第43話 酒はほろ酔い、花はつぼみ II


 メニューを広げるとそこには、読んだだけでよだれが出そうな料理名が燦然と羅列されていた。

 白身魚のタルタルフライ、厚切りベーコンとアボカドのチーズ焼き、ソーセージとほうれん草のキッシュ、テール肉のビーフシチュー…

 酒場なのでお酒のアテがほとんどだが、パスタやグラタンなんかもあるので、食事だけでも十二分に楽しめそうだ。

 「好きなのを頼め」という隊長の言葉に甘え、あたしは食べたいものをいくつか指さした。


「クロはいつものラザニアと、赤ワインでいいか?」

「うん。ボトルで」


 隊長の問いかけに、クロさんはたばこに火をつけながら答える。「じゃあ俺ビール」と隊長が言うので、あたしもオレンジジュースを注文した。

 外食なんて本当に、いつぶりだろう。食欲をそそる料理名と、なによりも美味しいものを作るオーラが出まくっているモーリーさんに、あたしの腹の虫の期待は高まっていた。

 上がったテンションに任せて、あたしは今朝諍いさかいを起こしてからまともな会話をしていなかったクロさんに、思い切って話しかけてみる。


「クロさんて、ラザニアが好きだったんですね」

「……ここのはね。唯一、食べてもいいかなって気になる」


 たばこをぷかぷかふかしながら、一応ちゃんと答えてくれた。

 それにルイス隊長もテーブルに肘を付きながら、


「こいつホント昔から食に無頓着でよ。ここのラザニアだけは食べてくれるから、何かあれば連れて来ているんだ」

「食事なんて、生命維持に必要な栄養素が摂れていればそれでいいじゃん」

「な?こんなかんじなんだよ。もったいないよなー食うことを楽しめないなんて。人生損してるぜ」


 ツンと言うクロさんに、やれやれと首を振る隊長。

 そういうば、隊に同行していた時もルイス隊長はとにかくよく食べていたっけ。

 逆にクロさんがまともにご飯を食べているのなんて、朝食の時くらいしか見たことがない。

 …そうだ。あたしには、ずっと気になっていたことがあったのだ。それは、


「隊長とクロさんて、いつから知り合いなのですか?」


 である。これまでの二人の口ぶりから、一、二年の付き合いではないことは伺えるが…

 ルイス隊長は記憶を辿るように天井を見上げ、腕を組む。


「んー、こいつが軍部に来たのが十四の時だから…かれこれもう十年近くになるか?歳も一個下だから、いつの間にかつるんでいたんだよな。まぁ、弟みたいなモンだ」

「誰が弟だ」


 隊長の言葉に、クロさんは頬杖をついて小さくぼやく。

 この二人、そんなに長いこと一緒にいるのか。どおりで隊長がクロさんの扱いを心得ているわけだ。


「今まで散々食うことの楽しさを伝えようとしてきたんだが、なかなか興味持ってくれなくてな。せめてここみたいに、気に入った料理のある店を増やせればいいんだが……二人はどっかデートで、メシ食ったこととかないのか?」


 隊長に、そう尋ねられ。

 あたしは、思考を停止させた。

 デートなんて、まだイストラーダにいた時に一度しただけだ。しかもその日はいろいろありすぎて、デートの思い出自体が完全にサブイベント化している状態で…

 当然、ロガンスに来てからはデートなんか、


「全然、ないです」

「えぇ?」


 暗い声で答えたあたしに、隊長は驚いたように聞き返す。


「お前ら、デートしてないの?」

「してないです」

「一回も?」

「……こっち来てからは」

「えぇ〜…」


 そんな、ちょっと引いた声を上げる隊長。

 ですよね、やっぱりおかしいですよね。なんならあたしも引いてます。


「クロ…お前、いくらなんでもそれはフェルが可哀想だぞ?」


 あぁ隊長!もっと!もっとその人に言ってやって!!

 あたしは無言で首をぶんぶんと縦に振る。するとクロさんは、珍しく苛立ちを露わにした表情で隊長を睨みつけ、


「ルイス……今、僕が置かれている状況、わかっているよね?」

「う……」


 ドスのきいた声でそう言われ、隊長の方も珍しく言葉を詰まらせる。

 はて。クロさんが置かれている状況…?仕事が忙しいこと、とかだろうか。


「人の気も知らないで…あまり無責任なこと言わないでよね」

「そりゃあ、そうだけど…でも、デートくらい……」

「そう言うルイスだって」


 クロさんは、さぁこれから意地悪を言うぞ、と言わんばかりの笑みを浮かべて、


「ルナのことは、どうするつもりなの?戦争から帰ったら、王に直談判するんじゃなかったっけ?」

「ぐっ」


 いきなり出てきたルナさんの名に、内心あたしはドキリとする。

 そうよ…ルナさんとの接触を禁じられていることについて、隊長はどう思っているの?

 今のクロさんの話だと、隊長もルナさん絡みのことで王様に話をするつもりのようだが…


「そういえばレンちゃん、ルナと友だちになったんだよ。ね?」

「え?あ、はい」


 突然クロさんに話を振られ少し驚くが、事実なので肯定しておく。

 すると、それを聞いたルイス隊長は、


「そうか……あいつ、元気にしているか?」


 なんて。

 見たこともないくらい、切ない表情で聞いてくるもんだから。


「…元気ですよ。けど……隊長とは幼馴染なんですよね?何か事情があって、今は会えないと聞いています。ルナさん…とても会いたそうにしていますよ」


 ベアトリーチェさんから会えなくなった経緯を聞かされてはいるが…あれは本来、あたしが知っていい話ではない。だからそれを伏せるように、大事なことだけを伝えた。

 ルナさんは、隊長に会いたがっている。

 それだけでも、せめて伝われば。


「ほらほら〜。僕のことより、自分の心配をしたら?」

「…………」


 クロさんの言葉に返事をしないで、隊長は長い耳を少し垂らし視線を落とした。

 これは…恋愛感情かどうかまではわからないが。

 間違いなく隊長も、ルナさんに「会いたい」と、そう思っているのだろう。

 ひょっとして、接触禁止令を解いてもらえないか、王様に直接訴えるつもりでいるとか…

 隊長は少しの間考え込むように黙ってから。


「……そうだな」


 パッと顔を上げ、笑う。


「いい加減、ちゃんと動き出さなくちゃいけねぇな。ありがとよ、クロ。ケツ叩いてくれて」

「は?」


 真っ直ぐにお礼を言われ、クロさんは顔をしかめる。

 そりゃそうだ。クロさんとしては会話のマウントを取って、勝ち誇った気でいたのだから。逆に感謝されて、肩透かしを食らった気分だろう。

 隊長のこういうところ、すごく「らしいな」と思う。こんな風だから、クロさんとも上手く付き合ってこられたのだろう。

 そして、この真っ直ぐさと純粋さ…すごくルナさんに似ている気がする。

 この二人が、早く会えるようになればいいのにな。


「はぁ。ルイスのそういうとこ、ほんと嫌い」

「え〜。俺はお前のこと、好きだぞ?」

「うげー」


 などと二人が言い合っていると、


「はいよ、お待ちどう。ラザニアは今焼いてるから、ちと待っててな」


 そんな声と共に、モーリーさんが注文した品を持ってきてくれた。

 テーブルに次々に置かれる、目にも楽しい料理の数々に、あたしは手を合わせる。


「わぁ、美味しそう!」

「いやぁ、野郎だけじゃなくて可愛いがいると作りがいがあるね。おじさん、腕が鳴っちゃったよ。クロ、また連れてこいよな?」


 言われたクロさんは、たばこを灰皿に押し付けながら、


「気が向いたらね」


 とだけ返した。

 あたしはジュースを、隊長はビールジョッキを、クロさんはグラスに注いだ赤ワインをそれぞれ手に持ち、


「さ、今日は俺の奢りだ。好きなだけ食って、好きなだけ飲んで、楽しもうぜ!」


 隊長のそのかけ声で、あたしたち三人は乾杯を交わした。

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