34:「みんなでなにかをつくっていく」ことへの憧れよ。

 楽しいと書きましたが、それもまた、ほんとうだったのです。

 楽しかった。けど、つらく、合わなかった――とでも、いいましょうか。



 この種のことは、ご経験のあられるかたも少なからずいるのではないでしょうか。

 つまり、私は、要は。

「みんなでなにかをつくっていく」ということが、合わなかったのです。



 憧れました。焦がれました。みんなでなにかをつくっていく、青春。

 だからこそ、私が一年生のときの三年生の文芸部の部長さんが演劇部の部長さんでもあると知って、演劇部にもどうですかと言われたときには、もう入るっきゃないと思いました。

 中学のときの吹奏楽部は、うまくいかなかったけど、演劇ならあるいは――私は期待に胸をときめかせて、演劇部にも入部したのです。

 高一の、春でした。



 演劇部も、ほんとうに仲がよく。

 休日にはみんなでカラオケに行ったりもして、楽しく過ごしました。


 ただ、やはり違うのが――ひとつの舞台というものをつくりあげていくときには、かなりお互い容赦がなくなるということです。

 そして、もちろんプロに言わせれば「ひとりが欠けても完成しない」モノなのでしょうが、やはり素人の高校生たちが大半のなかでは、「主役か、脇役か、モブか。それとも役さえもらえない裏方か」みたいな感覚的な序列は、たしかに、存在していたのです。

 じっさい、それで途中で退部したひとや、喧嘩してしまったひとたちも、ひとりやふたりではありませんでした。


 そういうのが、私はとことん、合わないのだなと。

「なにかをつくる」ときは、ひとりでやらないとどうにもならん人間なんだなと。

 たとえ、その結果、孤独感やさみしさがぶわっと湧き出ても――。


 じつは、いまもこれは多少引きずっています――私は「みんなでなにかをつくっていく」ことに強く焦がれますが、とても苦手であることも同時に知っています。私はソロプレイのほうがあきらかにのびのびとふるまえて、価値を生み出せる。だからこそ、いまも吹奏楽や演劇には、すさまじい眩しさを感じております。



 だからこそ。あのときには。

 辞めるきっかけがそこにあれば、簡単に辞めてしまったのでしょう。

 それが、「時間の確保」だなんて正当らしい理由もあるなら、幼い私は幼い私自身をなおさら簡単にごまかせましたね――。



 ただし、それは。あくまでも、彼に出会う前の話です――。

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