スフィアメモリー そのⅡ

 膝は、歩くのに差し障りのない感じになった。これなら普通に家に帰れるし、明日以降も問題ないだろう。

「最後に…狩生先生があなたのことを呼んでいましたよ。教室によってから帰りなさい」

 何か、用事でもすっぽかしたか? 俺は変に思ったが、本当に大事な用事を忘れてしまっては申し訳ない。教室に向かった。

「狩生先生! どうしましたか?」

 俺は教室の扉を開けながら叫んだ。

 だが肝心の先生は、そこにはいなかった。

 おかしいな、ここで待っているはずだろう…? 俺は教室の隅々にまで目を通したが、誰も、どこにもいない。

「もう帰っちゃったのか?」

 鍵下との戦いは放課後だったし、結構時間もかかった。だからクラスメイトは下校しているし、先生も退勤していてもおかしくはない。

「やあこんばんは、粒磨君」

 その声は、俺の真後ろから聞こえた。突然の呼びかけに俺は驚いて振り返る。

「先生…! 用事って、何ですか?」

 先生は冷たくニコッと笑って、

「ちょうど今、君しかいない。では特別授業を始めよう」

 と言う。

「特別…授業…?」

 そんなの聞いてないぞ? 俺は早く帰りたいのだが…。

「いいから席に着きたまえ」

 促されたので仕方なく、俺は座席に座った。

「では始めよう。と言っても、教科書は必要ない。全て板書で済ませる。君はただ、聞いていればいい」

 先生はそう言うと、黒板に文章を書き始めた。

「君も既に知っているはずだが、この島には超能力者が存在している…」

「!」

 俺は驚きを隠せず、声を出した。

「静かに! まだ授業は始まったばかりだ。君への発問は、まだだ」

 注意されたので、俺は黙って聞くことにした。

「そもそも超能力というのは…普通の人間が行えないことを『実行できる』特別な力のことを言う。超能力という概念は二十世紀に入ってから生み出されたが、それ以前にも認知はされていた。仏教で言うなら、神通力とかね」

 これは何の授業だ…? それが見えてこない限りは、内容を理解できない…。

「ところで、だ。粒磨君。君は、鍵下君にも勝ったそうだね?」

 俺は無言で頷いた。

「困ったことになった。私の計画がここまで狂う日が来るとはね、流石の私も驚きを隠せないよ」

 一度先生がため息を吐くと、

「では授業に戻ろう。普通の人間にできないことが可能ならば、超能力者…。だがそれでは、通常ではない人間になってしまう。私たちは、異常人種なのか? 私は違うと答えたい」

 その部分を強調したいのか、先生は赤で黒板に書き込んだ。

「私たちは、選ばれた人間なのだ。こう考えれば、普通の人間ではなくかつ、異常な人間というわけでもなくなる。では、なぜ選ばれたのか…。それを説明しよう」

 なんとなく、見えて来た…。この先生…。

「神はおそらく、この力を一部の人間にのみ与え、作りたいのだよ、新しい世界、価値観、人間を…。進化の果てには、必ず終点がある。だが人間にはまだ来ていない。つまり人間は、これからもっと進化する。私たちは、その進化の先を歩く権利を与えられた人類。その辺にぬくぬくと生きている人たちとはワケが違う」

 きっと先生は、こう言いたいはずだ。

「超能力が一般的になる日が来るかもしれない。だがその日が来ると、私たちは、価値を失うだろう。だったら対策はただ一つ…それを与えないことだ。そしてそうするには、洗脳して支配するのが一番手っ取り速い」

 洗脳しちまえば、新しい力を得ても、否定できるってワケか…。さらに洗脳した人たちを支配して世界征服…。鍵下が言っていたことだ。

「そのためにまず、手数を増やすってわけだろ? そして時が来たら表舞台に姿を出して、洗脳して支配する…。考えただけでも馬鹿らしいぜ!」

 俺は言ってやった。

「確かに俺たちは、特別かもしれない。でも、それを使って世界を変えたいなんて、思っちゃいない。俺たちが超能力者なら、他のみんなだってそうだ。普通の生活を送れるのも、特別な力じゃないのか? 俺たちが表舞台に出たら、それすら行えなくなるぜ?」

 俺は俺の意見を述べた。きっと、否定されるだろう。だが、

「君の意見は正しい。なぜ正しいかわかるかい?」

 思ったより、けなされなかった。

「この島に来るまでは、近所のみんなが羨ましいと思ってたから? だってかつての友達はみんな、普通だった。普通じゃないのは俺だけだ」

「違うな。君の正しさは、強さに出てきている。もし君が正しくなければ、今頃は私の超能力の術中にはまっているはずだ。でもそうではない。強さと正しさはイコールだ。常に強い者が正しい。弱い者は負け、敗者は間違った価値観と認識されるからだ。これは歴史を紐解いてみてもわかること」

 今度は思いっきり拒否られたぞ…。

「じゃあ、先生と俺、どっちが正しい?」

 そう聞くと、先生は教卓をバンと叩いて、

「それを今から証明してあげよう。だが先に言っておくが粒磨君、君の勝率はゼロパーセントだ」

「…俺は不良じゃない。でも、相手が先生であっても手加減はしないぜ?」

 俺は立ち上がる。この島の諸悪の根源…それは担任の先生であった。目の前に立つ人は、教員としては尊敬できるが、超能力者としてはそれは無理だ。そこだけはどうしても譲れない。第一志望のようにな!

「ここは狭い。外に出るとしよう。そして粒磨君、君を支配させてもらう。計算は大きく狂ってしまったが、ここで君を獲得することができれば、失ってしまった生徒はすぐに取り戻せる。計算式こそ違うだけで、たどり着く先は同じ。それこそ数学のように…」

 俺は全力で教室を出た。ここで戦わないとは言っても、ここに罠が仕掛けられていない保証にはならない。別の場所に移動し、そこに先生を誘導しなければ!

 だとしたら、学校の中は絶対に駄目だ。全てが先生の支配下。俺は、完全にアウェー。勝ち目がないのは、火を見るよりも明らかだ。

 だが先生も速い。俺が昇降口から出るころには、追いつかれてしまった。

「…しょうがねえぜ。ここで返り討ちにしてやる!」

「では始めよう。特別授業の課外講習をな…」

 先生の微笑みは、冷たい。見ている目が凍りつきそうだ。

「粒磨君の超能力は、私も十分に理解しているつもりではある。だが君は、私の超能力については推測の域を出ていない。そうだろう?」

 だがその推測も、かなり確信に近づいてるぜ。

「記憶の操作。それが先生の超能力だろ? 随分と難しい条件をクリアしないといけないみたいだが…。逆に言えば、それさえできれば、最強の超能力…!」

 手をパチパチと叩いて先生は、

「最強…。素晴らしい響きだね、気に入った。そして君が、全てを理解していないこともわかった」

 と言う。全てをわかっていない? じゃあ、他にも超能力があると言うのか? いやそれは考えにくい。今までみんな、ある一つのことに関する超能力しか持っていなかった。俺だってそうだ。それなのにいきなり、二つ三つももつ人が現れる? それこそ進化の先を歩いてやがる…。

「記憶を支配する…。一口にそう言っても、やり方は様々なんだよ。それこそ数学のように、様々な方面からアプローチできるのだよ」

 そう言って先生は、右手を広げた。


 今から始まる攻防を、校庭の陰で見守っている人が一人いる。それは鍵下であった。彼は先生の超能力と計画を知っている。そして粒磨の力も知っている。双方がぶつかった時、そのどちらが立ち残っているのかを、その目で確認したいのだ。

「炭比奈粒磨…。お前の超能力は強力だ。だがその人には、武炉氏孝ですら歯が立たなかった。記憶を操る超能力に対し、お前の水はどう立ち振る舞う?」

 先生側にも立たず、粒磨に協力もせず。鍵下はただ、黙って見ることを選んだ。どっちにしろ、強い者だけが最後に立っていることは明らかなのだから。

「記憶の改ざんは、大きく分けて二つある。一つはお前が今まで見て来た、長期にわたる改ざん。これは相手を負かせる必要がある分、長期間にわたって記憶を操作できる。だがもう一つは…短期間の改ざんだ。時間にしても本当に短い間だけ、ごく単純なことに限定されるが他人の記憶に介入できる。それには勝負で勝つことなど、いらない。普通に考えれば、あまり役に立ちそうにない。しかしその人はそれを、最大限に応用できる…」

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