37.「亡霊ツジギリ」
殺人鬼の噂って、どこにでもあるもんだけど……だいたい武器が特徴的だったりしない?
アイスピックとか、チェーンソーとか……。そんで、あいつの場合は日本刀だったってことかな。
……なんで亡霊かって言うと、霊が人間に取り憑いて人を殺したから……だって。
幽霊が取り憑いたから、なんて、本人が言ってたら嘘くさかったろうけど、あいつの場合そうじゃなかった。
……普通、あれは……霊が取り憑いた……なんて理由がなきゃ、そもそも
***
電話先の声色は、心配と恐怖と焦りと……とにかくあらゆるものでごちゃごちゃになっていた。
「大丈夫だから!本当に!たしかに首は取れたけどちゃんとくっついたし!」
『むしろ大丈夫要素が見つからねぇよ!?』
「まあ……ゾンビみたいなものだと思ったらいいんじゃないかな……?」
『いやいやいやいや怖ぇだろ!!!』
ロッド兄さんの言うことももっともだと思う。
あー、そう言えばロッド兄さん、昔から心霊系よりグロ系のが苦手だったような……。
「……とりあえず!そっちは何かあった?」
『同じ名前のカミーユってやつが、首なし四肢なしな死体で見つかった記事見つけたけど……首落ちたとこ見てたなら意外でもねぇだろ…… 』
確かに。
「えーと、じゃあ……「ある罪人の記憶」系統のメールは?この前レヴィくんの家から電話した以降、なんかあった?」
『…………転送する』
「あ、ありがとう」
『………………兄貴とか絡みのも、送っていいよな?』
即答は、できなかった。
「……むしろ、一番大事な気もする。僕らにとってはだけど……」
『……おう、分かった。……なぁ、ロバート。俺、ずっと言わなきゃって思……』
声に、ノイズが走った。
『…………姉さ……じゃなくて、死…………本当は……』
聞き取れない。
「ロッド兄さん、電波が……」
「え?ここ、他より邪魔入りにくいのに?」
黙っていたグリゴリーの声で、ノイズが消え、声がクリアになった。
『ローザ姉さんは、生きてんだよ。……死体で見つかったのは、俺らのお袋だ。ハリス家のナタリーさんじゃなくて……ドーラ母さん……』
どうして、わざわざそれを黙っていたのか。
そもそも、なぜ、突然ノイズが消えたのか。
『そんで……ロジャーさんは……』
またノイズ。うるさいな。誰が邪魔をしてるんだよ。
「……ロバート、君だろ」
その声は、僕の口から聞こえた。
キースには、もう僕のくせがわかっている。
『……?どうした、ロバート』
「え、い、いや、なんでも……」
再びノイズが消えた。
『…………もう一度言うぞ。ロジャーさんはな』
調書として見つけたものを、なぜ、あんなにあっさりと信じたのか。
それが本物とは限らないのに。
『お前が……ガキの頃、事故で……』
──お前達のような愚か者にはわからない
その言葉を聞いたのは、いつだったか、
「嘘だ!!そんなわけない!!」
どうして、こんなに、恐ろしいのか、
「あのロジャー兄さんが死ぬわけない!あんなに……あんなに偉そうで、頭が良くて、優秀で……!」
『…………覚えてねぇんだな、本当に』
わからない、わからないのに、
悲しげな声が、胸を刺す。
『ロー兄さんが軍隊に行く前、ナタリーさんが』
やめて。
聞きたくない。
嫌だ。
……だけど、現実から逃げてたら、変わらない。
変われない。変えられない。
『「お前の方が死んでたら」って……言ってたからさ。……たぶん、それで……あんなことに……』
母さん?なんで、そんなこと。
だって、ロー兄さんも家族なのに。
『それで、しばらくうちの方のクソ兄貴が、ロジャーさんのこと、誤魔化してて……』
……あれ?
──ロジャーはとっくに家を出たよ。今頃、ドイツかなにかで新たなことを始めているだろうね。
兄さんを蝕んだ呪いは、果たして、
──ロジャーが死ぬわけがない。それは君が一番よくわかっているはずだよ?
誰がかけたものだったのか。
──黙りなさい!貴方達のような愚か者にはわからないわ!!
……その叫びは、少なくとも「兄さん」のものじゃない。
『……ほら、それでロー兄さん、俺が一人暮らしするの手伝ってくれて』
知ってる。ロー兄さんは優しいから、僕が陸軍学校を中退するのも許してくれた。
……それで、背負い込みすぎて……
「……あー、その話、今やめとかない?」
グリゴリーの声で、沈んでいた思考が現実に戻ってくる。
「まあ……ずっと逃げてるのはダメだけどさ。……何でも、一気にはダメじゃないかなぁって……」
「……でも」
「悪いけど、そんな真っ青な顔されてたらね?医者として「そのまま話しとけ」とは言えないっつうか……」
バツが悪そうに腕を組んで、グリゴリーは深いため息をつく。
「……ちょっと休んどかない?庭とかで」
その提案は、心底ありがたかった。
「……ロッド兄さん、ごめん。ちょっと休むね」
『……いや、俺こそ……ごめん。……忘れときたいことも、あるよな』
忘れたままの方が幸せなこともある。
それは事実だろうけど、
結局のところ、忘れたままにする方が不可能だ。
「……たぶん、放置しすぎて膿んでんだよ。……早めの処置ってのはもっと前にするものだから……。まあ、とにかく、向き合うにも覚悟と準備してからな」
その言葉に背中を押されて、庭に続く扉を開いた。白い霧が視界を覆い……思わず、目をつぶった。
「…………湖?」
再び目を開くと、静かな湖畔に、生い茂る緑、煌めく木漏れ日……。
1歩、1歩と、「その世界」に足を踏み入れる。
振り返る人影。癖のついた亜麻色の髪、端正な顔立ちが、誰かを彷彿とさせる。
澄んだ青い瞳に、見覚えがあった。
「君……この前の……」
お弁当をくれた時は黒髪だった気もする。
……ああ、そうか。グリゴリーが庵に聞いた、「中にいる」っていうのは……。
「君が、ブライアン?」
コクリと、青年は頷いた。カミーユより身長はかなり高いけれど、仕草のせいかどこかあどけない。
「…………ことば」
綺麗な声だった。
一言一言が、心に染み入るように、響く。
「言葉、通じない……不便、だと……思う」
「う、うん。確かに、混乱起きやすいし……」
「ここ……通じない。僕、英語……苦手。ごめんなさい」
カタコトで話す青年は、申し訳なさそうに俯いた。
……言われてみれば、あの街はそこも特殊なのか。言語体系も別々なはずなのに……何故か通じてる。
……負の感情で作られた場所なのに?
「……未練」
「えっ、何?」
「僕……いや、だった。一人、さみしい」
子供のような声音が胸に沁みる。
心地よい風が、青年の長髪を揺らす。前髪で隠された左目には、大きな傷があった。
10年前の暴行事件の被害者。
当時15歳だった少年は、今、ここにいる。
「……未練、後悔……えと、マイナス……だと、思う」
彼の孤独も、あの街に影響しているというのなら、
あの街に満ちているのは悪意だけだろうか。
「……亡霊辻斬りって、君のこと?」
そうとは思えなかったけど、聞いてみる。
青年は泣きそうな顔で……ゆっくりと、頷いた。
「…………ここ、だと、身体、ない。だから……わかる」
廃人状態になってしまったという、少年のその後を、どこまで知っている人がいるだろう。
「身体、あると、僕……こころ……気持ち、わからない」
……なんとなく、共感できた気がした。
隻眼から、ポロポロと涙が落ちる。透明な雫を集めて、この、
「斬った、のは、たぶん……わかりたかった、から……。奥で動くの、なにか……知りたかった」
自分の罪悪感を他人事のように感じていたのかもしれないし、もしくは、本当になにかに取り憑かれたのかもしれない。
……とても哀しいことだと、それだけがわかった。
「……ここは、どこ?」
「…………ここも、街の一部。……僕が、いれる……場所」
辻斬りなんて言葉が似合わないほど穏やかな青年と、落ち着いた場所。
……人の悪意に呑まれないために、ここにいるのかもしれない。
「……君を、助けて欲しいって……その、兄さんが」
「…………間違えてる。僕、「そっち」じゃない」
ふるふると首を振り、僕を見た瞳は、青く、碧く澄んでいて……
「僕、助ける……決めた。つぐない、ならなくても……したい、から」
確かな決意に満ちていた。
「……お兄さんは、あの街で、何をしてるの?」
てっきり、カミーユが救いたい相手がブライアンなのだと思っていたけど、それだけじゃないと感じた。
「…………兄さんのも、未練。……兄さん、が、したい、のは……たぶん……片付け……?」
「……過去の精算、ってこと?」
「ん」
カミーユは、僕と目的が合致していると言った。
僕だけ、または僕とロー兄さんだけ助けて逃がす道も探している素振りもあったけど……彼の本意は、そこにはない。
「僕、ただの、手伝い。……でも、僕、諦められない。……生きてて、欲しかった、から……」
この兄弟に何があったのか。僕にはわからない。
だけど、その気持ちは痛いほどわかる。……僕だって、生きていて欲しかった。
兄さん達に、生きていて欲しかった。
「悲劇、にする……簡単。……だけど、だめ」
拳をキュッと握って、声を絞り出す。
「できごと……終わる。でも、哀しいの……ずっと、終わらない。それは……それは、だめ」
忘れた方が楽だろうに。逃げることもできるだろうに。
それでも苦しげに、必死に、伝えてくる。
「……僕はロバート。よろしくね、ブライアン。……たまに、話し相手になってもらっていい?」
「ん、僕……お話、苦手……だけど……がんばる」
「うん、ありがとう」
「ブライアン=ピエール・バルビエ……えと、ローランドさん、たぶん……」
「うん、きっと、君のことも安全だと思ってる」
「……そっか」
嬉しそうに微笑んだ表情からは、血塗られた過去など想像できない。
けれど、彼は忘れていない。自分の罪と向き合って、それでも潰れることなくここにいる。
それがどれほど壮絶なことか、僕にはわかる。
「……ところで、君にとってカミーユ……さんって、どんな人?」
「兄さん、優しい」
「そ、そうなんだ……優しいんだね……」
「それで……ちょっとヘン……?」
「まあ、確かに変な人だね」
「あと……性的に倒錯してる……らしい……」
「……一応聞くけど、意味はわかってる?」
「わかんない」
よし、教えないでおこう。成人男性とかそういうのは置いておいて、教えたくない。
「僕……15歳の時から……ない……から、わかんない」
「…………たぶん、あってもわからないと思うよ?」
「……レヴィも、教えてくれない……」
「う、うん……せめて、彼には聞かないであげよう……?」
何がないのかとか、そこは深く聞かないでおこう。
……想像したらすごく痛いし。
「……何はともあれ、頑張らないとな。僕も」
「……?違う……」
「え?」
「ロバート、たぶん、もう頑張ってる。……から、えと……効率よく、頑張る、とか……だめ?」
あたたかい、言葉。
「……ううん。むしろ……すごく、大事なことかも」
「ん、応援……する」
木漏れ日差し込む湖畔に、霧が立ち込める。
いいや、元から……霧の中にいたのかもしれない。
「またね、ロバート」
ぶわりと風景が霧散して、閑散としたテラスになる。
……枯れ草と蔦が生い茂るその場所が、先程までいた医院の一部だと、よくわかった。
頬に伝った涙を拭う。
「……ありがとう。たぶん、落ち着いた」
診察室に戻ると、グリゴリーはなぜか辞書を開いていた。
「……あ、帰ってきた?……亡霊ツジギリのね、「ギリ」ってなんだと思う?辻、が道とかだろ?義理?錐?」
「あー、それは、辻斬りっていう言葉がそもそもあって……。……霧でもいい気がしてきた」
「……霧、かぁ……。……ちょっとわかるかも」
その霧の中で、かつての「辻斬り」は贖罪を続けている。
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