19. 2016年夏 Part1

 最初にメールが届いてから、もうすぐ1週間になる。

 頭がガンガンと痛む。逃げ出したい思いが脳髄を蝕んで、警笛を鳴らし続ける。

 それでも、現実は変わらない。……寝起きの目に、ロバートからのメールが飛び込んだ。




 ***




「メールとか噂に名前があったレヴィくんって人と接触したけど、何というか壁があって……俺はちょっと怖いなぁ」


 そうロー兄さんが言っていたから、覚悟は決めていた。でも、これは流石に予想外だった。


 血のついたナイフを持ち、手についた赤色を眉をひそめて舐める。

 その様子は、どこか魅惑的にも見えた。

 固まっている僕に彼は冷たい声をかけ、眉をひそめた。


「死にたいのか?」


 とても綺麗な人だと、場違いにも思った。




 時は、30分ほど前にまで遡る。

 もうキースを名乗る必要がないから、改めて自己紹介をしようと思う。僕の名前はロバート、一応歴史学者だ。

 なぜキースって名前で小説家であるロッド兄さんの力を借り、ネットのオカルトサイトとかで発表したかと言うと、まあキースが見てたらいいなーって感覚があったから。


 カミーユと情報交換をするようにはなったけど、彼はまだ慎重に僕らのことを見ているらしい。あとはレオってバカともよく話すけど、アイツと話をするのは疲れる。ジャンヌ・ダルクどころかナポレオン、モーツァルトすら知らない人がいたなんて……


 とりあえず信頼を勝ち取ろうと会合を重ねたり、警察への取材を続ける日々。アドルフさんには怪奇現象の調査だと最初から言ってあるし、理由はまだよく分からないけど、あっさり許可が取れていた。

 思ったより地道な行動の積み重ねで退屈していて……だからこそ、油断していたのかもしれない。


 気づいた時には、背後に気配を感じていた。

 遠回りしようとするが、着いてくる。

 逃げ出すタイミングはすっかり掴み損ねてしまっていた。どんどん距離が縮まり……やがて肩を叩かれる。


「いい格好してるなぁ兄ちゃん。ちょっと話があんだけど」


 ニヤニヤ下卑た笑顔を浮かべるチンピラが2人。見たところそこそこ喧嘩慣れはしている。僕だって護身術くらいはしっかり習ったし、カツアゲなんて屁でもない……と思っていたから、彼らが突然切りつけてきたのに驚いた。


 治安は想像より格段にマシだと思っていた。浮浪者も少ないし、ガラの悪い連中がやたら歩いてるわけでもない。


 でも、油断していたのも確かだった。


「は?」


 男のナイフが急に止まる。

 赤毛の長髪を括った青年が、背後から片方の手首を無言で掴み、翡翠のような眼で見下ろしていた。

 仲間の1人がすかさず切りつけるのを、自分の手が切れるのも構わず受け止めてから腹に拳を叩き込む。呻く男がナイフを落とす。すかさず白い手が拾いあげた途端、チンピラ2人ともが脱兎のごとく逃げ出した。


 そして、冒頭に戻る。


「死にたいのか?」

「そんなに危険だと思ってなくて……」

「……見えにくい危険に気が緩んだ、か」


 ぼそりと呟き、彼は僕をちらりと見る。スラリとした長身、少し厚めの胸板、整った顔立ち、鋭い棘のある視線……

 カミーユが美青年なら、彼は美丈夫と言うべきかもしれない。


「名前は」

「えっと、ロバー」

「分かった。もういい」


 誰かから聞いているとばかりに遮られた。後で聞いたところ、ロー兄さんが話を通していたらしい。


「俺はレヴィ。姓は……アダムズでいい。……ローランド様から話は聞いている。弟を守って欲しいとの願いに従った」


 ツッコミどころは色々あるけど、ロー兄さんからの情報は大体あってたらしい。……予想とは違ったけど。


「俺のこと気に入ったか何かで、やれることはないかとか聞いてきてくれた。話し相手かな?って言ったらちょっと困った顔してて、その時からかっちり敬語なんだ……あ、楽しいけど!変わった人だよ。様付けでたまに呼ばれたりして、騎士さんとかみたい」……


 ……騎士だとしたら黒い馬に乗ってそうなタイプだった。


「と、とりあえず助けてくれてありがとう」

「礼などいらん。俺が勝手にしたことだ」

「硬派だね。モテそう」

「……あまりそういう話は好きじゃない」

「そうなんだ。意外にピュアなのかな」

「……俺のことなどどうでもいいだろう」


 そして、思ったより10倍は素っ気ない人だった。




 ***




 電話をかけたが、繋がらない。

 ……家族の話は、そこまでしたくない。その気持ちを汲んだかのような、ノイズが耳にこびりつく。


 逃げたい気持ちにまとわりつくようで、心地よかった。

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