149:「ラッド」について。
ここで、いったん、ラッドについて。
みなさん、ラッドと言えばもしかしたら「
私も映画は観ましたし、曲も買ったほどには好きです。なのでいまから言うことはアーティストとしてとか評価がとかうんぬんの話ではなく、単純に、時代としての、私たちの時代にとって「ラッド」がどういう存在だったのか、っていうだけの、単なる想い出話です。
ゼロ年代後半に青春と言われる時代を過ごした私たちにとって、2016年の「前前前世」はまだ予測もできないものでした。ラッドといえば、2006年の「有心論」や2010年の「マニフェスト」、そして、私も大変衝撃を受けた2009年の「おしゃかしゃま」だったり、しました。『アルトコロニーの定理』を聴き込んだひとは作者と握手をしよう。
すべてをかっこよく唾棄するかのようなスタイル。私はそう感じました。投げやりなのに、唾棄してるのに、なんだかアレなことゆってんのに、かっこいいただただかっこいい。高校時代にはとくに、ラッドの暗くとも真理をついた音楽にひっそりずっと耳を澄ませていたものです。
すくなくともポップでキャッチーなイメージはありませんでした。すくなくとも。高校当時には。
しかし、ツタヤで手に取った『絶体絶命』のころには、すでにちょっと明るくなっていたような気がします。でも、ラッドはやっぱりラッドで――。
「π」という曲も、曲調はびっくりするほど明るくて愉快なのですけど。
歌詞がですね。ああ、やっぱりなあ、って感じで。
そして、私はとても個人的に。
この曲を聴くたびに、後輩くんを、思い浮かべていたのです。
曲調も、ですし、やっぱりなにより歌詞も、ですし、それがあわさって総合的に――ああ、とても彼じゃんね、って。
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