第65話 自白



 鴛翔えんしょう潤啓じゅんけいからその話を聞かされた月香げっかは、ただただ驚き、言葉を失った。

 頼んだのは自分だ。けれど、そんなことをしろとは一切願っていない。賤民の娘など入宮させるわけにはいかないのだから、すぐには巡り合えないだろう遠くへ追い出してしまえばいい、と提案しただけだ。

 その言葉の裏で、母が亡くなっていた。


「違う!」

 月香は悲鳴のような声を上げた。

「私はそんなこと言ってない! 望んでもいない!」

 叫び、ボロボロと涙を溢れさせる。

 母を失ってしまったという悲しみと、その原因を作ってしまったのが自分だという事実に恐ろしくなり、その心の軋みが涙となって溢れ出していく。

 違う違う、と叫びながら、頭を抱えて蹲る。

「私じゃない! 母さんが死んだのは、私の所為じゃない!」

「月香……」

 小さくなって震える肩を抱き締め、螢月けいげつも涙を落とす。まだひと月程しか経っていない母の死は、螢月にとってもまだ癒しきれない大きな傷なのだ。


 そんな姉妹の様子を見ながら、取り繕うことも忘れて慟哭するこの月香の言葉は、嘘ではないのだろう、と鴛翔は思った。本心から母の死に恐れ慄いている。

 本当に知らなかったのだとしても、彼女のしたことに因って人が死んだ。その理由は正さねばならない。


「では何故、杷蘇はそ村へ人を遣った?」

 静かに問いかける言葉に、月香はハッと息を飲む。

「其方が直接手を出していないことはわかった。だが、人を送るようには言ったのだろう?」

 それは何故か、とあくまで静かに、詰問はせずに問いかける。その返答を促す。

 月香は泣き濡れた瞳で、こちらを見つめている鴛翔を茫然と見上げた。


 説明をする為の言葉を探しているのか、鴛翔を見上げたまま黙り込んだ月香に様子を見ながら、それを知りたかったのだ、と朧玉ろうぎょくも思った。

 放火を命じてはいなくとも、人手は行かせている。何故そんなことをしたのか、と不思議でならない。


 ややして、月香はその震える唇を動かす。

「――…姉さんを、ここに来させない為に……」

 これ以上の嘘を重ねることも無理なら、都合のいい話を咄嗟に作ることも出来ないと判断し、月香は素直に理由を話した。

「何故?」

 急かすことはせず、淡々と鴛翔は先を促す。

 その落ち着いた声音に誘導され、月香は更に言葉を紡いだ。


「姉さんが、本当の公主様だって、知られたくなかったから……」


 その事実を言葉にしてしまったら、もう止まらなかった。

「姉さんばっかり狡いんだもの」

 そう呟き、支えてくれている螢月の腕を振り払う。

「母さんも父さんも姉さんばっかり構って。姉さんばっかり大事にして。私なんか叱られてばかり……姉さんばっかり狡い」

 そんなことない。両親共に月香をすごく可愛がっていたし、叱るのだって月香を思ってこそのことだった筈だ。蔑ろになんてしていない。


 あんなに大事にしてくれていたではないか、という言葉を出しかけるが、月香のきつい一睨みで思わず躊躇う。

「私はあんな小さな村で、私を好いてもいない男に嫁いで暮らすなんて、絶対に嫌だったのよ。それなのに、姉さんも母さんも私を孫さんのところにお嫁に行かせようとして!」

 今までずっと胸に溜め込んできた思いを、月香は怨嗟の如く吐き出す。

「知ってる? 夕鈴ゆうりんのお兄さんは、姉さんのことが好きだったのよ。私じゃなくて、姉さんが! なのに私に嫁に来いって言ったの。おじさんが私のこと気に入ってるからって、そんな理由で! 私のことなんてなんとも思ってないくせに!」

「そんなことないよ、月香……」

 月香はみんなに可愛がられていた。顔立ちがとても可愛くて愛想もいいから、大人達はみんな月香がお気に入りだった。同年代の男の子達もみんな月香のことが好きだった。


 ううん、と月香は首を振る。青甄せいしんが螢月の方が好きだったのは本当のことだ。

「私、聞いてしまったのだもの。夕鈴のお兄さんは、私のことなんて好いてもいないくせに、私をあの村に縛りつけようとしたの。そんなの耐えられない!」

 あまりにも馬鹿にしていると思った。そんな程度の男の許へ嫁ぐくらいなら、綺麗な襦裙きものを着られて、懇意になったお客から貢がれる妓女になった方がずっとマシだ。

 それなのに母も姉も、とてもいい縁談だ、と話を進めようとする。嫌で堪らなかった。

 嫁入りを嫌がっているのも、月香がまだ子供で、お嫁に行く覚悟が出来ていないだけだろう、と思っているようだったのも嫌だった。

 青甄は村でも評判の好青年だったし、村長の跡取りで、それなりに裕福ではあった。とてもいい縁談だったのは事実だが、彼の本心を知っている月香は嫌で仕方がなかった。

 そして、その程度のことは目を瞑ればいい、と誰もが思うことだろう。ああいう小さな村の中では、そういう認識が普通の感覚だった。

 それでも、たとえ誰もが羨むような良縁であろうとも、青甄のことだけは嫌で仕方がなかった。

 そんな折、月香はあの手紙を見つけてしまったのだ。


 捲し立てられる話を聞きながら、鴛祈えんきが「手紙……」と小さく呟く。

 月香が家から持ち出し、月蘭げつらんの娘である証として見せ、生き別れた娘なのだと鴛祈に確信させたあの手紙だ。

 鴛祈の書いたあの恋文が、月香に家の秘密を教えてくれたのだ。


「姉さんは、村の暮らしが好きだったでしょう?」

 腕を強く掴まれ、螢月は僅かに顔を顰める。

「畑を耕して炭を焼いて、冬には仕立て物をして、夏には川で涼むあの暮らしが、好きだったでしょう?」

 確かにそうだ。螢月は今までの暮らしに満足していたし、金銭に余裕があるわけではないが、家族四人、無理なく暮らしていけるあの穏やかな日々が好きだった。そうした暮らしの中で老いて死んでいくのだと思っていたし、それが幸せだと思っていた。


 頷く螢月に向かって、月香は花のように微笑む。

「だから私に、萌梅の名前をちょうだい」


 螢月はなにも答えられなかった。だってそんな名前は知らないし、自分のものだと言われても、信じて受け止めることは出来なかった。

 けれど、その沈黙を肯定と受け止めた月香は、縋りついてにじり寄る。

「姉さんは公主の名前はいらないでしょう? だから私が貰ってあげる」

「もらう、って……」

「私が本当の萌梅公主になるの。同じ母さんの娘なのだもの、いいわよね?」

 そう言う月香の狂気じみている様子に、螢月は身震いした。


 この子はいったいなにを言っているのだろう――螢月には不思議で堪らなかった。

 萌梅を名乗ったからといって、月香が萌梅だというわけではない。ただ名前を騙っているだけだ。そんなことにいったいどんな意味があるというのか。


「その方が姉さんにとってもいい筈よ」

 妹の狂気に怯えを見せる螢月に、月香は猫撫で声を出した。

 首を傾げている螢月に笑みを向け、静かに鴛翔を指差す。

「だって姉さんが萌梅公主になったら、この人とは兄妹になってしまうのよ?」

「え……?」

 驚いて鴛翔を見上げる。

「血の繋がった兄と妹は、結婚出来ないでしょう」

 それはそうだ。法律でそう定められているし、倫理的にも受け入れられない。

「姉さんは姉さんのままでいればいいのよ。そうしたら、誰も気にしないもの」

 だから萌梅の名前をちょうだい、と月香は尚も言う。

 父の語った話が本当ならば、月香が言うように鴛翔と螢月は兄と妹になる。他人として育って出会ったのだから、惹かれ合ったことは仕方がなかっただろうが、その事実を知ってしまった今、名を伏せようとも、替わりの人間がいようとも、兄妹である事実は無視出来ないし曲げられない。


「案ずることはない」

 混乱する螢月の耳に、鴛翔の声がぴしゃりと響く。

 怪訝そうに振り向く姉妹に向かって、鴛翔ははっきりと言った。

「わたしは陛下の御子ではないからな」



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