第40話   お風呂!?(涙目)

 執事と別れたヒメは、扉から部屋へと入った。黄色と桃色を意識してそろえられた可愛らしい家具類に囲まれて、メイド二人が部屋の中に立っている。


「あのー、二人は、どうして私の部屋に?」


「どうしてと申されましても、わたくしたちは姫様付きの侍女でございますから」


「部屋着に着替えましょう、姫様。そのお衣装は、大事なお母様の形見ですもの。綺麗にお手入れしなくては」


 部屋着と聞いて、ヒメは背中の鞄をおろして、胸の前に持ってきた。


「着替えなら、これに入ってるんだ」


「いいえ姫様、こちらでご用意しておりますので」


「もしかしてさー、マリーベル姫の立ち位置って、このエメロ城では低いのかな」


「そんなことはありませんが、姫様に相応しい身なりというものは、昔から決まっておりますから」


 昔からの決まりで、ヒメはまたまた着せ替え人形に。でも、マリーベルのお母さんのドレスだから、汚す前に早めに脱ぎたかったのもヒメの本心だった。


(うわ……この服、ひらひらしてる……)


 薄い桃色の生地に、薄い黄色のレースがたっぷり。全体的にふわっとした軽い作りをしていて、さっきのドレスよりは締め付けも肌の露出も少なくて、ヒメはほっとした。


「では姫様」


「ハイ?」


「湯浴みの準備が整っております。明日も麗しく過ごされるためにも、今日のお疲れを癒しましょう」


 マリアのドレスを二人がかりで丁寧にたたみながら、メイドの一人が提案した。否、ここではマリーベル姫に選択肢がない。


「お風呂かぁ。もう疲れたんだけど、たしかに今日は人生でいちばん汗臭くなっちゃった日だと思うや。うん、それじゃお風呂にするから、大きなおけと、お湯をわかせる場所を教えて」


「はい?」


 メイド二人が、顔を見合わせる。


 ヒメの知るお風呂とは、桶にお湯を入れて、湿らせた布で体を拭くというもので、赤ちゃんや幼い子供でもないかぎり、己の部屋で一人で済ます。


 ヒメの育った竜の巣では、浴場で湯浴みをするという文化がないのだった。体を乾いた布や湿らせた布で拭く。お香や香水は、闇に紛れるときに匂いで気づかれてしまうため、泥や草の汁で臭いをごまかす、という風習まであるほどだ。


 侍女たちは困ったように、無言で互いの顔を見合ったあと、取り繕った笑顔でヒメを見下ろした。


「では姫様、エメロ城のお風呂というものを、実際に体験してみましょう。一階まで、ご案内しますわ」


 ここは二階だ……。ヒメはサンダルを用意してもらって、彼女たちとともに浴場へと赴いた。



 そして脱衣所で大絶叫が響いたのだった。

 着替えまでメイドの補助が入るとは思わなかったヒメは、手慣れた彼女たちのおかげで、びっくりするほど早く裸になっていた。


「あの、その、お風呂も、ひょっとして、ついてくるの?」


「はい。お背中をお流しします」


「へえええええ!! 背中って、どうしてそこまでやるの!?」


「仕事ですので」


「あの、あの、ほんっとにお気持ちだけで嬉しいよ、だから、私、私、お願いお願いお願いお風呂は一人で済ましたいの〜!!」


 しかも、ヒメは裸なのに、彼女たちは薄物の着物をまとっている。てっきりそれも脱ぐのかと思っていたヒメは、彼女たちにその気配がないことに気づいて、またも声を上げた。


「ずるいよ!! なんで二人だけ服着てるの!」


「ずるいと申されましても。これが仕事着でございますから」


「で、でも、いっしょにお風呂入るんでしょ? あなたたちは、それ着たままで体が拭けるの?」


「わたくしたちは先に湯浴みをすませましたので、お気遣いいりませんわ、姫様」


「え?」


「使用人用の共同浴場があるのです。時間交代で入りますわ」


 ヒメは目を丸くして口をぱくぱく。抗議するためのネタや言葉が出てこない。


 自分だけ全裸なんて。もうヒメにとっては虐待に近しい状況だった。


 ヒメはさっきまで太ももに巻いていたベルトに差しているナイフセットだけは、どうしても外したくないと駄々をこねて奪い返し、足に巻き直したのだった。


 硝子戸を開けると、良い匂いの湯気に視界をさえぎられてびっくり! こんなに大量の湯気を浴びたのは、初めてだった。


 さらに、緑色の大理石を削った美しい湯舟に、ハーブ系の良い香りのお湯がなみなみと揺れる光景にも、びっくり。


 さらにさらに、濡れた大理石の床ですべって転倒、膝を強打した。


「まあまあ、姫様、そんなに慌てなくても、お風呂は逃げませんよ」


「私が逃げたい」


「湯船のお湯を桶に汲みますから、姫様は椅子に座っていてくださいな」


 浴場には、丈夫なツタで編まれた椅子が置かれていた。ヒメが膝をさすりながらそこに座ると、メイドたちが交互にお湯を汲んできては、ヒメの全身を優しく濡らしていった。


(う~わ~……あのお湯が入ってるでっかい桶に、頭からざぶーんって入ったほうが早いような気がするけど……って、王族はえれがんとじゃないと息ができないんだっけ? ジョージさん)


 手慣れた他人に、全身を柔らかなタオルで拭いたり、もまれたりするというのは、非常にくすぐったいものだった。ハーブ系の良い香りのするお湯で、汗のべたつきはさっぱりと取り除かれて、硬くなった筋肉がほぐれてゆく感覚に、ヒメは目を白黒させる。


「さあ、汚れは落としました。次は湯船できっちりと温まりましょう」


 浅いのに湯船の底で足がふわついて、頭のてっぺんまでザブンと入ってしまい、ヒメは一人で大騒ぎ。ようやっとお尻を湯船の底につけて、安堵のため息をついた。


「良い匂いでしょう? 姫様」


「ハイ」


「湯船にしっかり浸かると、血行が良くなって、全身の疲労が回復し、お肌もつるつるになりますのよ」


「ハイ」


 頭がぼーっとして、無抵抗になったヒメが、事務作業のように返事をしていた。初対面の人の前で裸になった緊張と羞恥で、早めにのぼせてしまったのだ。


(うぅ、目が回って、吐きそう……もうエメロ国やだ……)


 お湯に顔半分沈めて、ぶくぶくと泡を出していた。




 今日が人生でいちばん最悪な日だったと思えば、この先どんなことがあっても耐えられるような錯覚に陥りながら、体のすみずみまで乾いたタオルでしっかり拭かれるという、あまりのはずかしめに、どうやって部屋の前まで戻ってきたのか記憶まで飛んでいた。


「姫様、よくがんばりましたわ」


「お部屋に着いたら、お部屋着を脱いで寝巻ネグリジェに着替えましょう」


「え……」


 まーた脱がされるのかと意識が遠のきかけた、そのとき、


「ヒメ様」


 親しみのある柔らかな女性の声が。気絶しそうになっていたヒメの意識が、はっと戻ってきた。


 野草の混じった花畑を模した可愛い絨毯に、大人っぽいメイドが、一人だけで立っていた。ヒメの知らぬ間に、竜殺しの騎士とともにエメロ王への絶望を阻止した、あのメイドである。


 ヒメはその雰囲気と声だけで、彼女が竜の巣の民であり、助けに来てくれたのだと察して、思わず口に片手をあてて涙ぐんでしまった。


 大人っぽいメイドは、どうやら少し上の立場らしく、他のメイドたちにヒメの明日のドレスの確認を取るように指示を出して、彼女たちを下がらせた。


「ふふふ、ヒメ様、今日はいろいろとお疲れ様でございました」


「うん、そう、私、ほんっとに、疲れた。もう寝たい、っていうか、泣きたい……」


 エメロ城での歓迎そのものが、育ってきた文化の違うヒメにとっては苦痛と忍耐に満ちていた。


 そしてもう、限界だった。


 彼女と部屋に入るなり、抱きついて大泣きした。

 小さい子みたいに、メイドの胸にうずまって、おいおい泣いた。


 号泣したのは短い時間だったけど、しゃっくりしながらメイドから離れた頃には、ヒメはずいぶん気分が落ち着いていた。しゃっくりを引きずりながらメイドに謝ると、彼女は困った顔もせず、優しくうなずいてくれた。


「お一人になりたいでしょう? 周囲に仲間が見張っておりますが、ヒメ様の視界には入りませんので、ご安心ください」


「あ、あの、ここに、いてほしいな。今日は、なんだか、その、話して発散もしたいっていうか、その、あの、今になって、いろいろなことを思い出しちゃって、頭が、爆発しちゃいそうで」


「承知いたしました。それでは、ヒメ様がお眠りになるまで、お話しいたしましょう」


「ありがとう!! 情けないわがまま言ってごめんねー!」


 優しい彼女に、ヒメは思いっきり甘えたのだった。


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