53.「顔をなくした男」

 あいつの目的とか知らねぇよ。意味わかんねぇんだよあいつ。

 欲しいものはどれだけ粘着しても手に入れるし、そのくせ手に入れたら興味失くす。

 ……胸糞悪ぃからあんま言いたくねぇけど。女関係とかだいたいそんな感じ。しかも相手選ぶんだよ。親いねぇやつとか食っては捨てんだ。ふざけてんだろ。


 ……でもさ、思うんだよ俺。あいつが本当に欲しいもんってまだ手に入ってねぇんじゃねぇのかな。

 何が欲しいとかはわかんねぇんだけど……。いや、マジで何が欲しいんだろうな、あいつ。




 ***




 目の前に広がるのはひたすらに、闇。

 ぼんやりと見える影が口を開く。僕は喋れない。


「……忘れて逃げれば良かったのに。君は優しい子だね」


 甘い言葉に、寒気がした。

 ロジャー兄さんがただ憎いだけなら、存在すら消す必要なんかない。

 僕の記憶にまで呪いを散りばめ、自分の存在を上書きって何……?立場を乗っ取りたい……?いったい何のために?


「それほど憎いからだよ。教えてあげよう。彼が私に何をしたのか」


 ……ここはどこ?……あれ、見覚えがある。

 ……ロー兄さん?どうしてここに?


「ロジャーは、実の弟によく暴力を奮っていた。私は止めようとしたのに話を聞かなくてね……。ああ、もちろん君の前では隠していたよ」


 殴られたロー兄さんが、ぐったりとロナルド兄さんの目の前で壁にもたれている。これは、過去?記憶?たぶん、まだ10代の前半頃。


「ローランドはお人好しだからね。殴られてもやり返したりしなかった。私が何度も話を聞いたけど、ロジャー兄さんも大変だから、と言って聞かなかった」


 ……確かに僕の家は厳しかったし、兄さん達も早死していた。

 母さんも彼らについてあまり話さなかった。けど、母さんは僕が学者になることを応援したし、父さんのことも説得してくれた。

 兄弟喧嘩をしていたらさすがに止めるんじゃ。


「はは、実の息子にお前が死ねば良かった……と、叫ぶような母親が?」


 ロー兄さんに向けて、泣き叫ぶ母さんの姿が見える。

 ……それは、まあ、そうだけど。


「話を戻そう。母に疎まれ、兄にも暴力を受けたローランドが世界を嫌うのは当たり前だろう?」


 見えたのは、虚ろな瞳で横たわるロー兄さんの姿。ベッドの傍らに立つロナルド兄さん。

 確かに、必然性はある。


「ロジャーはプライドの高い男だ。いつも私を見下していた」


 横柄な態度で、「土産だ。有難く受け取ってよく味わって食いたまえ」なんて言う兄さんの姿。

 うん、プライドは高かった……けど……


「だから、私が成績を超えることを許さなかった。事故に見せかけて顔を焼いた」


 立ち尽くすロジャー兄さんと、蹲るロナルド兄さん。

 ロジャー兄さんの手には酒瓶とライター。

 え?それは知らな──


「挙句の果てには私の恋人を戦場で死なせたのを責任転嫁してね、私が狙撃の腕前で上回ったから傷を負うように仕向けた。それがロジャー・ハリスという男だ」


 待って、そんなにまくし立てられたら混乱してくる。映像?回想?記憶?そんなのも早くてよくわからない。目が回る。


「ロジャーは悪人なんだよ。私は彼が憎くて仕方ない。……君もそうだろう?嫌いなんだろう?彼がいなくなったことでローランドは死んだ。殺されたんだ」


 待ってって。ちょっと待って。


「そうだろう?ロバート。聡明な君なら分かってくれるね?」


 ……でも、兄さん達、そもそも前線行くような立場じゃないよね?士官だし。

 一瞬、息を呑む音がした。


「……ああ、確かにそうだね。基本はそうだけど、君は現実を知っているわけじゃないだろう?有り得ないとは言いきれないはずだ」


 えっ、そんなこと言われても、


「世間知らずのくせに何を生意気な口を叩いているのかな?何も知らなかったくせにね。君がもっとしっかりしていたらローランドも死なずに済んだのに」


 …………


「君は昔からそうだ。口ばかり達者だけど実力が伴わない。……ああ、そうそう、無謀な熱意だけは人一倍だった」


 そうか、そうだった。この人は、


「だけど、すぐにわかる。根は素直だからね。君のためにもなる話なんだ。……さぁ、もう一度──」


 昔からこういう言い方でネチネチネチネチ言ってきて口喧嘩になったんだよね。


「ロジャー兄さんがそんな非合理的なことするわけないって前も言ったよね?ロジャー兄さんプライドも意識も山のように高いんだよ?八つ当たりとかそんな無駄なこと、わざわざするわけないじゃん。ほんと嫌なことばっかり言うんだよねロン兄さん。混乱して墓参りすら行けなくなってたのどうしてくれんの?いや大っ嫌いなのは変わんないけどさ!!!」


 涙目で喚く、幼い頃の僕が見える。やっと声も出た。

 そうそうそうそう。この人のこういうところムカつくんだよね。すぐ嘘つくし。すぐ僕のことバカにするし!!


「……流石に幼い頃のようには行かないね」


 舌打ち?喧嘩売ってるのこの人?


「厄介だ。無駄に知識がついたらしい」

「そんなのだからロジャー兄さんの腰巾着って言われるんじゃないの?」


 あ、


「……なんだって?」


 やばい。地雷踏んだ。殺られるかも。この人に言い負かされたら結構きついしどうしよう。


「君も所詮はロジャーの恩恵に預かった末っ子に過ぎないんだ。もう少し先達に感謝をした方が君のためになるはずだよ?世間知らずは矯正する必要があるね」

「世間とか知らなくても生きていける。……兄さんが相次いで死んでる僕の気持ちにもなってよ……」

「ローランドも不憫だ。お守りをさせられた挙句に……」

「……ロー兄さんに嫌われてたくせに?」


 その言葉が閃いたのはなんとなくだった。

 うん、兄さん心の中ですごく罵倒してたし、間違いない。


「…………」


 えっ、黙った?嘘、効いた?それ弱点なの?そこ?


「交渉しようか。その方がいい」


 誤魔化すの上手だけど、やった、初めて勝てた。

 ……油断したら声がまた出ない……。


「君は勘違いをしているようだからひとつ言っておくけれどね、私はただ欲を満たしたかっただけだよ。大きなことは望んでいない」


 それ、単にクズいことしたかっただけじゃないの?


「人を殺したことだって1度しかない」


 それ、あるよね……?


「……2度だったかもしれないけれど、大した問題でもない」


 大問題じゃないかな。


「カミーユに関しては事故だからね。ちょっと話を聞こうとして薬の配分を間違えただけだよ」


 事故じゃなくないそれ?ダメなやつじゃない?


「いちいちうるさいね、君は」


 えっ、僕悪くなくない?というか、心の声もわかるんだ?


「……私も出たいんだよ、ここから。だけどさすがに因縁が深すぎる。今のままでは無理だ」


 あ、話題逸らした。


「だから君を身代わりにしようと思ったら、生憎と好かれていた。まったく、これだから若さをステータスにする人間は」


 いやそれ若さ関係ないからね?


「前から少しずつ手をつけてはいたけれど、ロジャーに成り代わるのも無理がありそうでね……」


 そもそもが抜け出すためなの!?


「元々はロジャーの悪評を広められたらそれで良かったんだ。私の名前には傷がつかないからね」


 うわ、この人最低だ……。


「まあ……やりすぎたけれど」

「ロー兄さんに嫌われたの?」

「黙っててくれるかい?ローランドのことは今関係ない」


 わかりやすっ。弱点わかりやすっ。


「君のことはやはり苦手だ」

「ごめん、全部ロン兄さんが悪い気がする」

「……私は恨まれる側だ。呪う側じゃないし、呪うなんてコストの高いこともする気はさらさらない。目立たずお零れをいただくのが賢い生き方じゃないかい?」


 堂々と言えることなのそれ?


「私はこの街から抜け出したい。死者である以上、このままでは永久に呪われかねないからね。怨念と同化したらどうするんだ」


 同化しとけばいいのに。


「私の悪意だよ?同化して負の感情だけになったら始末に負えないに決まっているじゃないか」


 開き直らないでー!?


「それで交渉だ。協力はするから、昔馴染みとして便宜を図ってくれないかな」


 酷い!これは酷い!!


「じゃあ、一体彼らに何をしたの?」

「それは今必要なことかな?」

「必要なことでしょ」


 都合が悪くなったら舌打ちするの本当にやめて。


「……レヴィが幼い頃に……まあ……。……可愛かったから仕方ない」


 なんて?


「ローザがドイツの不動産に手を出したから見に行ったら、とんでもない美少女がいた。もちろん気になるじゃないか」


 美少女って言わないであげて。


「近くに孤児院があったから暇があれば見に行ってたんだけれど、そんなイモムシに比べたら蝶のサナギだったよ」

「ごめん最低すぎるし聞いた僕が馬鹿だった」


 そりゃあ恨まれるよ!!!


「捕まえておきたかったんだけど、ロジャー……いや、実際はローランドか。彼に邪魔をされてね」

「それで嫌われたの?」

「違う。その前からとっくに……この話はやめようか」


 弱点は覚えたからね?


「レヴィが逃げたらバレるだろう?」


 本音がゲスすぎる……。


「それに、飼い主に楯突くなんて生意気じゃないか」


 ゲスすぎる!!!これ詳しく聞いたらダメなやつ!!


「普通に幸せになれるような身体でもないだろうし」

「それはいくらなんでも偏見が酷いんじゃないかな」


 そろそろ聞き捨てならなくなってきた。


「数年かけて見つけたんだけれど……知り合いらしき絵描きに話を聞こうと薬物を盛ったら死にそうになる……なんて、思わないじゃないか」

「いや、ダメだよ……精神病んでる人に神経に作用するやつはやばいよ……普通に殺人だよ……」


 悪質なストーカーお前かよ……本当に悪質だったよ……。


「……ああ、それで……。隠匿する方法を探していたら首が既になくなっていてね。目を離したら片腕もなかった」


 それは確かに怖いけどさ……。……ああ、前ちらっと聞いたけど、あの人、神経が麻痺するのが嫌で落としたってこと……?最終的に四肢全部やったのか……リスク高すぎることしたんだねカミーユさん……そっちもそっちですっごい……。


「……死体処理にロー兄さん使おうとしたでしょ?」

「……そうだね」

「拒否されたの?嫌われてたから」

「ははは、君も口が回るようになったね。思いっきり火をつけられたよ……!」


 さては、さっきの捏造映像の元ネタそれだろ。


「顔面は10代の時に焼かれたんじゃ……」

「誇張だよ。ちょっと額に火傷をしたのを、こう……」

「……戦場云々も誇張?」

「……倉庫で爆破事故は起こしたね。看護婦が1人亡くなったから恋人だと説明した」


 この人、本当に殺されても文句言えない気がする。

 というか死んだ方が世の中のためになるよね、この腐れ外道。


「ロジャーが悪いんだ。私より評判が落ちるなんてあってはならない。……私が責任を負うことになるじゃないか」


 まあ、戦時中じゃなし、評価されるのがどっちかって言うのは分かりきってるよね……。

 もう突っ込みにも疲れてきたけど……。


「だから、私が傷を負ってまで活躍の場を与えた」


 すごい、本当に何一つ擁護できない。


「……それなのにあっさり、階段から落ちた程度で死ぬなんてね」

「……ロナルド兄さんが殺したの?」


 それは、聞いておきたかった。病死ということになってはいたけど、頭を強く打ってたら……そんなの、分からないんじゃないかな。


「私じゃない。母だ」

「……え?ドーラさん?」

「あの人は他人の不幸がこよなく好きだからね。……泥酔させて転ばせようとした……くだらない悪戯心だよ」


 そんな、ことで、


「……さて。これで分かったかい、ロバート」


 何を?

 何を、分かれって、理解しろって言うんだ。


「小さな悪事を積み重ねてきた人間はざらにいる。……私はたった1人や2人でも直接殺しているから、まだわかりやすい方だ」


 カミーユが嘆いた、「完全犯罪」。

 キースを失望させた、本物の悪意たち。

 有り触れた、凡庸な感情が、人を殺す。


「何がいけないんだ。彼らが愚かだっただけなのに」


 あまりにも身勝手で、あまりにもおぞましい──


「へぇ、」


 その声が、暗闇を確かに震わせた。

 地震、いや、地鳴り……殺気?

 ビキッと音を立てて、光が一筋、差し込む。


「……答えてくれや」


 鎖された暗闇をかき分け、いかめしい腕が伸びてくる。


「殺ったらよ、そのぶん殺られていいってことだよなぁ?」


 がっしりと腕を掴んだその手が、僕を外に放り投げる。ボール遊びのように軽々と投げられて、それでも慌てて受身をとる。

 眩しい。目が眩む。

 ゆっくり目を開けると、黄ばんだ壁の廊下に裂け目ができていた。


「どこにいるか見っけたぜ、カス野郎」


 鋭い犬歯をむき出し、金髪の男……レオは裂け目をこじ開ける。

 ぎらつく瞳は、狩る獲物を定めていた。


「……ロバート」


 舌打ちすらせず、ロナルド兄さんは、


「私の持ってる情報は有意義だと思うかい?」


 この期に及んで、を続けた。


「当然、思うだろう?」


 自信に歪んだ口元に、下卑た嘲笑。

 ……腹は立つ、立つけれど……。

 優先するべきは、そこじゃない。


「……レオさん、殺すなら利用してからで」

「あ?こいつが利用されるタマかよ」

「…………ロナルド兄さん、ロー兄さんが確か、性根が腐っ」

「アンジェロもこの街にいる」


 待って、間発入れず情報出してきた。


「けれど、覚えているね?」


 ……きっかけの、メールを思い出す。

 Angelo、は……セーフなわけがない。


「……どこだ」


 レオの顔色も変わる。ほとばしる殺意をほんの少し弱め、大人しく耳を傾ける。


「迷い子の森だろうね」


 その響きを僕は、どこかで……


「……その場所が交差点だ」




 苦悩した絵描き「殺人絵師」とその弟「亡霊ヒトキリ」。

 その友人「レヴィ」を弄び、「殺人絵師」の生を戯れに奪った商人「顔のない男」。

「亡霊ヒトキリ」を保護し、「レヴィ」を作り上げた過去を悔いるのは「片腕の警官」。

 女社長「強欲商人」は「顔のない男」とおそらく手を組んでいて、「片腕の警官」および「キース・サリンジャー」の罪に加担。

「顔のない男」、「強欲商人」に利用されたのはとっくに自我をすり減らした「さまよう軍人」。

「寂れた医院」は、まだぼんやりとしているけど、少なくとも「亡霊ヒトキリ」とは関わりがある。

「赤毛の娼婦」は、「レヴィ」を生み出したもっとも大きな存在。

「路地裏の血濡れ獅子」と「透明ギャンブラー」は、その隙をついて無理やり割り込んだ異分子。


 僕ら兄弟がうっすらと知る「敗者の街」と、レヴィやアドルフ、キースが知る「迷い子の森」、そして、カミーユたちが創り上げた幻想。

 絡んだ因果が指し示す、交差点。




「創世にAdamEveが存在するのなら、さしづめ祭祀Leviといったところかな」


 空間が閉じる。

 ……そうか、僕、カミーユに自分で言ったじゃないか。

 本能から身を守るための大義は……。


 時に、宗教

 時に、法律

 ……時に、正義


「行こう、レオさん!」

「あ?」

「また、彼と会わなきゃいけない!」


 きっと、そこまで遠くには行っていない。彼とはまだ話が通じるはずだ。だって……




 ──そうだ。ロバート、お前に罪はない。


 視界に、黒い塊が映った。ゆらりと揺らめいて、人の形を成す。


 ──だが……


 レオの背後に血色の髪が現れる。ニタリと嗤う、長身の男。


 ──死にたいようだな


 鬱蒼とした森を思わせる緑。それは、今度こそ僕自身に向けられていた。

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