第45話 彼女の苦悩
朝食を取る部屋は、王子と晩餐を過ごした部屋と同じだとジョージが言った。
かかと部分を優しく包みこむサンダルを履いて、ヒメは草花模様の絨毯を歩く。
(んん……? まーたどこかでぼそぼそ聞こえるなぁ)
またまたヒメの小耳に入るは、どこかの部屋に隠れているのだろう、若い女性複数人の声。
どこから聞こえるのか見当がついたヒメは、あの部屋には何があるのかジョージに聞いてみた。
「あれは、スリッパや靴を管理している部屋です。どうかなさいましたか?」
「なんでもない。また昨日みたいに、おさぼりメイド隊が悪口言ってるだけだから」
ヒメは無視して通り過ぎることに決めたが……部屋に近づくにつれて、何をしゃべっているのかが、どうしても聴こえてくる。
内容は、昨日と似たようなものだった。王子が気の毒だの、後から来た姫に、王位を譲るのはおかしいだの。
(へえ、今まで一度もお城に戻らなかったマリーベル姫にも、王位継承権があるんだね。これは……今まで王子様を応援してきた人達から恨まれても、仕方ないかも。マリーベル姫って、ほんっと気の毒な立場だなぁ)
どうせ扉を開けようにも、彼女たちは鍵をかけているだろう。ヒメとジョージは、無視して通り過ぎた。
あとで厳重注意しておくと言うジョージの後ろから、すたすたと小さな足音が聞こえた。
ガチャガチャと鍵を開ける音がする。
「はいはい出て出て! お庭の掃除は終わりましたの?」
「げ、マデリン様」
「こんな隙間に大勢で挟まって、ダンゴムシにでも転職なさるおつもり? 早く出なさい!」
これにはヒメもジョージも驚愕し、振り向いた。
ほら早く! と、マデリンに腕を掴まれて、次々に引っ張り出される若いメイドたち。どの子も不満そうな表情をしている。
「マデリン様は悲しくないのですか? ずっとお支えしてきた王子様が、永遠にエメロから受け入れられないお立場になろうとしてるんですよ!? 私そんなこと耐えられません!」
「いちばんお辛いのは、王子なのですよ。駄々をこねて逃げ出さないで。泣いたって、どうにもならないんですから」
その言葉に、泣き出すメイドがいた。どうしても、どうしても、王子が王位の継承者じゃなきゃ許せない様子だった。
そこへ、部屋にこもっていた者とは別のメイドがマデリンに走り寄ってきた。紙切れのような物を手に持っている。
「マデリン様、朝から庭師たちがどこにも見当たりません。代わりに、部屋に置き手紙が」
マデリンがほぼ表情の消えた顔で手紙を受け取ると、黙読。短い文章だったのか、それとも読むに耐えない内容だったのか、すぐに片手でぐしゃっと握り潰した。
「あなたたちは仕事に戻りなさい。彼らには、わたくしから話し合いに行きますわ」
マデリンの恐ろしい笑顔に、メイドたちが蜘蛛の子を散らしたように持ち場へと戻っていった。
一人になったマデリンが、立ち尽くしたまま、不動に。
しーん、と静まった廊下に、ヒメとジョージも我に返って、彼女に何か声をかけようとした、そのときだった。
(そろいもそろって、勝手なことばかり……!)
マデリンが手紙を床に叩きつけ、思い切り踏みつけた。何度も、何度も、何度も、足を上げてはドシドシと踏みつけてゆく。
(逃げ出せばそれで主張できるとでも!? わたくしだって日々不安と闘いながら、王子をお支えするために必死で抗っているというのに……この人たちはまったく!)
何度も、何度も、廊下に響く、彼女の感情の爆発音。
「マデリンさん……」
ヒメが声をかけると、マデリンがびくりと肩を跳ね上げて、振り向いた。怒りに歪んだ、ものすごい形相だったが、すっと笑顔になった。
「おはようございます、マリーベル。何かご用?」
「長男の王子様には、いずれ王様になる運命が待ってる。うちの長男の王子様も、そうなんだよ」
「そうですの。で?」
「どうして私が、王座に就くかもしれないの?」
マデリンの笑顔が、消えた。空気も冷えるほどの無表情っぷりだが、それでもヒメはひるまない。ここで引き下がっては、後悔しかできないような気がしたから。
「エメロ国は、あんまり女性に権限がない気がするんだよね。それでも、私に
「……」
「私は、一度もこのお城には帰らなかった。エメロ国の文化にも戸惑いっぱなしで、とても王様なんて勤められないよ。それでも、どうして私に王様になる可能性が残ってるの? なぜ王子様を支持する人たちは、出て行ってしまうの?」
マデリンが腕組みして、ふんっと鼻を鳴らした。金色の眉毛が吊り上がっている。
「どこまで知らないのかと思ってましたけど、本当になにもご存知ないのね」
「うん、何も知らない。どんな書物を読めば、そして誰に聞けば教えてもらえる?」
「そのままでいなさいな。貴女は世間知らずなお姫様ですもの、何も悪くはありませんわ」
その言葉は、竜の巣の中で異様な特別扱いを受けてきたヒメには辛く聞こえた。皆と同じ仕事をさせてもらえず、何も教えてもらえず、外にも出してもらえずに、それでも平気なふりをして、ヒメは毎日を過ごしてきた。
否、耐えてきた。
本当はすっごく、嫌だった。
(息をしているだけで、肩身が狭くなる思いは、もう――したくない!)
ヒメは意を決して、しっかりとマデリンを見据えた。
「あなたは悪くないって言うけど、じゃあ、私のこの罪悪感はなんなの。昨日は何もわからなくて大変だったけど、今日もまた、同じ一日になっちゃうよ。私、私も……私も――」
外に出してくれなかった竜の巣の王、何もさせてくれなかった仲間たちの顔、そして、背を向けてばかりいるガビィの姿が、次々に目に浮かんできた。ヒメは呼吸が荒くなる。
「私も、仲間に入れて!!」
「……仲間?」
マデリンの声は、冷めきっていた。
「貴女も、こちら側に来るとおっしゃるの? そんな世間知らずな状態で? 足を引っ張るだけなのがオチですわね」
「マデリンさん!」
「貴女は少し反省なさい! 己の無力さと運の無さを嘆く時間が必要ですわ」
よくわからないことを言われて、ヒメは目を三角にしてマデリンに歩み寄ってゆく。
マデリンは動じない。それどころか、利き手で髪をかきあげて、その手で流れるように背中の鞘から抜刀した。
一切のぶれ無しに、まっすぐに切っ先を突きつけて、ヒメの接近を
「それとも、わたくしがお時間を与えて差し上げましょうか?」
「マデリン様、それはあまりにも無礼ですぞ!」
執事ジョージが老体にも関わらず、ヒメをかばうように前に立った。
ヒメは白い花びらのように繊細なドレスのスカートを、太もも辺りからバリッと引き裂いて、太ももに巻いていた革ベルトのナイフセットから素早く二本引き抜き、両手に構えた。
「与えられるものなら、やってみな! 私は負けない!」
すぐにも
二人の間に挟まれて、ほっぺを両手で挟んで声にならない絶叫を上げている執事ジョージと、ちょうど廊下を歩いてきたメイドが、目の前の修羅場に恐怖して、動けなくなっていた。
「ちょ、ちょ、朝食の準備が、整いました……」
「あら、報告ありがとう」
マデリンが慣れた手付きで、剣を背中の鞘に戻した。小柄な彼女の手の長さでも納められるように、剣は意外と短かった。
剣の特徴を素早く把握したヒメの視線に、マデリンも気づいて、露骨に顔をそむけて背も向けた。
「王子がお待ちですわよ。その穴開きドレスは着替えてらっしゃいな。今回の遅刻も、見逃していただけるといいですわね」
捨て台詞を残して、肩をいからせて去ってゆくマデリン。戻ってくる気配がないのを確認したヒメは、ほっとしながらナイフを太ももの革ベルトにしまった。
「あの、あの、王子様なのですが」
「ん? どうしたの?」
「寝不足が祟ったみたいで、その、お具合が、悪そうなんです、それで……」
「うん、それで?」
さらにエメロ王も昨日の夜から起き上がれないほど弱っていることを、メイドが今にも泣きそうに付け足した。
「王子様も王様も、お部屋で、休んでおられます。その、今日は、姫様お一人で、朝食を……」
エメロ王もリアン王子も倒れているとは。本日は誰がエメロ国を治めるのだろうか。
何もわからないヒメでは、絶対に代役は務まらないし。
「リアン王子は、誰かとご飯を一緒にすることがあるんだよね」
「え? え? はい、ですけど、今は、お部屋で休んでおられるので……あの、なんでそんなこと、訊くんですか」
「二人分も用意された朝ご飯がもったいないよ。私も、誰かをご飯に呼ぶ」
「ええ!? ど、どなたを、ですか?」
「グラム伯爵」
おびえるメイドに、ヒメは宣言した。
「マデリンさんとシグマさんのお父さんだよ。体が大きくて、稽古もしていたようだから、きっと小腹もすいてるでしょ」
マリーベル姫と息子の婚約を強く望む彼ならば、多少、口が軽いと予想した。
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