第67話 氷楔融解 II


 と、治療する手が震えるくらいに動揺していると、アリーシャさんが、


「…あなたの大切な人を傷付けてしまって、申し訳無かったです。私が同じ立場だったら…こんな風に、傷付けた張本人の手当てなんか、できない」


 そう、俯きながら言うので。

 それに、あたしは。


「……あたしもね、あなたと同じだったんです」


 やっぱりこの娘は、悪い人間じゃないな、と思ってしまう。


「あたし、イストラーダ王国の人間なんです。戦争に巻き込まれて、死にかけていたところを……ルイス隊長に救われました」


 アリーシャさんが、目を見開いて顔を上げる。


「それで、なんやかんやあってクロさんと出会って、今はこの国にいるんですけど……あたしも、他国の人間に連れ去られそうになったことがあります。この能力のせいで。だから」


 憔悴しきった顔の彼女に、笑顔を向けながら、


「あたしも、あなたと同じような状況に陥ったら……全てを憎んで、めちゃくちゃにしてやろうと、そう思っていたはずです。だから、あなたのことは、放っておけない」


 真っ直ぐに、そう伝えた。

 そこで、後ろに控えていたベアトリーチェさんが、


「アリーシャさん……あなたはルイス中将に、恋心を抱いていたのではありませんか?」


 なんてことを、いきなり聞いてきて。

 その問いかけに。


「……………ッ」


 アリーシャさんは、一瞬にして顔を真っ赤に染め上げる。

 なんと……図星、なのか?


「な……何故、それを…」

「あらまぁ、可愛らしい反応。単なる女のカンだったのですが…当たってしまいましたか」


 ベアトリーチェさんは口元に手を添え、上品に微笑む。

 アリーシャさんは、しばらく無言で狼狽えた後。

「はぁ」と一つ、ため息をついて。



「……そうです。好きでした。けど、振られたんです」



 小さく、震える声音で言う。


「ルイスの隊から離れ、孤児院に預けられる直前に……好きだって、側において欲しいって、想いを伝えました。十二歳の子どもが、何をませたことをって、思われるかもしれない。けど、あの人は……」


 もう、ロガンス王の魔法はかかっていないはずなのに。

 アリーシャさんは、今まで抱えていた思いを全て吐き出すように。


「ルイスは、言ったんです。『全てを敵に回しても、護りたい女がいる。だから、お前の気持ちには答えられない』って。……ちゃんと、一人の女として、振ってくれたんです」



 そして。

 その頬に、キラリと光るものが流れる。



「吹っ切れていたはずだった。仕方がないと、諦めていたはずだった。けど……今日、あのバルコニーで、ルイスと……お姫さまが一緒にいるのを見て、気がついた。嗚呼、護りたいのって、この人のことか、って。いいなぁ、って、そう思った。そう、思ったら……なんで、私だけこんな目にって……目の前が真っ黒になった」


 涙を流しながら、静かに独白する彼女の背に。

 ベアトリーチェさんが、そっと手を添える。



 そうだったんだ。

 ルイス隊長に恋心を抱いていたのなら、尚のこと。

 こんな仕打ちを受けたことに対する憎しみと、悲しみは……

 『裏切られた』という気持ちは。

 計り知れないほどに、膨れ上がったことだろう。



「……わかっていた。彼は、何も悪くないって。ルイスは本気で、私を助けようとしてくれていた。なのに、私………彼を、手にかけようと……」

「わかってる」


 あたしも。

 治療を終えた手で、彼女の両手を握る。


「ルイス隊長は、全部わかっている。あなたが、どんな気持ちで剣を握っていたか……だってあの人、あなたを庇おうとしていたもの。それに…」


 涙で濡れる、深い深い海のような、紺青の瞳を見つめて。



「あの場にルナさんがいても、自分が傷付けられても、あなたを絶対に攻撃しようとしなかったのでしょう?それは、あなたが本当はこんなことをする人間じゃないって、わかっていたから。何かよっぽどの事情があるのだと……あなたを、信じていたからよ」



 心の底から、伝えた。


 途端に、彼女は顔をくしゃくしゃに歪めて。

 教室で見ていた姿からは想像もできないくらいに、弱々しく肩を震わせて。


 思いっきり、泣き出した。





 * * * * * *





「……………」



 閉じられたままの、長い睫毛を見つめる。

 クロさんの、寝顔。

 初めて見る、その貴重な姿を。

 まさかこんな形で見ることになろうとは。



 あの後、しばらく泣いて落ち着いたアリーシャさんと別れ。

 クロさんの運ばれた、王宮内の医務室を訪れていた。

 診てくださったお医者さまに「安静にしていれば、一週間程度で全快するだろう」と言われ、ほっと胸を撫で下ろし。


 今は、この部屋に彼と二人。



 まったく。本当に、恐ろしい人だ。

 クロさんはずっと前から、アリーシャさんのことを一方的に知っていたのだろう。

 ルイス隊長率いるラザフォード第二部隊の間諜として、戦場に身を置いていた時から。

 彼は以前、言っていた。スパイ活動に支障をきたすといけないから、隊員以外の人間には姿を見せない、と。

 だから、アリーシャさんはあの部隊に匿われている間も、クロさんの存在だけは知ることがなかったのだ。あたしの時と同じように。


 そんな少女が。

 二年前、ルイス隊長が助けた異国の少女が、どういうわけかロガンスの魔法学院に入学してきた。

 その名を変えて。


 そこから貴族の不当な人身売買の事実を見抜き、彼女に宿る怨恨の念を利用して、この学院の闇を白日の元に晒す計画を思いついたのだろう。

 大きな問題を起こして、誰もが有無を言えぬ状態で舞踏会の中止や、新たな入試制度の導入を提示する。


 それが、クロさんの描いたシナリオ。


 そのために、アリーシャさんを育てた。

 彼女に、復讐を実行できるだけの力を与えるために。

 時には復讐心を煽るような言葉を投げかけていたかもしれない。


 残酷だな、と思う。しかし一方で、

 さっき、フォスカー副学長に言った彼の言葉を思い出す。



『これ以上、薄汚い大人たちの私利私欲に踊らされる子どもたちを、増やすわけにはいかない。生徒自身が学びたいと思い、門を叩く。学校とは本来、そうあるべきです』



 あれはきっと、彼の本心だ。

 あたしはずっと、彼は仮面をつけているんだと思っていたが。


 …なんだ。

 この人、ちゃんと『理事長先生』だったのだ。

 本気でこの学院のことを、生徒のことを思っていたのだ。


 だから、アリーシャさんが犠牲になったことは、「仕方がない」とは言えないけれど。

 これ以上の犠牲を生まないようにするためには、必要なことだったのかもしれない。



 ……それにしたって。



「………………」



 彼は一体、何故あのタイミングで。

 キスを……したのだろう。

 それに、その前の控え室での言葉も……

 そこだけが、どうしてもわからない。



 眼鏡を外した、まるで少年のような顔をして眠る彼の黒髪に。

 あたしはそっと、指を絡ませて。



「……あなたは一体、何をずっと『我慢』していたのですか?」



 返事の貰えない問いかけを、ぽつりと呟く。


 すると。




 がしっ、とその手を掴まれ。



「きゃっ!」



 あたしは、ベッドの中に引き摺り込まれた。


 ……寝ていたはずの、クロさんに。



「く、クロさん……起きていたんですか…?!」

「…僕が、何を我慢していたか、って?」



 横向きに、抱き合うような形で密着し。


 彼はあたしごと、隠れるように頭まですっぽりと毛布で覆うと、




「……、だよ」




 暗い布団の中で。


 唇を、重ねてきた。

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