふんだんに使われた薄く繊細なレースが花を添える。若々しい彼女の魅力を、春の花にたとえて芸術的に発揮するためのたくさんの仕掛けが、歯車のごとく組み合わされた一張羅である。


 じつはマデリンがこの日のために、変装屋に注文していたドレスだった。変装屋は表向きは若者向けの服屋。マデリンは王子のためならば、度胸を惜しみなく発揮する。


「お忙しい時期に驚かせてしまい、申し訳ありませんわ」


 ヒメは丁寧な喋り方に自信がないので、マデリンになりきって、彼女の口調そっくりに演技する。


「けれど、わたくし、どうしても黙ってはいられなくて、本日お城を飛び出し、我が弟の言われなき疑いを払拭するために参りました」


 ヒメはガチガチと鳴りそうになる己の歯を、ぐっと噛み締めて耐えた。今にも言葉を噛みそうで、白目を向いてしまいそうである。


(ど、どうしよう、あんなにマデリンと練習したのに、頭がふわふわして、うまく思い出せない……)


 今、なんのためにここに来たのかを、ヒメは必死に思い出す――これは、苦難の最中にある弟リアン王子を、助けるための、芝居だと。


「我が弟フローリアン王子のお顔が、わたくしを含めて誰とも似ていないという話は、何年も前から耳にしておりました。王子も気にしてしまい、毎日、時間をかけて化粧にカツラを駆使し、己の容姿を何年も前から偽ってきたのです。これはエメロ国に相応しい君主であるよう、己を磨き抜くあまりの愚行であると、わたくしは思っておりました」


 傍らのマデリンが、ギョッとしていた。台本にない台詞が、盛りだくさんだったから。


「それでも、不埒な噂は止む事なく、ついには我が弟が、エメロ十三世の側室カタリナ姫の不義による子だとの噂まで許す始末。まったく、とんでもない話ですわ、まったく、まったくです!」


 おもむろに手を叩いて合図をするマリーベル姫。すると屈強な騎士二人が、白い布を掛けられた大きな四角形を、運んできた。


 ヒメは真っ白な覆いを、勢いよく取り払った。


 青空の下、現れた女性の肖像画に、皆の目が釘付けとなる。


「これは、我が母マリアがわたくしに譲った、とある女性の絵画ですわ。王家では代々、女はかくあるべき淑やかさを持てと、常にエレガントであれと育てられます。この女性がどなたか、ご存知ありませんか? 我が民よ」


 返事は、なかった。当たり前である。さまざまな人物の顔の特徴を合成した、オレンジの髪にオレンジの肌の美女など、どこの世界にも存在しないのだから。


「この女性の名は、フローラ姫。当時、国交が無いと言われていた春の民の出身であり、エメロ六世の側室です」


「なんだって!?」


 そう声を上げたのは、ヒメがエメロ国に初めて来たときに絡んできた酔っ払いのおじさんだった。


 ヒメは内心、げ、と顔に出そうになるのをこらえて、気丈夫に振る舞い続けてゆく。


「エメロ六世には、正妻との間に子供がおりませんでした。そしてエメロ六世は、異国の地の戦争の応援に駆けつけた際、戦いに巻き込まれてしまいました。目が覚めると、異国の美女が献身的な看病を。エメロ六世はすぐに気に入り、彼女を城へと連れ帰ろうとしますが、城の者は大反対」


 ヒメは一度言葉を区切り、次の台詞を思い出そうとする。だが、ぼんやりとしか浮かんでこなくて、今度もアドリブを効かせることになった。


「エメロ六世と彼女との間には、エメロ六世そっくりの男の子が産まれました。エメロ六世は、この子をお世継ぎにしたいと彼女を口説きますが、彼女はこう言いました。『いつか、この私に似た子孫が産まれてしまうでしょう、それが恐ろしいのです。子供は私が故郷へ連れて帰ります』と。しかし、エメロ六世は聞き入れず、彼女を側室に上げました。そのとたんに、エメロ六世のお立場は急激に悪くなり、信頼していた家臣からも裏切られる始末。それを見た彼女は、自ら、去ってゆきました」


 ヒメは言葉を区切り、周りの様子を一瞥。周囲から抗議の声が上がらないかと、内心びくびくするあまりに、すぐに先を続けた。


「去り際に、夫にお願いをしました。どうか、この子の子孫に春の民の特徴が色濃く出てしまう前に、エメロ国の在り方を、変えてください……と」


 ここから先の台本を、綺麗に忘れた。ヒメはアドリブ勝負に出た。


「代々エメロ王は、国際結婚に積極的でした。それはどうしてだか、諸説ありましょうが、わたくしが今ここではっきりと伝えます。エメロ六世以降に流れてしまった春の民の血を恥じるあまり、異国の女性の血を混ぜて、ごまかそうとしていたのです」


 マデリンが朝に弱くなければ、台本と違う台詞などけっして許さなかっただろう。取っ組み合いになってでもヒメを止めたに違いない。


「そのごまかしのツケが、我が弟に来てしまいました……。獅子の髪色に、虹のような瞳、美しい我が弟は、不義の子と陰口を叩かれ続けてしまった。もっとも気の毒なのは、弟を産んでくれたカタリナ姫です。我が父エメロ十三世とは似ても似つかぬ男児を産んだばかりに、言われのない中傷を受けて、窓から飛び降りました。あの大事件は、今でも城の者たちを苦しめています」


 ヒメはしゃあしゃあと真実を捻じ曲げてゆく。ヒメたちも必死ゆえ、致し方なし。


「わたくしはあと三日すれば、十六となります。周囲からは、この国の女王となる可能性を示唆されて、期待する声も寄せられておりますが、断固としてお断りいたしますわ。エメロ国の王は、王族の血を継いだ男子から選抜されると決まっておりますの。つまりは、我が弟、フローリアンをもって他に相応しい男子はいらっしゃいません」


 ヒメは澄んだ声で、王位継承権にきっぱりと否定の意を表した。ヒメとしても個人的に、一番厄介な事だったから、言えてスッキリした。


「姫様、その絵を、よく鑑定させてくださいませんか?」


 片手を挙げて声を上げたのは、ヒメが以前にナターシャとシグマといっしょに箪笥を処分した家具屋の、おとなりさんの画材屋だった。皆の視線を一心に浴びてしまい、あわあわと戸惑っているようだが、挙げた手を下げない。


「申し訳ございません、でも、にわかには、信じ難くて……」


「どうぞ、じっくり調べなさい。なんなら、答えが出るまであなたのお店に預けてもいいですよ」


「あ、大丈夫です。今までいろいろな絵画を観てきましたので、すぐにわかります」


 すごい自信である。ヒメは気が気でなかったが、それを顔には一切出さずに、笑顔で絵画への接近を許した。


 大きな虫眼鏡で、じっくりと調べられる、偽物の絵画……。ヒメが緊張で顔がこわばりかけてきた、そのとき、画材屋が血相を変えて皆に振り向いた。


「この絵は! ほ、本物だ! この老朽具合にこのタッチ、間違いない! エメロ六世時代に活躍していた、オーガスタ画伯のものだ! 本物だ!」


 つい数日前に作られた偽物である。


「信じられない……偏屈なことで有名なあの画家が、こんなに大きな絵を残していただなんて! ああ、生きててよかった! これは国宝モノだ!」


 そんなに感激されると、ヒメは気まずくて視線が斜め上を向く。


「なんてことだ、こんな事実が、王族に隠されていただなんて」


 まだまだ興奮冷めやらぬ画材屋には、ひとまず下がってもらい、ヒメは再度、大勢に向かって挑んだ。


「わたくしの母、マリア王妃は、先の王妃よりこの絵を預かり、王族の秘密を託され、そして己の娘以外には生涯他言無用であれと命令されました。そして我が母マリア王妃も、このわたくしに、黙っているようにと、言い含めました。ですが、わたくしは闘います! 他ならぬ、たった一人の我が弟のために、そして彼の母カタリナ姫の潔白のために!」


 マリーベル姫は胸を張って、前に出た。


「わたくしは、闘います!」


 そして両足を開いて腰を落とし、どっしりと身構えた。


「文句のある御仁は、このわたくしがお相手いたします!」


「ちょ、マリーベル!」


「さあ! かかってきなさい!」


 広場が、シーンとなった。


「わ、わ〜……」


 空気を読んだ、控えめなお調子者が、両手を上げながらヒメのもとへ駆け寄ってきた。ヒメの足払いを見事にくらったあげく、シャツの胸ぐらを掴まれて背負い投げされ、地面にしたたかに背中を打ちつけて伸びてしまった。


 ヒメはシャツから手を離すと、手をぱんぱんと払って、再び身構えた。


「さあ次はだーれ? お相手しますわ!」


 わ〜! っと来たのは、小さな子供たち。


「お姫さま、すご〜い!」


「つよ〜い! かっけー!」


 瞬く間におしくらまんじゅうが始まり、広場はヒメの笑い声と、子供たちがはしゃぐ声に包まれた。


 ヒメのかたわらにいたマデリンも、心配で心配でついてきてしまった執事ジョージも、もはや呆気に取られて、何も言わなかった。


 ヒメは大工のかしらに、やぐらに上ってみないかと誘われて、スカートなのにするすると上ってしまった。かなりの高さを、梯子も使わずに素手のみで。


「なんて姫様だ。ずっとお城にこもってて、おとなしい感じだったのに」


「本当はこんなに御転婆おてんばだったのか! 立派にご成長されたものだ」


 今まで城にいたのは、影武者の姫。特に目立つことをせず、静かに過ごしていたのだった。


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