第50話 本当の契約 II
シャワーを浴び、服を着替え。
あたしは、王宮の一階にある大食堂の厨房へと向かった。
最近しょっちゅう鶏肉を分けてもらっている、ちょび髭の料理長に今日も頭を下げて。
新鮮な鶏肉をお皿に乗せ、そのままルナさんの部屋のある中央塔の四階へと走る。
だから、彼女の部屋をノックし、ベアトリーチェさんに迎えられる頃には、あたしは肩で荒い息をしていた。
「──夢、ですか?」
いつもなら夕方に訪れるあたしが、いきなり朝っぱらから鶏肉を抱えて飛び込んで来たので、ルナさんは多少驚いていたが。
不思議な夢の話をすると、興味深そうに目を見開いた。
「とにかく、試してみようと思います」
あたしは、テーブルの上にお皿ごと鶏肉を設置し。
少し、距離を取る。
その様子を、ルナさんもベアトリーチェさんも、固唾を飲んで見守っていた。
一度だけ、深呼吸をして。
あたしは、意識を集中させる。
あたしの魔法。
癒すことも、傷つけることもできる力。
母さんを救いたい、その気持ちから授かった力。
だから、誇りに思っていい。
癒すか傷つけるかは、あたしが決めればいい。
だから──
静かに、右手を上げる。そして、空中に『署名』をする。
契約の呪文は唱えない。必要ないと、そう感じた。
本当の契約は、成立したのだから。
『署名』を終え、対象物にその指先を向ける。
すると。
お皿の上の鶏肉が、ほのかに光り。
スパッ!!
と、真っ二つに切れた。
それは、あたしがイメージした通りの現象だった。
「フェルさん…!すごい……!!」
「まだです」
口を押さえ驚嘆するルナさんを制し、あたしはもう一度指を振るう。
逆も出来なければ、意味がないのだ。
──と。
再び鶏肉が光ったかと思うと、二つに切れた断面がもぞもぞと動き出し…
時を巻き戻すかのようにゆっくりと癒着し、一つの肉の塊へと姿を戻した。
完全に元通り、というわけではなく、やや不恰好な接合部ではあるが。
これで、破壊することも癒すことも、どう加減すれば良いのかがわかった。
安堵と達成感に胸を撫で下ろしていると、ルナさんが横から飛びついて来た。
「すごい!すごいですフェルさん!!詠唱もなしにこんなことができるなんて!!」
あたし以上に喜びを爆発させる彼女に、思わず頬が緩む。
しかし、あたしがここへ来たのは、何もこの力を自慢するためではなかった。
「ルナさん、聞いて欲しいことがあります」
彼女の両肩を掴み、あたしは正面から真っ直ぐにその青い瞳を見つめる。
「あたしが魔法を使いこなせるようになったのは…夢の中で、過去の自分ときちんと向き合えたからなんです」
「過去の、自分…」
おうむ返しするルナさんに、あたしは頷く。
「あたしも、十二歳の時に母を亡くしました。長らく病に苦しんで、変わり果てた姿で、自ら死を望む言葉まで漏らして…独りで、息を引き取りました。
あたしの中で、その時のことは『忘れたい出来事』になっていた。けど、向き合わなきゃいけなかったんです。
何も出来なかった、親不孝な自分を責めていた。母を失った悲しみに背を向け、前を向いているつもりになっていた」
そこで。
あの夢で見た光景が、鮮明にフラッシュバックし。
あたしは無意識に、涙を零していた。
「……あの時のあたしは…十二歳のあたしは、ずっと動けないまま、あの場所で泣いていたのに。それに早く気付いてあげなきゃいけなかった。それが、あたしの魔法の原点だったから」
突然、そう語り出したあたしに、ルナさんは戸惑いの表情を浮かべながらも。
しっかりとこちらを見返し、泣きそうな顔をして聞いてくれている。
「ルナさん。お母様がお亡くなりになった時のことを、もう一度だけ、思い出してみてください。辛かったはずです。悲しかったはずです。自分の無力さを、呪ったことさえあったかもしれない」
そこまで言って。
あたしは、ぎゅっと。
彼女の背中に手を回し、折れそうなくらいに華奢なその身体を、抱きしめた。
「けど、あなたは何も悪くない。
悪くないんです。
あなたのその魔法は、きっとあなたの優しさで出来ている。お母様を思う気持ちから出来ている。だから…
あの頃の自分を、そっと抱きしめてあげてください。認めてあげてください」
「…………ッ」
ルナさんの瞳からも涙が溢れるのが、横目で見えた。
あたしたちはそのまま。
互いの身体を抱きしめながら、静かに泣いた。
「……ありがとう、フェルさん」
しばらくの後。
ルナさんは呟いてから、そっと身体を離した。
「母のことが
けど…駄目ですね。思い出すのが怖くて、今日まで逃げていました。母との記憶の全てに、蓋をしてしまっていた。
楽しかった思い出だって、たくさんあったはずなのに」
そう言って、彼女は涙に濡れた瞳を細めて笑う。
「母のことが、大好きでした。それは先日、久しぶりにクッキーを焼いた時にも思ったんです。あの頃、楽しかったなぁって。
それも全部悲しい思い出にしてしまっているのは、他でもない自分自身で……
だから、私もちゃんと『宿題』、やってみます。今まできちんと、やれていませんでしたから。これでは不良生徒だーって、怒られてしまいますものね」
『宿題』。
それは以前二人で決めた、「十四歳までの人生を振り返って、この精霊を授かるに至った理由を考えてみよう」というもの。
あたしも肝心な部分は怖くて、見ないようにしていた。
だからきっと、ルナさんも。
きちんと向き合えば、見えてくるものがあるはずだ。
それから、あたしにはルナさんに伝えたいことがもう一つあった。
ここへ来るまでに、思い出したことなのだが…
「ルナさん。その『宿題』、期日を設けませんか?」
あたしの問いかけに、彼女は小首を傾げる。
「一週間後、魔法学院主催の新入生歓迎舞踏会が、この王宮の広間で催されます。そこに……ルイス隊長も来ることになりました」
「ルイスが…?」
その名を聞いたルナさんの目の輝きが、明らかに変わる。
あたしは頷いて、
「これはベアトリーチェさんにもご相談なのですが…こっそり、その会場へ足を運んでみませんか?同じ王宮の中だから移動もし易いし、人もたくさんいるから、隊長の姿を遠目に見ることだけでもできるはずです。ただし」
ピシッと、あたしは右手の人差し指を立て、
「それまでにある程度、魔法をコントロール出来るようになれば、です。ご褒美があった方が、頑張れるでしょう?」
自分でも「にやり」とした笑みを浮かべているなぁという自覚があった。王様の命令に背くようなことを企んでいるのに、何故かワクワクの方が優ってしまっているのだ。
そのワクワクは、どうやらルナさんも同じなようで。
キラキラと目を輝かせながら、パッとベアトリーチェさんの方を向く。すると彼女も、うずうずを隠せないといった表情で微笑み、
「そう言えば…来週は、ちょうど流星群が見られる頃ですものね。
殿下、フェレンティーナさんの
そうですね…広間のバルコニーあたりから眺めたら、それはそれはよく見えるのではないでしょうか」
そう、悪びれる様子もなく言った。
……本当に、この人は。
「ずっと前から思っていたのですが……あたし、ベアトリーチェさんのことが大好きです」
「あら、奇遇ですね。わたくしもフェレンティーナさんのこと、大好きですよ」
「えーっ!ずるいです。私だって、二人のことが大好きなのに!!」
『もちろん』
ルナさんの必死な声に、あたしとベアトリーチェさんは同時に。
「ルナさんのことも」
「殿下のことも」
『大大大好きですよ』
声を揃えて、そう告げた。
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