38、受かったところで
二月下旬。国立の前期試験が終わりました。過去問より問題が難しく感じて、私は不合格を確信していました。合格発表までの二週間ほどの間、ただ待つことしかできないことが、ひたすらもどかしく感じられました。
合格発表の前日に、父が「前祝い」と言ってコンビニの高いスイーツを買ってきました。落ちている気満々だった私は、父のあまりのデリカシーのなさに心の中でキレていました。「受かっているよな?」とでも言いたげな態度。もはや何もできない私にプレッシャーをかける父の行動が、ただただ無神経だとしか思えませんでした。
合格発表の当日。大本命の私立には落ちていたし、これもダメなんだろうな。そんな気持ちで薄目で確認しました。
落ちていたら父には「そんなだから落ちたんだ」とか色々と言われるんだろうな。そうしたら私立に行くことになるけど、学費をカサにまた文句を言われるんだろうな。嫌な想像ばかりが浮かんできたけれど、結果は合格。
見間違いを疑いました。実感は全くわきませんでした。
報告をしに学校まで赴き、学年主任に五分くらいかけてじっくりと「まさか受かるとは思わなかった」という旨のことを言われてやっと、あれは見間違いではなかったんだと思えました。
その夜、父は大はしゃぎでした。「今日はお祝いをしよう」と回転寿司に連れて行ってくれました。お店の中では親戚中に電話をさせられました。父に言われるがまま「応援ありがとうございました」「お正月は顔を出せなくてすみません」と繰り返しました。
それからしばらくは、肩の荷が下りた気持ちでした。合格という事実ももちろんうれしかったし、父の転職が成功したことで、奨学金を借りなくてよくなったことも一因でした。
クラス会に行ったり、友達と遊んだり、本をたくさん読んだり、ピアスを開けたり。受験からの開放感に任せて、やりたくてもできなかったことをたくさんやりました。
しかし、自由で開放的だった時間もつかの間。
突然、「いい加減にしろ」「調子に乗るな」と父がわめきたて始めました。いつもの発作的な怒りの爆発でした。
「天狗になって家事を全くやらない」と父はキレました。それを言われたほんの数十分前に、洗濯物を干したばかりでした。
「あれだけ気を遣ってやったのに感謝の一つもない」
父はそんな風に怒鳴った後、怒りに任せて親戚中に電話をし始めました。
「受かったのをいいことに調子に乗りすぎてる、あいつは天狗になってる、入学祝はやらなくていいから」
私が弁明する間もなく、そんな根回しが続きます。私は呆気にとられると同時に、あまりにも卑怯なやり方だと閉口せずにはいられませんでした。
相手にするのもばかばかしくなって部屋に戻りました。すると、父方の祖母から私の携帯に電話がかかってきました。家出を「あいつが馬鹿やってさあ」とこき下ろす、なんてのをはじめとした父の話により、私はすっかり不良娘に仕立て上げられていました。祖母はそのほとんどを真に受けているようでした。
「お父さんがあんなこといきなり言い出すなんて、あんた何したの」
祖母は怪訝そうでした。正直に言うのが何故だか憚られて、わたしは喧嘩だと言って適当に誤魔化しました。
「家事はちゃんとやってるの?」
「やってるよ、一応……」
「一応って何、ちゃんと言いなさいよ」
父そっくりのキツい言い方です。私は語尾を濁しながら、「今日だって洗濯もしたし」と曖昧に答えました。
「当たり前じゃない。いい歳の女の子の洗濯物なんか、お父さんに触らせちゃだめよ。あなたのとこはお母さんがいないんだから、長女であるあなたがしっかりしなきゃ。そこちゃんとわかってる?」
ああ、この人には何を言っても無駄なのだろう。直感的にそう思いました。徒労感に支配されて、私は反論をすることを諦めました。
「何をしてお父さんを怒らせたのかは知らないけど、喧嘩したなら早く謝って仲直りしなさい。いい?」
私は何も言わないまま電話を切りました。
私が祖母と電話をしている間、父は妹を呼びつけ、私への嫌味を聞こえるように繰り返していました。
父は母にも電話をしていました。親戚たちへのものと同じように、私が調子に乗って家事を何一つしない、ということを話しているようでした。母は話半分に聞いていたようで、その直後に私にも確認の電話をしてきました。
母に事情を聞かれた私は、家事を全くやっていないわけではないこと、父が発作的に怒りを爆発させたいつものアレだということを説明しました。
「お父さんだって色々あって疲れてるんだよ」
母は苦笑気味にそんなことを言いました。疲れているからってどんな横暴も許されていいのか、そんな風に周りが甘やかすから歯止めが利かなくなるんじゃないか。そんな私の言葉にも、母は「そうかもね」と曖昧に頷くだけでした。
あんな赤ちゃんみたいな父親、どこかに捨てられたらいいのに、と思いました。
母と電話が終わってからも、父の怒りは収まってはいませんでした。私の好きな映画の冒頭を見ては「こんなもん何が面白いんだよ」と大声で詰ってみたり、部屋に乗り込んできては「お前がそのふざけた態度をとり続けるなら入学を取り消させる」「授業料も入学金も払わない」と言ってみたり。
せっかく第一志望に合格できたのに、大学に入ってまでもこれが続くのか。そう思うと、どこまでも嫌になりそうでした。
家を出ないと私はダメになる。とにかく早く一人暮らしをしないと。そう考えてはみても、そのためにはどのくらいのお金が必要なのか、まるでわかりませんでした。母に相談をしたところで、「今のあなたには経済的に無理」「四年耐えればいいんだから」と言われるだけでした。
安い物件はないかと血眼になって探しました。まずは引っ越しの見積もりだけでも立てようと、webの見積もりサービスを利用して金額の目安を知ろうとしましたが、翌日の朝、引っ越し会社からたくさん電話がかかってきて焦ることになります。「まだ具体的に引っ越す予定はないんです」と、そのたびに弁明をしました。
馬鹿みたいだ、と思いました。
最悪のパターンは避けられても、このままじゃ今までと何も変わらないじゃないか。
こんなのがあと四年も続くのか。
途方もない絶望感に、ただただ頭を抱えました。
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