第52話 胸騒ぎの前夜 II


 一頻ひとしきり喜びを分かち合った後。

 いちおうの確認で実際に魔法を使うところを見せてもらったが、ルナさんの能力はちゃんと狙いを定めた先に働いていた。しかも、眠らせるだけでなく起こすこともできるようになっていたのだ。

 マグレではない。本当に、会得したんだ。

 これで…


「明日、を見に行けますね」


 あたしの言葉に、ルナさんとベアトリーチェさんはくすくすと笑う。

 嗚呼、やっと…ルナさんと隊長を、再会させることができるかもしれない。

 隊長も、きっと喜ぶはずだ。絶対に、成功させなきゃ。


 それからあたしたちは、明日の舞踏会での待ち合わせ時間や落ち合う方法を確認した。

 開催は夕刻からだが、あたしはクロさんに付いて昼過ぎから会場に入る予定である。始まったらまず、理事長であるクロさんの挨拶がある。そのタイミングでこっそりと隊長をバルコニーへ連れ出し、ルナさんと対面させよう、という作戦だ。


「ひゃー…なんだかドキドキしてきた」

「私も…今から心臓が持ちそうにありません。ルイスの姿を見るのさえ、三年ぶりですから……うう、子どもっぽいままだって、がっかりされたらどうしよう」

「そこはお任せください」


 ルナさんの弱気な言葉に被さるように。

 ベアトリーチェさんが大量のメイク道具を持ち、その腕をしゃきーん!とクロスさせ、


「わたくしが、最高の淑女へとメイクアップ致します」

「おお…心強い」

「フェレンティーナさんもですよ」

「へ?」


 感心していたところを不意打ちで指名され、声が裏返る。

 ベアトリーチェさんはにっこりと笑って、


「あのクローネル指揮官を、見惚みとれさせてやりましょう。もしお決まりでなければ、ドレスもこちらでご用意しますよ。素敵なダンスパーティにしなくてはね」


 なんて言ってくれて。

 そうか…ルナさんのことにばかり気を取られていたが、そもそもあたし、舞踏会用のドレスなんか持ち合わせていなかった。


「あ…ありがとうございます。でも、理事長の秘書ごときが、そんな着飾っていいのでしょうか…?」

「何を言っているのですか。可憐で美しい秘書を侍らせていたら、それだけで指揮官も鼻が高いでしょう。それに、あなたは秘書である前に、彼の恋人。違いますか?」

「う……」


 ベアトリーチェさんの、その「否が応でもドレスアップさせます」と言わんばかりの気迫に押され。


「……よろしく、お願いします」


 あたしは、お言葉に甘えることにした。


「では明日、お昼頃に一度ここでお会いしましょう。お着替えとお化粧をして、フェレンティーナさんは先に会場へ、我々は約束の時刻になったら、広間のバルコニーへ伺います」

「わかりました」


 ベアトリーチェさんと最後の確認をしてから。

 あたしは二人に手を振って、部屋を後にした。




「……ふー」


 さて。理事長室に戻らなくては。頼まれていた書類の準備が、まだ途中だったのだ。

 足取りも軽く、あたしはお城の外へと向かい。

 いつものように守衛さんに門を開けてもらい、学院の中庭を進む。


 ──と。


「……あれは…」


 進行方向に、知っている顔を見つけて。

 あたしは咄嗟に、花の植え込みの影へと身を潜めた。


 ロガンス城へと繋がる庭園の、真ん中で。


「………………」


 白亜の城の頂を、睨みつけるように見上げていたのは……

 アリーシャ・スティリアムさんだった。

 彼女、こんなところで何を…クロさんと個人レッスンをしているはずじゃ…

 それに、あの表情。

 まるで、心の底から憎んでいるものを見つめるような、鋭い視線──

 普段無表情でいることが多い彼女が、あんな顔をするなんて…

 どこか鬼気迫るものを感じ、息を殺していると、



「こんなところにいたの」



 そんな声と共に、学院の昇降口から現れたのは…

 白衣を着た、クロさんだった。


「時間になっても来ないから、探しに来ちゃったよ」

「……すみません」

「遅くなっちゃったし、今日はやめておこうか。と言うより…もう、必要ないかな?」

「…………」


 クロさんのその問いかけに、アリーシャさんは答えない。

 彼はポケットに手を突っ込んだまま肩を竦める。


「明日の舞踏会、ちゃんと来てくれるよね?君のために、軍部の知り合いにも声をかけて来てもらうことにしたんだから。アピールするチャンスだよ。僕からも直接紹介しようと思っているんだ。少将とか…最近、中将になった奴とか」


 その言葉を聞いた瞬間。

 アリーシャさんの目が、見たこともないくらい大きく見開かれる。

 それを見たクロさんは、ニヤッと妖しげな笑みを浮かべて彼女に近付き、


「いいね。明日、必ず来てくれると信じているよ……


 彼女の肩にぽん、と手を置いて。

 囁くように言ってから、踵を返し去って行った。



「…………」


 今のやりとりは、一体…

 アリーシャさんのあの反応。クロさんの、含みのある言い回し。そして。

 彼女を、『アリスちゃん』と愛称で呼んだ…


 嫉妬心と、それ以上に。

 うまく説明出来ない、底知れぬ不安のような胸騒ぎを感じ。

 明日の舞踏会が、ただ楽しみなだけのものではなくなってしまった。


 何かが、起こる予感。



 アリーシャさんは、去っていくクロさんの背中をしばらく見つめてから。

 静かに、自身も学院の中へと帰っていった。

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