第62話 古ぼけた家具を城下町へ
「シグマ様ー、お待たせいたしました」
昨日と同じく、全身フル装備である。彼は存在に気づかれたとたんに、堂々と鎧を鳴らしながら接近してきた。朝からすごい威圧感である。
「おはよう、シグマさん」
「おはようございます、姫君」
ガントレットを鳴らして、ヒメたちの代わりに箪笥を背負ってくれた。ヒメは昨日の彼の、雑炊と雑巾を間違えた件といい、敵味方の見境がない件といい、彼とどう接して良いのかわからなくなっていて、とりあえず愛想笑いしていた。
「では、参りましょう。シグマ様、何か気になることがおありでしたら、質問してくださいませ」
「わかった」
歩きだす三人。シグマが先頭で、その次がナターシャ、最後を歩くのは、正体を知られるわけにはいかないとばかりに猫背のヒメだった。ナターシャに小声で話しかける。
「ねえねえ、シグマさんって、敵味方関係なく撲殺しちゃうんでしょ? 怖くないの?」
「彼は許可や命令無しには、動きません。それに、勝者と見定めた者にしか、勝負を挑みませんから、ご心配はいりませんよ」
「その、勝者っていうのは?」
「彼独自の基準です。活き活きと輝いているお人のことを意味します。シグマ様は輝いているお人から、多くを学びたいという理由で、勝負を挑まれるのですよ」
つまりシグマの目には、ヒメは輝いて見えると。不慣れな生活で熱まで出した自分の、どこに輝きを見出したのかと、ヒメは小首を傾げるばかりだった。
「学ぶために仲間を殺すなんて、理解できないよ」
「隊長が試合の審判をお引き受けされてからは、練習相手が撲殺されることは無くなりましたよ」
「審判? あ! だから昨日の朝、ガビィさんは騎士団の近くにいたのか」
そして引退したはずのグラム伯爵と鉢合わせして、一触即発。あのとき、伯爵がガビィの左腕を掴んで、ゆすっていたのをヒメは思い出した。腕の傷が開いたのは、あのときだろうと思う。
「ガビィさんは今朝もいた?」
「はい。腕のことがありますから、さすがに審判はできませんでしたけど、その場にいらっしゃいましたよ」
ガビィらしいといえば、そうなのであるが、ヒメは彼こそ影武者が必要だと思った。
エメロ城の裏門は、表門ほどの華美さはないものの、鳥の鳴き声がとても澄んで聞こえ、空気ものどかに流れていた。
分厚い塀は高くそびえて、門の前には兵士が槍を持って立っているけれど、ここらで争いが起きる事はあんまり無いようにヒメは感じた。
「お疲れ様です! シグマ騎士団長!」
「あ、ああ、疲れてはいない……」
敬礼する兵士たちに、おろおろと会釈するシグマ。裏門をくぐり、石畳を歩きながら、自分はそんなに疲れて見えるのかとナターシャに尋ねていた。
背中の大剣と、鎧の肩部分にたくさん付けた勲章に似合わず、シグマは人とのやり取りが苦手のようだった。
(なんだか、お城でお姫様扱いされてる私みたいだな……。堅苦しい会話って、慣れないよねぇ。相手の本性もわかりにくいしさ)
顔は笑ってるけど、内心では裏切りの算段を練っていて……なんてことがあったとしても、いつも笑顔で尽くしてくれる相手に、そんな疑念を抱き続ける自信が、ヒメには無かった。
(私はいきなり上の立場でいるより、
しかし今のヒメは、いきなり姫なのだった。こんなふうにメイドさんから始められたら、心の準備もできたであろうに。
「ねえ、この箪笥はどこに捨てるんだっけ」
「家具屋に引き取ってもらいましょう。話はつけてありますから、家具屋に持っていけば仕事は済みますよ」
「その
城下町へと続く石畳は、大きくて平らな石が使われていた。道の両脇には背の低い樹木が植えられていて、鳥たちの休憩場となっていた。
ここまでシグマと会話らしい会話をしていないことに気づいたヒメは、勇気を出して声をかけてみた。
「今日もガビィさんの包帯を、頭に巻いてるの?」
「いいえ。昨日よりも血の量が少なかったので、捨てておきました」
「え、多いほうが、いいってこと?」
「血の匂いって、安心しませんか? それが憧れの人のだったら、勇気をもらえませんか?」
同意を求められて、ヒメは、うなずいておいた。
「僕、どうしたら父とガブリエル殿が、仲良くなれるのか、わからなくて……」
「ああ、うん、わかるそれ」
「わかりますか? よかった。僕、お二人が仲良くなれるように、うまくできるかわからないけど、何かしたくて、それで包帯を頭に巻いて、勇気をもらおうとしたんです」
「そうだったんだ」
憧れの人の血痕で汚れた包帯は、彼にとってのお守りらしい。理由がわかって、ヒメは少しほっとした。
(シグマさんは、悪気はないんだね……いろんなことが、とってもずれてる人だけど)
遠くで、竜が鳴いた。エメローディア、と聞き取れる、間延びした声が空に響く。
それに気づいたシグマが箪笥を降ろして、兜を両手ですぽっと取った。そして鎧越しでも上半身が膨らむ勢いで息を吸い込むと、
「おーい!!!!」
おそらく竜がいるであろう方角に向かって、鳥も人もびっくりする大声を張り上げた。
「やめてよシグマさん!! なんで返事するの!!」
ヒメはメイドに化けて城を脱走している身、目立ってはまずい。
しばらくして竜が「ウォオオイイイイ」と重低音の咆哮をあげた。
「ナ、ナターシャさん! 今、竜が返事したんじゃない!?」
「ふふ、シグマ様と竜は、お友達なんですよ」
ナターシャは口元に片手を添えて、ほほえましく二人を眺めている。
ヒメは混乱して、二人を交互に見上げていた。
「お友達って……ナターシャさんまで何を言い出すのさ。となりの国って、立ち入りが禁止されてるんでしょ? まさかシグマさん、入っちゃったの?」
「はい。彼は隣国の竜の、調査隊隊長ですから」
初耳だった。ヒメはもう、シグマのことが全くわからなくなってくる。全てが作り話なのでは、という疑問も浮かんでますます混乱する。
「百歩譲って、シグマさんが本当に竜の友達だったとしても、あの竜、どういう聴力してるの」
「大好きな人の声ならば、竜は応えてくれるんですよ。さあ姫様、城下町まで下りましょう」
「はーい……」
城下町へ続く木の門の前にも兵士が立っており、ナターシャが彼らと短い会話をして、門を開けてくれた。
そこからは、細かな石が石畳を形成していた。きらきらした石もまざっており、朝日を浴びながらヒメの目を楽しませてくれた。
「うわあ綺麗。よけて歩こうっと」
下ばかり見ていたヒメに、ナターシャが声をかけた。ヒメが顔を上げると、そこには、お城の中で遠目から眺めていたあの景色が、そのまま眼前に広がっていた。
一階がお店で、二階からは洗濯物が紐で吊られている。民家とお店が一緒になった建物が、たくさん並んでいる。
表門のほうよりも、より生活感ただよう、ごちゃごちゃした街並みだった。
「
「そうですね。わたくしもエメロ国へ初めて入ったときは、感動いたしました」
素朴でごちゃついているけど、活気あふれる美しい街。朝食の材料を腕いっぱいに抱える女性に、今日の仕事の段取りを話し合う男性陣、どこかで赤ちゃんも泣いている。
ヒメはしばし目的を忘れて、朝の軽食屋からただよう、焼き立てのパンと卵料理の香りに深呼吸を繰り返した。
がしゃがしゃと鎧を鳴らして、箪笥を背負ったシグマがナターシャと歩いてゆく。
「あ、そうだった、ひとまず箪笥を家具屋さんに預けないと」
最後尾を歩くヒメは、二人と距離ができると、人混みではぐれてしまう。慌てて二人に追いつくと、二人は街の人々からたくさん挨拶されていた。
ヒメはちょっとだけ距離を取って歩いた。
(二人とも人気者だなぁ……特にシグマさんは、お城での扱われ方と、ぜんぜん違うや)
まるでこの場の大勢がシグマの友人のようだ。「よおシグマ!」「シグマさんおはよう」と元気だったり優しい感じに声がかかる。
ヒメは二人からはぐれないように、背の高いうえに兜までかぶっているシグマを目印に歩いていった。
「よー! シグマじゃねーか!」
どこからか酔っぱらった声が。ヒメが背伸びして二人の前方を見やると、店の外にまで家具を並べている一軒のお店があった。店の前で、木くずまみれの緑色のエプロンを着て立っていたのは、見覚えのある、おっさんだった。
(ああ! あの人は、私とガビィさんに絡んできたビー玉男!)
ヒメが初めてエメロ国に入ったときに、目の色をビー玉扱いされたから、ヒメの中では彼はビー玉男だった。
こっちに向かって、歩いてくる……。
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