60.「欲深い魂」

 呆然と漂う暇もなく絡め取られた。

 この場を満たす負の感情が牙を剥く。黒い霧が、容赦なく僕を取り込もうと蠢く。

 僕には、コルネリス・ディートリッヒには正義がある、意志がある。だから、抗おうと……


「いい加減、認めた方がいい。……君が犯した大罪をね」


 もがいていた矢先、その声に捕えられた。


「君には同情するよ。誤ったまま進んだ道に気づくのは困難だからね」


 魂に直接まとわりつくように、ぬらぬらと覆いかぶさってくる声。


「君が悪いわけじゃない。だって、絶対に正しいと感じたものが悪だなんて誰も思わないだろう?」


 手だ、黒い手が、僕の視界を覆い隠して、。僕には肉体がない、肉体がないから、同化していく。


「だから、悲しい間違いを私は肯定しよう。……君は決して悪じゃない。人として当たり前の過ちを犯しただけのことだ」


 混ざった状態で、彼は人の形を成す。顔がない。僕は、こいつを知っている。確か、似たような感覚も知っている。


「間違いは誰にでもあることだ。他人に責められる道理はないだろう?」


 僕は、僕は間違ってなんか……いや、僕の正義は間違ってなんかない。だから黙れよ、僕に語りかけるな。唆すな。

 僕は自分の罪と向き合わないといけない。僕も罪を贖うべきだ。


「間違っていないのに罪なのかい?それもまたおかしな話だね」


 ちが、違う。間違っていたとしても、それは方法だ。確かに悪はこの世に溢れている。だから、だからこそ僕も目が曇った。だから手段がおかしくなった。


「それなら、その「悪」がどうして許容されているんだい?……ああ、そうだね……人として当たり前の「欲」を悪だと決めつけるのも、なかなかに趣深い娯楽だ」


 違う!!娯楽なんかじゃない!そうじゃないんだ!!

 黙っててくれよ、もう邪魔をしないでくれ。いったい何が目的なんだ。


「それはこちらの台詞だよ、なんたって……」


 君の正義感をへし折っておかないと、また面倒なことになりそうだからね。


 自分が罪人と罵られて、不快だろう?

 当たり前に生きていただけで悪だなんて、負け犬の遠吠えだとは思わないかい?

 私は君の生き方を肯定しよう。君の身勝手さを肯定しよう。

 だから安心して、楽になるといい。


 どうせ君の小さな正義なんて、なんの役にも立たない。


 ぼく、は、なにもできないのか……?また、何も……?


 何を言っているのやら。そもそも、必要がない。求められてすらないのに、それこそ勝手なことだ。




 ……ああ、なるほど。

 断片的に呼び出して、覗き見るのか。……イオリちゃん、だったかな。

 かわいい子だ。




 ***




 うわ、キモッ。

 あーあ、なるほど。キース?が乗っ取られてた感じかぁ。

 つか、あのおじさん、こっちのこと気づいちゃったね……。いおも危ないかも。記録だけにしとこ。

 ……ちょい待って。さっき送っちゃったメールに罠でも仕込んでんじゃない?


 ブライアン、カミーユさん宛にメモ書くから手伝って。




 ***




 カタカタと、ポケットの中でなにかが震えている。

 ゆっくりと目を開き、重い身体を起こす。

 途端に目の前を流れる、あらゆる景色。もう慣れたけど、流石に僕一人じゃ処理できない。


 そう、ボクが全力で楽しみつつ誠心誠意サポートしているから処理できるし見映えのいい情報にもできるんだ。もっと感謝してくれていいんだよカミーユ。


 サワ、ほんとに自己アピール好きだね。でもありがとう。

 何かあったの?『わが友』……もうモナミくんって呼ぼうかな。モナミくんが騒がしいんだけど。

 ……メモ?ブライアンの字だ。えっ、あの変態が動いて……うわぁ……。


 ……変態、はキミが言えることかな?まあ置いておこう。

 おそらくロバート、ロデリックに伝えるのはもう難しい。庵クンのリスクが大きくなるからね。

 もっとも、ボクたちの手持ちの情報だけでもかなりの量になる。それだけでも武器にはなるかもしれない。


 ……まずいのは、レヴィくんだね。


 おや?何とかなりそうに見えたが?


 彼は我慢強いから、見せないようにしてるだけさ。

 まだまだ足りない、殺したい、復讐したい……そんな欲望を理屈で押し止めてる。もう終わらせた、贖罪に向かうべきだ、と、無理やり自分を納得させてね。


 贖罪、か。ふむ。

 しかしだがね、この空間にルールを作り出すのは、世界にとっては大いに有益かもしれない。彼の行為もあながち間違いではないだろう?


 間違ってなんかないさ。その理想自体はね。

 ただ……

 こんな掃き溜めで過去に折り合いをつけられるなら、よっぽどの怪物だよ。


 それに関しては同意だ。

 と、カミーユ……何か予想外の動きがあったらしいね。モナミくんが騒がしい。この振動で発電すらできそうだ。


 えー、ちょっと待って?……あ、近くに誰かいる。ノエル、どう思う?


「……カミーユ、気をつけなさい。貴方には刺激が強いわ」


 僕の口で喋るのやめてって。大丈夫、多少の刺激は快感にな




 私は間違っているはずがありません。神の教えなのですから。いいえ、初めは偽物だったでしょう。本来の信仰を知らないワタシが縋りついたのは偽の姿だったのでしょう。されど、それでも神は私を見捨てないでいてくださった。だから本物なのです。ワタシは確かに神の声を聞いたのです。


 だから、これで良いのです。ここを楽園とすれば良いのです。そうでしょう……?

 そうだと言ってよ、レオ……。どうして、どうしていなくなるの。助けてくれたのはレオだけだったのに。




「びっくりした死ぬかと思った。大丈夫?僕ちゃんと僕?立ててる?たったらダメなところは静かにしてる?最高にイけそう……じゃなかった、いけないモノ見えたんだけど」


 頼むから落ち着きなさい。本当に頼むから黙りなさい。

 ……カミーユ、分かっているわよね。貴方の目的は「芸術」じゃないんでしょう?


 ……心地よい破滅と苦痛に満ちた延命……どちらがより救いになるのかな?破滅の方が救済になり得ることもあるんじゃない?


 また何か言いだしたわ……。


 ふむ、それに関してはボクが答えよう。

 当然、なるべく心地よい延命に繋げるのが救済だ。

 破滅を救済とするのはひとつの考え方だが、それは最終手段に取っておくべき秘策……というべきだろうね。

 つまりもっと踏ん張りたまえ。ご愁傷さま。


 そうだね、確かにその通……あっ、やばい。また侵蝕されそう。なにこれ凄まじく気持ちいいけど踏ん張る。


 ……おっと、近付いてきたよ。ちゃんとその目で見るといい。

 しかし……まるで点滅しているようで面白い姿だね。瞬きのたびに外見が全く別人になるなんて、魔術の類にも思える。


「……私は、間違っているのか?」


 翡翠の瞳が、縋るように揺れている。


「君が間違いだと思うなら、間違いなんじゃないの」


 渦巻くように、昏い群青に飲み込まれていく。

 はらり、はらりと群青すら覆い隠す、乱れた金髪。


「ワタシは、正しいでしょう?」


 掠れた声、衰えた容色。

 それでもその祈りは、その瞳は、変わらず異彩を放つ。


「君が正しいと思うなら、正しいんじゃないかな。……客観的視点……なんていうのも、結局は主観を束ねたものに過ぎないのさ」

「けれど、神はおっしゃいました」

「奇遇だね。僕にも女神の声が聞こえるんだ。彼女がずっと語りかけてくるんだよ。永遠に逃がさない……ってね」


 目を見開き、女はさらに歩み寄る。


「冒涜です!そんなもの、ただの幻覚でしかない!!」


 髪を振り乱し、くらく輝く瞳が迫る。

 蒼い光が交差する。


「女神さ、僕にとっては唯一神だよ。……人間らしい生を捨て去る理由になるくらいね」


 ほら、今もずっと僕を見ている。

 僕にしか見えない女神は、いつだってそこにいる。

 だけど、今は描かない背徳に酔おう。怨嗟に縛られながら、女神きみを悪魔と呼ぼう。


 俗物でありながら理想を追い、幻想に囚われ、それでも現実にしがみつく。

 ボクは、その生を好ましく思うよ。カミーユ。


「……あ、そうそう。聞きたいことがあるんだけど……いいよね?……エリザベス・アダムズさん」




 ***




「ロデリック、大丈夫か?どうやって連れてこられた」

「……えっと……分かんねぇけど、キースが突然……なんだっけ……」

「混乱してやがるな……」


 違う、違う、それはロデリックくんじゃない。

 声が出ない。抗えない。重い、悪意に押し潰されそうだ。


「……さっきの……」

「どうした、レオ。心当たりでもあんのか?」

「そいつを殺ろうとしてたっぽい。めちゃくちゃすげぇ殺意出てた」

「……ふぅん?そんなにか。ロデリックに恨みでもあんのか……?」


 怪訝そうなレニーの声。

 ニタリと、奴がほくそ笑む。違う、顔は怯えた表情のロデリックくんのままだ。

 だけど奴は笑ってるんだ。欺けるんだ。


 頼む、誰か、僕の声を聞いてくれ、頼む……!!届いてくれ!!


「……なぁ、話があんだ」


 殺伐とした空気に投げ込まれた声は、聞き覚えのある響きをしていた。

 アドルフ……?


「キースは……アイツは確かに思い込みは激しいわ、独り善がりでから回るわ、正義感はあっても器がちっちゃいわ、ろくな野郎じゃなかったけどよ」


 ……お前、僕のことそんなふうに思ってたのか。くそ、殴らせろ。ビビりでヘタレな日和見主義のくせに。


「あんなふうに喚くんなら、やっぱなんか理由があんだろ」


 ……そういえば、付き合いはそこそこ長かったんだった。


「……そんな気がしなくもねぇ……かも……しれねぇ」


 ああ、そうそう。お前はそういう奴だよ。前からそういう奴だったよ。


「……けどよ、アドルフ。人間なんざ分からねぇもんだぜ」

「そ、それに理由ってなんだよ。あいつも結局人殺しなんだろ……?」


 レニーの言葉に便乗する「ロデリック」。

 そこで、獣の視線が動いた。


「……おし、おめーは気に食わねぇ」


 レオナルド、気づいたのか……?馬鹿だとは思うが、案外察しがいいところはあるから……


「なんとなく気に食わねぇ。ぶっ潰す」

「やめとけ兄弟。てめぇのぶっ潰しはシャレになんねぇ」


 ……やっぱりただの馬鹿だった。




 コルネリス、期待するだけ無駄だよ。大人しくしているといい。

 私にも、どうしても欲しいものがあるんだ。


 ここから抜け出したいと思ったことなんか一度もない。

 他人の悪意なんて利用すればいい。

 誰が苦しもうが、誰に恨まれようが知るものか。


 ロジャーの存在はもう少しで消せる。

 誰の記憶からもいなくなれば、ローランドが演じる必要もなくなる。

 そこまで進めば、いずれ私の願いも叶う。


 ……何が欲しいのか、とでも聞きたいのかな。教える必要はないけれど、そうだね……。


 コルネリス。君なら、少しは理解できるかもしれないものだよ。




「コルネリス」の意識が闇に閉ざされていく。

 声は、誰にも届かない。

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