25.「キース・サリンジャー」

 人の名前が都市伝説になることだって、よくあることじゃない?偉人とかもあるけど、そうじゃない場合もあるよね。

 大体が平凡とかありきたりな名前。後は何かしらのイメージを与える名前。

 例えばキースなら、何となくいいイメージを持つ人が多そうな気もする。たぶん語感の関係かもしれないけど、まあ雰囲気的に「正義漢」っぽいよね。何となく。


 そういうことじゃないのかな?都市伝説……ってほど大規模じゃないか。噂における「キース・サリンジャー」って、さ。




 ***



 カミーユの家に一泊した後、明らかに寝不足気味な彼にお礼を言って警察署に向かった。

 アドルフさんが玄関に佇んで煙草を吸っていたから、何となしに挨拶を……


「どうも、今日も取材に」

「……は?誰?」


 しようとして、出鼻をくじかれた。あれ?怪奇現象の取材って話を通し……てた……気が、するんだけど……。


「……ロバートですけど」

「……あー……」


 靴で煙草の火を消しつつ、首を捻ってる。何だろう、また何かしらの嫌な予感がする。


「茶髪に青い目のロバート……?」


 うん、確かに僕の外見は茶髪に青い瞳だけど、むしろハリス家の兄弟全員そうだけど、それがどうしたんだろう。


「……あの、忘れてたらすんません。どちら様で?」


 本当に記憶にない様子で告げられる。

 ……ん?待てよ?

 カバンを開いて、ロッド兄さんからの原稿を確認。


 あれ?金髪に明るい茶色の瞳?待って、全然違う。

 自分の髪色とか瞳とか見慣れてるし当たり前すぎる……はずだけど、完全にスルーしてた。いつの間にこんな……。


 そこで、アドルフさんはおもむろに踵を返し、エントランスに早足で向かう。慌ててついて行ったところで、置いてあった鏡を見た。その瞬間、茶髪で青い瞳に童顔の僕と……金髪で茶色い瞳に童顔の青年の面影が、混ざるように重なった。


「……!」


 上の方からゴクリと唾を飲む音。そうか、彼がこちらを凝視していたのは品定めではなく、どこか態度が素っ気なかったのも、舐めていたわけではなく


 僕に、怯えていたんだ。


「……あの、僕はキースじゃありません!」


 何かに飲まれそうな感覚を、懸命に振り払うように叫んだ。


「……知ってるよ、んなもん……」


 その声は、隠しきれずに震えていた。


「何回俺のとこに来たと思ってんだよ「左遷で上司になったキース・サリンジャー」がよ……!しかもみんな金髪で茶色の瞳!!顔立ちは違っても歳はみんな32!!どう考えても呪いかなんかだろ!!」


 感情が爆発した声。僕が「ロバート」に戻ったことで、何かが溢れ出したらしい。

 ……ロッド兄さんが、データの上ではあえて僕の年齢でもキースが告げた年齢でもない「30」にしていたから、その違和感が早めに戻るきっかけになったのかも。


「……アドルフさん。キース・サリンジャーって、誰なんですか?」

「……噂だ……」


 かなり参ったような声色で、片方しかない手で顔を覆う。


「……最初は、警察の中でのちっぽけな噂だった。「キース・サリンジャー」は、アメリカの警官で、上司の不正を暴いたことで殺された正義感溢れる男……無念の死を遂げたそいつは……「不正のあるところ」に現れる……そんな感じのありきたりな噂話で、まあ、くだらねぇと思ってた」


 自分を落ち着かせるように、彼は胸ポケットの煙草の箱に手を伸ばす。


「……と、いうことは、不正でも働いたんですか」

「……俺だけじゃねぇよ。みんなやってた」


 何だよ、そんな……ありきたりすぎる言い訳。

 強面でイカす男のように振舞っていたからこそ、意外だった。サングラスがずれていることにも気づかず、彼は煙草をくわえる。金の瞳は、明らかに恐怖で揺らいでいた。


「……数年前の1月、本当にヤツはやってきた。名前は確かにキース。正確にはコルネリス・ディートリッヒ……いいところのボンボンで、エリート。オランダ語のコルネリスってのを愛称にして、「キースって呼んでください」なんて、挨拶したのを覚えてる」


 確かに、オランダ人名のコルネリスは、愛称でケースと呼ばれる。そして、英語が多くの国でスタンダードな言語である昨今、キースと名乗る人も多い。


「正義感の強い……っつうか、クソ真面目な男だったよ、アイツも」


 うまく火をつけられず、煙草がぽとりと落ちた。……話し始めてからこれで三本目。恐怖がカンストしているんだろう。……それでも、自分に都合のいいことしか言わないのか。


「……殺したんですか?」

「……」

「殺したんですよね?」

「……上が、殺れっつったから……」


 ボソボソと話す声に、覇気はなかった。


「あの、悪いとは思わないんですか?」


 思わずカチンと来て、詰め寄る。アドルフは少し考えてから、やはり弱った声色で言い放った。


「なんで、周りが当たり前にやってんのに、悪ぃって思わなきゃなんだよ」


 …………閉鎖空間は、人の感覚を狂わせる。

 そして、「普通の人間」であればあるほど、順応してしまう。

 その、異常な「当たり前」に。


「……その、腕はどうしたんですか」

「……トラックに轢かれた。入院中に「迷い子の森」みてぇな悪夢を頻繁に見てたが……いつの間にか現実とひっくり返ってた」


 迷い子の森……その噂は聞いた覚えがある。

 彼にとっては、この街は「負け組が集まる敗者の街」ではなく、「悪人が連れてこられる迷い子の森」なんだろう。


「……あん時も、足を引っ張られて轢かれたんだよ。……でもよ、なんで俺だけなんだよ!他にもたくさん」

「そういうのはいいですから。……キース……コルネリスさんの方のキースに、恋人はいましたか?」

「…………フランスの大学で会ったサラ?だっけか……そういう女に惚れてて何回も告ったってのは聞いた」

「サラ……。……サーラ……」


 繋がった。キース・サリンジャーは、「不正な警官を罰する怪談話」だが、何度もアドルフの前に現れる人物は確かに実在する。そして、彼は自分を殺した男を追い詰め続けている。

 つまり、僕をここに呼んだのは……


「僕は、お前に復讐したいわけじゃないよ」


 勝手に口が動きだした。僕の口から、誰かが言葉を紡いでいる。


「確かに恨みはあるし、僕の物語もいずれロデリックくんに書いてもらわないと納得できないくらいだけど……僕が許さないのはあくまでお前の不正と不誠実さだ」


 ペラペラと、僕の口をついて出てくる言葉。横目で鏡を見る。

 ……鏡の中では、金髪に茶色い瞳の男が、冷たい視線で口を開いている。


「でも、お前に復讐したいやつも確かにいる」

「誰なんだよそいつ!?俺はここから出れねぇんだぞ!?」

「……そういう風にしたのが誰か僕には分からないけど、同情はしない。自業自得だ。……僕はここに来たロバートくんの体を使おうと思っただけだよ」


 ……待って。じゃあ、僕を呼んだのはまた別人ってことなのか?

 だって、ロッド兄さんのメル友も、メールを送った相手も、「キース・サリンジャー」なのに?


「まあ、僕もようやく自分の正体を思い出せた。だからと言って、何ができるわけでもないけど。……ご愁傷さま、アドルフ。お前はもう少し自分の罪を悔いるべきだった」

「……ッ、今更……言われてもよ……どうしようもねぇだろうが……」


 項垂れるアドルフ。……少し哀れにも思えるけれど、きっと、自業自得と言えるほどのことをしたんだろう。

 ……この建物から出られないのか。だからあの画集も誰かに頼まないと手に入らなかった……。


 すぅっと、僕の体の中から何かが抜けていく感覚。


「……僕も、因果応報だとは思います」


 膝から崩れ落ちたアドルフを見下ろす。


「……自分が悪党だってのはわかってる。もしかしたらサイコパスとかそんなのなんじゃねぇかとも何度か思ったよ」

「…………ううーん……。……いたって普通の人だと思いますよ?」

「……レオやらカミーユやらと似たようなこと言いやがる……」


 その二人と似たような発言なのはちょっと複雑だけど、気持ちは痛いほどわかる。彼はきっと普通の人間だ。……だからこそ、周りの環境に流されやすい。


「……まあ、そうですね。イマイチ信用もできないですし、かと言って放置も微妙なので……とりあえず協力しませんか?あなたもそろそろ出たいでしょうし」

「……おう、分かった。……なぁ、たまにいつも通り仕事してる気分になんのは、なんでだと思う」

「あ、それは、仕事があなたの日常を象徴するからだと思……うわぁ」

「おい、うわぁってなんだよ。こっち見ろよ」


 これほど外見が頼もしく、内面的に全く頼りになさそうな人って逆にすごいと思う。


「でも、仕事はちゃんとしてたんですね」

「手抜くコツいつも探してたからな」

「……警察ですよね?」

「……ドイツ人が全員勤勉なわけじゃねぇんだよ」

「それはたぶんドイツ人関係ないよ!?」


 思ったより憎めない人なのは、ここに来た当初に比べて安心できる要因だった。

 ……思ったよりクズだったけど。

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