第43話 白い花に誘われて②
どんなにグラム伯爵にせかされても、シグマは言い淀むばかりで、兜を脱ごうとしない。
「あのー、シグマさん、無理しないで。素顔をさらせない事情があるなら、そっちを優先して」
ヒメの言葉に甘んじて、兜に伸ばしかけた手をすとんと下ろしてしまった愚息に腹を立てたグラム伯爵が、再び彼の鎧をゴォンゴォンとノックした。
「もういいから、下がっていなさい!」
シグマがしゅーんと肩を落として、鎧を鳴らしながら引き下がった。
グラム伯爵が取り繕うような笑顔でヒメに振り向く。ヒメの片腕を、まだ手放さないままに。
「彼はシグマといって、グラム家の長男、えー、つまり私の息子です。武術の腕はこの国一なのですが、ヘンなところが繊細で、引っ込み思案なのです。早く優しくてしっかりした可愛い嫁さんでも貰うことができれば、二人三脚で我が家も安定すると思うのですが、いやはや、私の考えすぎですかなー?」
「ははは……」
家の安泰のために、マリーベル姫と長男を結婚させたいらしい。リアン王子との晩餐で出てきた、姫の
それまで黙って整列していた、と言うよりも待たされて並んでいるだけだった騎士団の中で、ひそひそ声が聞こえた。
「グラム伯爵は、本気でご子息を姫様とくっつける気なのか?」
「無理じゃないかなー、だってシグマ様って、性格めちゃくちゃ悪いし、騎士道なんてちっとも重んじてないしな……あんな人と結婚したら女の人がかわいそうだよ」
さんざんな言われようである。
(そんなに性格悪いの? でもさっき、ガビィさんのこと庇ってたけど。あ、もしかしてガビィさんの味方しただけで、シグマさんも周囲から嫌われちゃったのかな)
そう思ったヒメは悲しくなってきた。
そして、グラム伯爵にも、さっきのひそひそ声は聞こえていた。長年の剣の稽古による、物と物の激しいぶつかり合いの音を聴き過ぎて、聴力が衰えてしまっているが、それでも悪口には
「姫様、ここは女性の踏み込む場所ではございません。稽古場も剣技も男のものです。モテない男どもの
「あ、はい……」
ヒメはようやく腕を解放されたと思ったら、回れ右するように体を動かされて、さらに背中を押されて、稽古場から押し出された。
(えー? さっきからずっと手を放さずにいたのグラムさんじゃん。なんなの急に追い出してさー……)
って、言いたいけど、ぐっとこらえるヒメだった。
(剣は男の人しか扱えないって、メイドさんとジョージさんが言ってたっけ。竜の巣では、全員が訓練を受けるんだけどな)
心の中でぶつぶつ愚痴っていても、仕方がないとわかってはいるのだが、ぶつぶつ。
気持ちを切り替えて、ガビィのあとを追いかけてみた。朝の挨拶だけでもしたいから。
ガビィの歩く速度は速くて、裏庭からすでに城の中に入ってしまっていた。窓から、深刻な面持ちのマデリンとガビィが話し合う姿が見える。
「あれ……?」
マデリンとガビィが、向き合ってしゃべっている、それだけなのに、なぜだか焦燥が。胸の奥がざわざわと波打つ。
(なに……なになに? 二人、すっごく親密そう。マデリンさんなんか泣きそうな顔してるし、ガビィさんも話にうなずいてあげてる……えー!! 私もそっち行きたいー!! 二人が何話してるのかすんごく気になるー!! 入れてー! 私も仲間に入れてー!!)
すっかり冷静さを欠いたヒメは、城の裏玄関から廊下に、土の付いた裸足のまま転がりこんだ。
マデリンは今日も可愛らしかった。ガビィの半分くらいしか身長がなくて、きちっと編み上げた金貨色の髪には、エメラルド色のリボンが編み込まれていて、そして相変わらず背中には、剣を背負っていた。
「兄のために、稽古場へ赴いてくれたんですのね、ガビィ……」
廊下で話す二人を見て、いざ声をかけようとしたヒメだが、躊躇して太い柱の陰に隠れてしまっていた。
だって、マデリンが彼を呼び捨てにしたから。ショックで、悔しくて、胸がもやもやする。
「嫌な思いなさったでしょ。ごめんなさいね。引退したはずの父が、今日ここに来るとは、わたくしも知らされていませんでした」
「シグマも知らなかった様子だ。……おそらく、姫が城に戻ったら通告するようにと、伯爵が城の者に指示を出していたのだろう」
「……でしょうね。父に逆らえる者は、そう多くはいませんもの」
マデリンの顔色は、真っ白を通り越して、青みがかっていた。どことなく、ぼーっとしている。
「……大丈夫か。お前は朝、弱いからな。休憩したらどうだ」
「休んでいる場合では、ありませんわ。あなたがお留守の間に、使用人が大勢、無断欠勤を。わたくしも彼らを励ましたり叱責したりと、なんとか引っぱり戻そうとしたのですが……人手不足ですわ。あなたほどの説得力が、わたくしには無かったのでしょうね」
「逃げた使用人の住所はわかるか? 俺が訪ねて、呼び戻す」
「……ご迷惑をおかけします」
はぁ、と元気なく片頬に手を当てて、マデリンは窓枠に手を添えた。なぜか、兄が花畑にしゃがんでいた。その理由は不明だが、兄だけ稽古に参加していない様子に、ほっと胸をなでおろす。
「この気持ちを剣にのせて、少しでも発散できたら……いえ、少しでも気を逸らして、逃げ出せるのでしたら……でも女だからという理由で、稽古場に立てないのです。わたくしだって騎士の家系であり、ヴァルキリーであるのに……あんまりですわ」
どんどん出てくる、マデリンの抱える不満。こんな一面もある人なんだと、ヒメは初めて知った。
「……王子がエメロ王の座を引き継げば、多少は、何かが変わってゆくだろう。夢を捨てるには、まだ早いぞ」
「……今日の夕方、また訓練をお願いしてもよろしいかしら」
「今日か? ……あいにく、しばらく剣が握れそうにない」
「そうでしたわね……逃げ出した彼らを、呼び戻さなければ。でも、残念ですわ。またお時間、作ってくださいね」
「ああ、必ず」
ヒメはもう耳をふさぎたい気持ちと、二人の関係をもっとよく調べたいという欲求に板挟みになっていた。
(マデリンさんの剣の稽古ってガビィさんが付けてあげてたの!? もしかして二人っきりで!? そんなのずるいよ!)
「け」
剣の稽古なら、私が付き合う、って言いたかったのに、緊張とショックのあまり言葉が出なくて、そして何者かに肩をそっと叩かれて、ヒメは声にならないほどびっくりして振り向いた。
「……」
シグマが立っていた。兜越しでも彼だと断定できるのは、その両肩を飾る、数多の勲章の輝き。
(うそ、こんなに接近されてたのに、この人、気配が、無かった……)
ヒメが絶句から立ち直れないでいる間に、白銀のガントレットを鳴らして、シグマが片腕を伸ばしてきた。
その手に、ぐっしゃぐしゃになった一輪の花……だろうか、花びらがほぼ取れており、たぶん花だったろうしかわからない植物が握られていた。
空いた片手で、ヒメの片手首を掴むと、その花を握らせた。
……その先は、なかった。
お互いに、じっとしていた。
「……姫様、この後、俺はどうあればいいのかわかりません」
「……お父さんに言われたの? 私に、お花をあげて、って?」
「この後どうするのか、忘れてしまいました。えっと、えっと、たしか、片膝を折って、手の甲に、キスを……」
「キス? ここで!?」
竜の巣では、無意味に手をつないだり、キスや抱きしめ合う行為は、夫婦や恋人の部屋でする。廊下や公共の場、野外では絶対にしない。ヒメも実際にするところを、見たことがなかった。
そんな行為を、いつ人が通るかも知れない、こんなところでしようとするなんて、とヒメが怖がっていると、彼もハッと兜に片手を当てた。
「コレ、取らないと……どうしよう」
マリーベル姫の
ところが、彼の関心は、すでに別のところへと吹っ飛んでいた。掴みっぱなしだったヒメの手の平を凝視している。
「姫様の、この手……鍛えてる者の手だ」
小さな声だが、各段にハリが出てきた。ヒメの片手を両手でがっしりと包み、掲げ、その指にできたタコや古傷さえも丁寧に丁寧に、なぞり上げた。まるで、どのような経緯で残った傷なのか、ヒメの技量さえも推し量るかのように。
彼はヒメの腕を持って帰るような勢いで、なかなか離してくれなかった。荒い鼻息が、兜の隙間からもれて、ヒメの手の肌に当たっている。
「もっと! 貴女のお話が聞きたい! 今日の夕方、どこか、二人っきりで!」
ヒメは微笑みが引きつらないように顔の筋肉に力をこめながら、すっと自分の腕を取り戻した。
「二人になるのは、難しいんじゃないかな?」
「え? どうしてですか?」
シグマの背後から、どたばたと足音荒くメイドたちが追いかけてきた。
「姫様! ようやく見つけましたよ! さあお化粧して、髪も整えましょう! 時間がないのでそこの空き部屋で済ませますね!」
「ハハハ、そういうわけだから、ごめんね」
メイドたちに連行されてゆく姫。
取り残されたシグマは、呆然と廊下に立っていた。
そのそばに、がっしゃがっしゃと鎧を鳴らして、グラム伯爵が近づいてくる。
「シグマ! 騎士団長のお前が稽古をさぼるんじゃない! 皆の士気が下がるだろ!」
「え、だって、さっき父上が、花ぐらい姫様に贈ったらどうかって……」
「今じゃない! いきなり花を摘みだしたから何事かと思ったら、まったく」
「え、じゃあ、いつ渡すんですか?」
「稽古場に戻るんだ!」
グラム伯爵に腕を引っ張られて、シグマは始終おろおろしていた。
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