第64話 真実



「これが、あの忌まわしい凶事の後のすべてだ」

 守月スウォルが一通りの話を終えて一息つくと、その場にいた者達は一様に緊張を解いた。

 鴛祈えんきは座っていた椅子の上で、ガクリと強張っていた身体の力を抜く。強い疲労感がどっと押し寄せてきて、どうしようもなかったのだ。


 やはり、と鴛翔えんしょうは思った。

 守月の話から、疑問に感じていたものはすべてが繋がり、予測していた通りのことが真実として語られた。

 あとは月香げっかが何故『萌梅ほうばい公主』を騙り、王がそれを信じたのかが語られれば、すべてが明らかとなる。


 けれど、螢月けいげつの心中は穏やかではなかった。

 茫然と父を見つめ、それから真っ青になって震えている月香を見た。

 これでは先日月香から聞かされた話と違う。父が語った話によると、螢月が父以外の人の子供ということになるではないか。月香の言っていたことの逆だ。

 どうして月香はそんな嘘を言ったのだろうか、と動揺しながら視線を彷徨わせていると、小さな溜め息が聞こえた。


「お前が、萌梅……」

 溜め息の主は鴛祈だった。

 彼は螢月をじっと見つめ、確かめるように耳慣れないその名で呼びかける。

 螢月はその視線に怯えて顔を背け、隣で立ったまま話をしていた父の姿を見上げた。

「父さん」

 今の話は嘘だと言って欲しかった。だって父はずっと螢月の父だったし、厳しかったが優しかった。血の繋がりがない他人だなどとは思えなかった。

 守月は縋るような螢月の視線から静かに目を逸らし、正面で混乱を抱えている鴛祈を見遣る。

「気づかなかったのか」

 冷たい棘を含んで投げかけられる言葉に、鴛祈はぐっと声を詰まらせる。

 反論など出来ない。螢月が本当の萌梅だと気づかなかったのは事実なのだから。

 だが、生まれてから一度も会ったことのなかった娘に、気づけというのも無理な話ではなかろうか。


 それでも気づけなかった事実を否定することは出来ず、言葉を飲み込んで押し黙るが、同時に浮かんだ疑問にふと視線を向ける。

「では、この公主は――娘はいったい何者だ?」

 この三月程を公主として暮らして来たこの者は、いったい誰なのだろうか。


 その疑問の言葉に、その場にいた者達の視線が一斉に月香へと注がれる。月香の細い肩は震えて強張り、怯えから戦慄いた。

「わ、わたし、は……っ」

 なんと答えればいい。父の話を信じてしまっているこの面々に対し、もう自分が公主だと言い張ることは出来ない。


「ウォルヒャン」

 動転しながらも必死に逃げ道を探していた月香の耳に、守月の声が届く。

 ハッと顔を上げた瞬間、左の頬に強い衝撃を受け、そのまま横に飛ぶようにして倒れ込んだ。

「月香!」

 螢月は堪えきれずに叫び、張り倒された妹へと駆け寄る。

「月香、大丈夫?」


(父さんが……った……)

 螢月に抱え起こされながら、月香は痛む頬にそっと手を伸ばす。

(父さんが、私を打った)

 触れると鈍く痛む。思わず呻いて涙を零すと、螢月が手巾てぬぐいを差し出した。

「可哀想に、血が出てる……。こんなにひどくしなくてもよかったじゃない!」

 螢月は父を仰ぎ見て憤慨するが、その静かに燃えるような怒りを湛えた目を見てしまい、それ以上はなにも言えなくなる。

「お前は、妹を甘やかしすぎる」

 静かな声音に身を竦め、それでも反論しようとするが、諭すように「守るのと、甘やかすのは意味が違う」と言われ、なにも言えなかった。父の言っていることは間違いがないのだ。

 月香のことが可愛くて可愛くて、つい甘やかせて我儘を許してしまっていたが、これはきっと月香の為にはなっていない。そのことは頭の何処かでわかってはいたが、素直に甘えてくる月香が可愛くて仕方がない螢月は、どうしてもやめられなかった。


 守月は月香を殴った掌を見つめて握り締めると、鴛祈に向き直る。

「これは俺とお嬢様の娘だ」

 その言葉に、鴛祈は息を飲んだ。

「蘭々と、お前の……?」

 確かめるように呟くが、信じたくなかった。あの愛しい月蘭げつらんが、他の男の腕に抱かれただなんて、信じたくもない。


「貴様! 使用人の分際で、主家の娘に手を出したのか!?」

「おやめなされ!」

 怒りに任せて掴みかかろうとした鴛祈の動きを、朧玉ろうぎょくの声がぴしゃりと制する。つんのめるようにして踏み止まった鴛祈は、きちんと背筋を伸ばして座ったままの王后を睨んだ。

 そんな王に向け、朧玉はもう一度「やめなされ」と告げた。

「今のお姿がどれだけ見苦しいか、恥を知りなさりませ」

「王后……、しかし」

 その反論の言を一睨みで押し留めさせ、朧玉は改めて守月に視線を向けた。

「危機的状況から救い出し、守り、支えてくれたおのこに心を許した――それだけのことではありませぬか。なんら不思議はない」

 嘗ての親友の心を推し測り、朧玉は目許を和らげる。

「迎えに来てもくれぬ男よりも、支えてくれた男を選んだ。それだけのことではないか」

 言い聞かせるように呟き、僅かに双眸を潤ませた。

 懐かしい、と守月の顔を見て思う。彼はいつでも月蘭の傍らに在って、例えば朧玉の実家に遊びに来たときなども、必ず供をしていた。だから朧玉も彼のことは見知っている。


 そうして、その和らいでいた表情を、静かに曇らせていくと、悲しげな瞳で守月を見つめた。

「月蘭は――我が友は、亡くなったのだな?」

 守月の妻が月蘭であり、螢月の父がその守月で、母は少し前に亡くなったということならば、月蘭が亡くなったということに他ならない。その事実を確かめる。

 その問いかけに、守月は静かに視線を伏せ、頷いた。

 燃え盛る炎の中を抱えて逃げたあの身体の細さを、僅かな重さを、未だにこの腕は覚えている。その命の灯火が掻き消えていった瞬間も。


「そうか」

 朧玉は静かに頷く。その事実を噛み締めるように、もう一度「そうか」と呟き、袖口を目許に当てた。


 焼け跡に遺体が足りないという噂を耳にしたとき、月蘭は無事に逃げ遂せたのだと確信した。生きているのならば、また会える日が来る、と希望も抱いた。

 それが叶わぬまま十八年。

 幼い頃からの一番の親友との再会は叶わぬまま、永の別れとなってしまったのだと思い知り、朧玉は寂謬と悔恨から溢れる涙を止められなかった。


 そのやり取りを聞いていた鴛祈は、その場にふらりと座り込んだ。

「死んだ……? 蘭々が……」

 王の唇から茫然と呟かれる声を聞きながら、鴛翔はそれを睨むように見つめている守月と、殴られた痛みに泣いている月香と、彼女を慰めている螢月とを順番に見た。


「公主――いや、杷蘇はそ村の月香」

 その呼びかけに月香は身を強張らせ、泣き濡れて真っ赤になった瞳を向けてくる。

其方そなたに問いたいことがある」

 委縮させないようになるべく穏やかな調子で語りかけるが、警戒した螢月が、泣いている月香を庇うようにして身を挺する。自分と敵対するかのようなその様子に、鴛翔は僅かに胸が痛んだ。

 そんな姉の腕に縋りつきながら、月香は怯えておどおどとした目を鴛翔へ向けてくる。

「其方は何故、自分の家を襲撃させたのだ?」

 月香の表情から怯えが消える。しかし、驚いているという風でもなく、なにを言われているのか理解出来ないような、そういう表情で見つめ返してくる。

「襲撃?」

 言われたことが本当にわからない月香は、その言葉を反芻して瞬く。

 確かに螢月のことがあって、どうにかしてくれるようにそう大臣に密談を持ちかけはした。けれど、襲撃などという物騒な言葉を使われるようなことは願っていない。穏便に、何処か遠くに行くように仕向けて欲しい、と頼んだだけだ。


 その怪訝そうな表情に、鴛翔は眉根を寄せた。

「焼き打ちを命じただろう」

 理解していなさそうなので、はっきりと口にしてやる。月香は驚いて目を見開いた。

「そんなこと頼んでない! どうしてそんな恐ろしいこと……っ」

「では、なにかを頼んだことは事実なのか?」

 青褪めて反論していた顔が強張る。余計なことを口走ったと思ったのか、口許を覆った。

 その様子に双眸を眇め、部屋の外で控えさせている潤啓じゅんけいを呼んだ。

「あの者のことを報告せよ」

 命じられた潤啓は、直答する非礼を王と王后に詫びてから、守月が捕まえて来た男について報告する。


 男は密偵も兼ねた私兵であり、主人の命で杷蘇村のある家に火を放ったことを自白した。住む場所がなくなってしまえば移住するだろうという考えから、家を焼いてしまえ、と命じられたのだという。

 主命に従った男達は杷蘇村へ行き、人の気配がないことを確認してから、夏至祭りの賑やかさに乗じて火を放った。それで任務は完了だった。

 人死にを出すことは男達にとっても不本意なことだったらしく、そのあたりはきちんと手を打ったつもりだった。室内で動く人の気配がなかったので、家人は皆祭りへと遊びに出ているのだと思っていた。まさかあんなに早い時間帯から、既に就寝しているとは思わなかったのだ。

 巻き添えで一人亡くなったことを伝えると、男はおののき、すぐにそれらの話を答えた。真実を語ることが、犠牲になった者に対する精一杯の誠意だと判断したのだろう。

 しかし、忠義は厚く、主人の名だけは頑なに答えなかった。

 今も稜欣りょうきんが尋問を続けてくれているが、恐らく自ら口を割ることはないだろう。



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