第124話   全て筒抜け

 ネイルの部下の天才たちによる、些細ないざこざが発生した。

 台所にある物で代用可だと言い張る部下と、ちゃんとした道具じゃないと調子が狂うから代用品は使わないと言い張る部下。


 ネイルが仲裁に入り、ここは長時間の作業を担う後者の部下の意見を尊重しようという事に決まり、ガビィの部下が買い出しを担当した。


 今度はイーゼル(キャンバスを立てかける道具)と、キャンバスを形成する木枠を、再度作り直すための買い物だった。どうにも納得のゆく大きさにならないらしい。ミリ単位でこだわる部下に、代用品派の部下が憤慨している。


 作業場と化している大客間に、いつの間にやら白い仔猫が侵入していた。ネイルの足下をうろうろする。


「んん? 扉も窓も閉まっているのに、どこから入ってきたんだ?」


 仔猫は大きなレモン色の両目で、じーっとネイルを見上げている。とても不思議な空の色に、心奪われるかのように。


「誰か、この小さいのをなんとかしてくれ。ここにいると踏んづけてしまいそうだ」


「請け負います」


 ネイルの妻である、ミリアが名乗り出た。春の民の礼装から、黒装束に着替えてソファに座り、ずっと画家の練習台としてその場に止まっていたが、夫の要求を叶えるために、立ち上がってしまった。


「モデルは座っとけって。俺がやるよ」


 兄セレンがひょいと片手で仔猫を回収。驚いた仔猫が四肢をぴーんとのばして、少し場が和んだ。



 城下町がじわじわと、そしてにわかに騒がしくなっていると部下から耳にし、ガビィは自室で部下たちと話し合っていた。一見するとガビィしか部屋にいないが、その天井裏には、いつでも動ける部下数名が入れ替わり立ち替わりしながら、城下で起きている問題を報告してゆく。


(司令塔として定位置に留まり続けるのは、けっこう苛立つものがあるな。俺も城下町に行きたいが、部下たちとすれ違いになるのも、避けたいしな……)


 部下の報告によると、城下町のあちこちで、ガビィたちがこれからやろうとしていることが、噂として流れているというのだ。ネイル王子がエメロ城に来ていることも筒抜けであり、国民が真意を問うために、城の関係者を捕まえては質問責めにしているのだと言う。


 あまり表沙汰になっていない竜の巣の民の、めったに外出しないネイル王子が、どういった立場の人物なのかを詳しく知る者は、表の世界にはあまりいないはず。にも関わらず、街が悪の王子三兄弟の話題で盛り上がっているとは。


 さらにさらに、矢継ぎ早に入ってくる情報がガビィをますます苛立たせた。絵画の偽装工作の件までが、民の噂になっていると言うのだ。情報経路は未だ不明。噂を聞いたというエメロ人たちを事情聴取したところ、皆、見知らぬ他人数名がしゃべっていた会話の内容を、ぐうぜん耳にして知ったのだと答えた。


「俺たちの内部情報が、垂れ流し状態じゃないか」


 噂を流した犯人は複数おり、人通りの多い朝の支度したくの時間をねらって、わざと周囲に聞かせるような声量で、ガビィたちの計画を流したようなのだ。


 ついにガビィが舌打ちする。


「我慢ならん! 兄さんとリアンに伝えてくる。俺が直々じきじきに動くとな!」


 城で大事な計画を進めている、その先導役としてガビィはここにいなければならなかったが、そうも言っていられなくなった。


 少々乱暴に部屋の扉を開けてしまったことを、少しばかり反省しながら、廊下に出る。となりはヒメの部屋だが、今は昼時だから食堂で何か食べているのかもしれない。なぜ今、ちょっとヒメのことを気にしてしまったのか自分でもわからないまま、ガビィは一人、一階まで下りてきた。


 これから仕事に向かうガビィを、暇を持て余して走り回っていたおいが、駆け寄って捕まえた。


「おじさん、たんけんしたい! たんけーん」


「探検? エメロ城なら、昨日案内しただろ」


「もっといろんなとこ、いきたいの」


「却下だ」


「えー!?」


 ぶうぶう文句を垂れながら、ぽこぽこ足を叩いてくる甥をそのままに歩き続けるガビィ。兄のいる客間の扉が近づいてきた頃、扉が開いてセレンが仔猫を片手に現れた。どうやら適当に廊下へ放ろうとしていたようだが、ふとガビィたちに気が付いて、ひょっとオレンジ色の眉毛を上げた。顔を覆う黒い布の巻きが、ちょっと甘い。


「ああ、ガブリエルじゃないか。こいつ、なんとかして。作業場をうろうろしてて可愛いんだ」


 白い仔猫は、ガビィが片手でだっこして回収した。セレンが扉の奥に引っ込むまで、甥がずっと「ダブルおじさんだー!」と指さしてきて、うるさかった。


 これから出かける用事があるはずのガビィが、小動物を受け取ってしまったのは、この猫を当然のようにヒメに押しつけようと考えていたから。そんな自分に気づいて、やっぱりナターシャに任せようと思い直した。


 ところが、そのナターシャがヒメを連れて、お出かけしてゆく後ろ姿が、そこの窓から確認できてしまった。


「……なんだ、ナターシャも出かけるのか」


「ねえ、そのネコちゃん、ぼくがだっこするー」


「……そっと扱えよ。思ったより、ふにゃふにゃしている」


 甥は鋭い爪の生えた両腕で、大事に受け取った。さっそく猫に頬擦りし、小さな命を全身で感じている。


「おじさんも、ネコちゃんとあそぼーよー。ふわふわしてるよー」


「……俺はこれから、調査があるから忙しい」


「ちょーさー?」


「そうだ。城下町にヘンなやつらがたくさんいるから、調べて、場合によっては戦闘する。姫の誕生日を台無しにされるわけにはいかないからな」


「ひめをまもるのー? おうじさまみたい」


 絵本に出てくる白馬の王子様のことを指しているらしい。ガビィは返答に困り、赤い双眸が宙をなぞった。翡翠色のシャンデリアが揺れている。


「わるもの、やっつけるのー?」


「できれば撤退させたい」


「なんでー?」


大事おおごとになると、誕生日どころじゃなくなるだろ。城下町ごと巻き込む騒ぎになったら、目も当てられない」


「おおさわぎたんじょうび、おもしろそー!」


 話が通じない。否、理解させるには、まだ早いのかもしれないと思い直した。


「……そうだな、大騒ぎはおもしろいぞ」


「ひめのたんじょうびにも、おやつでるかな」


「たぶんな」


「やったー! いっぱいたべたーい!」


 この大声、たぶん客間の兄にも聞こえているだろう。妻ミリアと笑っている兄の顔が想像できて、これで正解なんだろうかとガビィは肩をすくめた。


 緑色の髪をした春の民と戦闘し、打ち倒した身内はいない。いつも逃げられてばかりいるせいで、彼らがどの程度強いのか、誰も測定できていない。なんだかんだゴタゴタが起きて、いつの間にか姿を消される。追跡も間に合わない。


 そしてこちらの情報が、随時筒抜けという。いったいどうなっているのやら、対処法が未だに確定しない。


 ふと、窓から見える職人たちの背中に、意識が奪われた。庭がとても綺麗になっている。


 甥もガビィの目の動きを追って、窓のふちに片手でよじのぼった。


「わあ! おっきなはさみ!」


「庭師たちに遊んでもらえ。いろいろな道具があっておもしろいぞ」


「はーい」


 ちゃっかり面倒事を他人に押しつけたガビィは、今度こそ厄介な連中を仕留めるために、両腕のガントレットをしっかりと腕にはめ直した。


 兄ネイルと、リアン王子が、自分に出動の許可を出すことは、わかっている。しかし真面目な彼は、無断外出はしない。


(兄さんは、そこの客間にいるとして、リアンはどこにいるんだ? 部下に聞くか……)


 部下によると、リアンは混沌の執務室にいるという。ガビィはまた階段を上がらねばならなかった。




「うーん……」


 絵を練習していたネイルの部下が、分厚い大辞典の真ん中あたりのページを凝視したまま、動かなくなってしまった。


「またなのかい。今度はなんだ」


 いろいろな代用品を作ってくれていた部下が声をかけると、今頃気づいたかのような目をして顔を上げた。


「この時代にエメロ城で雇われていた画家は、そうとうな変わり者です。猛毒を混ぜて作った独自の絵の具を使っているのですが、現代のエメロではその毒が手に入らないのです。竜の巣から取ってくるにしても、時間が足りなくて」


「僕が作ってやる。代用品になるが我慢しろ」


「え〜できれば当時の絵の具が使いたいな〜」


「無理だろ。こだわりが強いのもいい加減にするんだ」


「では、こちらの絵の具たちに、その毒を入れてもらいたいのです」


 雑多な作業場と化した客間の、いちばん散らかっている部屋の隅から、絵の具セットの入った木箱を運んでくる。ところが、何かにつまずいて木箱ごと転倒し、絵の具たちは個々に跳ねて、ソファの下やらカーテンの下やら。


「お前なあ! それやるの何度目だと思ってるんだ! 片づけろって言っただろ」


「そうでしたっけ?」


「自分の使いやすいように道具を整理するのもプロのたしなみだ」


「僕はカーテンの下を探すので、ソファの下をお願いします」


 再び口論になる部下二人を尻目に、セレンが「なあなあネイル」と義弟に声をかけた。


「油絵ってさ、絵の具が乾くまでに数日かかるんじゃなかったか? 一週間以上もかかる絵の具もあるって聞いたことがあるよ」


「そうだな」


「俺、ネイルたちが何をしようとしてるのか、詳しくは知らないけど、間に合うのか? お姫様の誕生日まで、あと五日しかないんだぞ?」


「三日あれば、じゅうぶんだ」


 それを聞いてセレンは、イーゼルの上のキャンバスを、不安そうに眺めた。


「三日……? 乾くのか? 絵の具。その前に、これ完成するのか?」


 キャンバスは、まだ木炭で下書きしか描かれていない状態だった。それも、めちゃくちゃ大ざっぱに人の形が描かれている。まるで幼児が描いたお母さんの絵だった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る