第41話 約束のとき II
「……クロさん。お話したいことがあります」
「なーに?」
俯きながら低く言ったあたしの声に、クロさんは可愛らしく小首を傾げる。
「……これまで、クロさんのお仕事には口を出すべきではないと、そんな立場ではないと、そう思っていました。ですが…」
顔を上げ、鋭い視線を向ける。
「昨日の講義を見ていて思いました。あまりにも、アリーシャさん贔屓が過ぎます。ただでさえ孤立しているのに、あれではますます友だちができなくなってしまいます。
先生に露骨に贔屓されていることに対する、同級生からの妬み…彼女はずうっとそれを感じながら、今後も学生生活を送っていくことになるんですよ?それについて、どう思われますか?」
そう、言ってやった。
我ながら「卑怯な言い方をした」と思った。自分の嫉妬心は伏せ、あくまでアリーシャさんの問題として話をすり替えてしまったのだから。
しかし、強い口調で言ったつもりがクロさんは眉ひとつ動かさずに肩を竦め、
「素質のある子に手をかけるのは、指導者として当たり前のことでしょ。
それにあそこは、仲良しこよしをするための学院じゃない。魔法を使いこなせるようになって、ゆくゆくは軍部に引き抜かれることを目的とした場所だ。
だから彼女の交友関係なんか知らないし、そもそもあの子、そういうのをあまり気にしないんじゃないの?」
ぐぅ…やっぱりそうくるか。正論と言えば、正論だ。
だが、今の返答で一番グサッときたのは…
『そもそもあの子、そういうのをあまり気にしないんじゃないの?』
なんて、アリーシャさんのことをよく知った風な言い方をしたことだ。
「……そんなにアリーシャさんを、気にかけていたいのですか?」
「まぁ…そうだね。いろいろと期待はしているよ」
「……期待しているのは、本当に才能だけですか?」
「…どういう意味?」
駄目だ。隠したいのに、つい嫉妬心が口から溢れてしまう。
あたしは拳をぎゅっと握りしめてから、
「学院で授業がある日は毎回『用事がある』と言ってあたしを先に帰しますけど、一体何をされているんですか?晩ご飯だって、いくら言っても食べてくれませんよね?ご飯を食べることよりも大事なご用がおありなのですか?」
取り繕っていられない。一気にそう、捲し立ててしまった。足が少しだけ震えている。
さぁ、言ってしまったぞ。あなたは、なんて返す…?
キツく睨みつけるあたしの視線を、彼は数回瞬きをして受け止めてから。
「……なるほどね」
ニヤリ、と口を歪ませて笑った。
あ、バレた。
あたしの醜い嫉妬心を見透かされたと、そう思った。
案の定、口元に笑みを浮かべたままクロさんがあたしににじり寄ってくる。それから逃がれるように後退りをすると、背中がとんっと廊下の壁に当たった。
しまった。追い込まれた。
彼は両手を壁に当て。
あたしを腕の中から逃げられないようにして、瞳を覗き込んでくる。
「そういうことなら、僕も言わせてもらうけどさぁ」
「なっ、なんですか」
「君こそ、僕に黙っていること…あるんじゃないの?」
「あ、ありませんよ。そんなの」
「本当〜?それじゃあ…」
ふっ、と耳に息を吹きかけるように。
「昨日……僕と別れてから、何していたの?」
怖いくらいの低い声で、そう囁いた。
ひょっとして、それは……
あたしが、ゲイリー先生の研究室を訪ねたことを言っているのか?
それともクロさんに内緒で、ルナさんと魔法の特訓をしていること…?
まさかクロさん、全部知っていて…
やばい。特に昨日はゲイリー先生に手を握られたりしたから。
やましいことなど一つもないのに、黙っていることに対する罪悪感が一気に襲いかかってくる。
「…………」
うぅ…これでは完全に、形勢逆転だ。何も言い返せない。
互いに無言のまま、
「はーい、そこ。公共の場でイチャイチャしなーい」
そんな声と共に、廊下の向こうから現れたのは…
「ルイス」
「隊長!」
クロさんとあたしが、同時にその人を呼んだ。
「い、イチャイチャなんかしていません!喧嘩しているんです!!」
頭を掻きながらこちらに近づいて来るルイス隊長に、あたしは声を張り上げる。隊長もこれから参加する会議のため、早めに来たのだろう。
「どっちにしろ駄目だろ。なんで喧嘩なんかしてんだよ、朝っぱらから」
「そ、それは…」
あたしが口ごもっていると、隊長は何かに気づいたようにクロさんをじいっと見つめる。
そして、その黒い髪に手をポンッと置くと、
「クロ。お前、なんか縮んだか?」
「……縮んでない」
言われたクロさんは、即座にその手を振り払う。ルイス隊長は尚も「うーん」とクロさんを見つめ、
「さては、またメシ食うのサボってるだろ。駄目だぞーめんどくさがってちゃ。大きくなれないぞ」
「うるさいなぁ、もう伸びないよ。いくつだと思ってんの」
鬱陶しそうにクロさんがそう返す。やっぱりこの人、しょっちゅう食事を疎かにしているのか。
と、あたしはそこで、
「そうだ、隊長!!」
ルイス隊長の腕をガシッと掴んで、
「いつか言ってた約束!発動させたいです!今日!!」
「や、約束?」
眉をひそめる隊長に、あたしは目を見開いて、
「ご飯連れてってくれるってやつですよ!クロさん、あたしがいくら言っても晩ご飯食べてくれないんです!だから、一緒に連行してください!!」
もうヤケだった。この状況を打開するには、隊長の力を借りて話題を切り替えるしかない。
相当必死な表情をしていたのだろう、ルイス隊長は若干引きながらも軽く微笑んで、
「わかったわかった。じゃあ、今晩三人でメシ食いに行くか」
「やったー!」
「ヤダ」
ぷいっと顔を背け、クロさんが言う。しかし隊長は怯むどころか笑みを浮かべて、
「そう言うなよ。久しぶりにモーリーさんの酒場にでも行こうぜ。あそこのラザニア、お前好きだろ?」
クロさんの反応を伺うように言った。
その言葉に、彼は、
「……………」
ルイス隊長のことを、ジトッとした目で睨みつけてから、
「……ワインも奢ってくれるなら、考えてもいい」
極めて不服そうな声音で、そう呟いた。
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