第38話 燻る距離感 I
あの夢を見た日から、十日後。
「はい、ではここからは演習時間にしましょう」
あたしは今日も、クロさんの講義を一番後ろの端っこの席で聞いていた。例のアリーシャ・スティリアムさんのいる、新入生の授業だ。
入学式からまもなく一ヶ月。この
魔法の力加減を意のままに操れるようになった者、中には呪文の詠唱なしに『署名』だけで魔法を発動させることに成功した生徒も数名いる。
しかし。
やっぱり、アリーシャさんは別格だった。『署名』のみで魔法を操ることは当たり前、今は生み出した氷をどのような場面で・どう扱うことが有効なのか、より実践を見据えた演習へと進んでいた。
そして今日も彼女は、教壇の前の演習スペースへと降り、無言でその手を振るっている。そこを中心に蜘蛛の子を散らすように、他の生徒たちが彼女との距離を取っていた。
アリーシャさんの孤立化は、ますます進んでいる。ずば抜けた才覚への妬み嫉みに加え、友人を作るつもりは毛頭ないかのような寡黙な振る舞いが、「お高くとまって」と殊更に反感を買っているようなのだ。
あたしはその様子を眺めながら、
「…………」
クロさんに気に入られていることへの嫉妬心とは別に、「このままでいいのかな」と心配する気持ちも日増しに強くなっていた。
そんなあたしの気持ちを知る由もなく、クロさんは相変わらずアリーシャさんばかり見つめている。
クロさんのその贔屓な態度も彼女の孤立化を助長しているということに、彼は気付いていないのだろうか。それとも、稀有な才能を磨くためには彼女自身の人間関係なぞ知ったことではない、ということなのか。
嗚呼、彼がこの仕事をしている限り、こうしたもやもやはずっと続くのかなぁ。
なんて、小さくため息をついた……その時だった。
演習スペースの端で、魔法で生み出した『氷の鎌』を振るい、動きを確かめるように演習していたアリーシャさんが…
その鎌の大きさと重さによろめいたのか、後方へと倒れかけた。
が。
彼女が倒れる直前、その背中に回り込み後ろから抱きとめるようにして支えたのは。
他でもない、彼女をずっと注視していた……クロさんだった。
「ふぅ、危ない危ない」
安堵したようにそう言うと、彼はそのままアリーシャさんを後ろから抱くような形で腕を掴み、
「自分の力で扱える得物を見極めろって、いつも言ってるでしょ?これじゃあかえって隙だらけになっちゃうよ。もっと力を抜いて」
そう、言ったのだ。
『クローネル教授』ではない、普段どおりの口調で。
それに騒ついたのは、あたしの胸中だけではなかった。教室にいる学生たち…特に女子生徒たちが、
「今のカンジ…やっぱりあの噂は本当なんじゃない?」
「放課後に特別に、個人指導しているってやつ?」
「なにそれ、ヤラシ〜」
近くに座っていた女子三人が、声をひそめてそう話すのが聞こえてくる。
いや、正直あたしもそう思うよ。だって、だって……
なにあの距離感!当たり前のように後ろから抱きとめているけど、いつもそんなことしているの?!近すぎ!今すぐ離れて!!ていうか、そんな素のかんじで話しているのも嫌!好青年キャラ貫きなさいよ!!
やばい…抑え込んでいた嫉妬心が、ここへきて爆発しそうだ。
胃のあたりで熱いものがぐつぐつと煮えたぎるのを感じながら、しかし生徒がいる手前声を上げることも出来ず。
歯がゆい気持ちで二人を眺めていると、アリーシャさんは相変わらず感情の読めない表情のままクロさんから離れ、
「……すみません」
ぽつりと、そう呟いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます