第9話 行倒



 粥が炊き上がったので手早く器に移し、山菜炒めと一緒に籠に入れる。

「じゃあ、行ってきます。片付けは帰ったらやるから、食べたらそのままにしておいて」

「もうすぐに暗くなるから、帰り道は気をつけるのよ」

「わかってます」

 日暮れで茜に染まる外に出てみると、他の家々からも煮炊きの匂いが感じられて、その優しい空気にホッとした。

 夕飯が始まる前に、と急いで我が家へ駆け戻る子供達とすれ違いながら、螢月けいげつは細く煙の上がっている父の炭焼き小屋を目指す。


 暮れてきた森の中は随分と暗く、慣れない者だと危ないことだろうが、通い慣れた螢月は脇目も振らずにひたすらまっすぐ道を進んで行く。急がないと粥が糊になってしまうのだから当たり前だ。

(父さんが食べている間に甘草かんぞうの様子を見て、よもぎも返さなきゃいけないし……)

 木立の間を見え隠れる夕日を視界の端に感じながら、小屋に着いてからやるべきことを順番づけていく。火の番をしながらの生薬の乾燥作業は手間だ。あまり父に負担をかけないよう、螢月がやれることはやっておくべきなのだ。


 よしよし、と手順を計画して頷いていると、馬の嘶きが聞こえた。

 村からは少々離れてしまったので、家畜の声がこんなにはっきり聞こえるほどの距離ではない。

 逸れ馬だろうか、と思って辺りを見回すと、一頭の馬の姿があるではないか。

「どうしたの、お前」

 離れた場所から見ても、とても立派な馬だとわかる。載せている馬具も上等そうだ。

 ここらは猪と雉がよく獲れるので、狩りに来た貴族が落馬でもしたのだろう。ところどころに傾斜が強い場所や隠れたような穴があるので、よくあることだ。


 取り敢えず手当てくらいしてやるか、と螢月は馬に近づいてみる。落ち着かなさ気にしきりに首を振る馬の足許に、布地が見えた。

 その先を辿ってみると、若い男が倒れている。案の定だ。

「大丈夫ですか?」

 声をかけると男は僅かに呻き声を上げる。

「落ちたんですか? 頭は打っていませんか?」

 籠を下ろして男の傍らに屈み、そっと頬に触れてみる。男の瞼が微かに揺れた。

 そこで螢月はハッとする。


 これは狩りの最中の落馬ではない。

 彼の腹には大きな斬り傷があって、腕には折れた矢が刺さっている。

(誰かに襲われたんだわ)

 それを悟った螢月は素早く身を屈め、周囲を注意深く見渡す。

 変わった気配がないことを確認すると、待っていて、と馬に言い置き、父の許へ急いだ。螢月一人の力では、この体格の男性は運べない。


「父さん!」

 炭窯の前に座っていた父を呼ばうと、彼はゆっくりと振り返るが、螢月の切迫した様子にすぐに腰を上げてくれた。

「なにがあった」

「怪我している人がいるの。誰かに襲われたみたいで」

 素早く状況を伝えると、頷いた父は小屋の方へ行き、短刀と弓を担いで戻って来た。


 こっち、と父の手を引き、螢月は先程の場所まで駆け戻る。

 大人しく待っていたらしい馬は、螢月が走って来る姿を見つけて耳をピンと立たせ、興奮気味に鼻を鳴らした。

「この人よ」

 馬が守るように立っている足許に屈み、先程の男を示す。辺りを警戒していた父は頷き、同じように屈んで男の様子を見た。

 そのとき、父の顔が僅かに険しくなる。

「……死んでしまう?」

 父の様子から、男の傷が助からないほどの深手だったのでは、と思った螢月は、不安そうに尋ねた。

 その声にハッとしたような父は、いいや、と小さく首を振り、弓を螢月に持たせる。

「取り敢えず小屋に運ぼう。こう暗くては傷も見えない」

 手探りで傷口のまわりに触れてみて、出血が一応は止まっていることを確認すると、男の上衣を剥ぎ取って身体に巻きつけ、腰帯できつく縛った。


「周囲を警戒しながらついて来い」

 男の身体を慎重に担ぎ上げ、父は言う。螢月は頷き、矢箱から二本引き抜いてつがえながら、父の後ろについた。

 意識を失っているらしい男は静かに父の肩に担がれていて、その父に害意がないことを悟ったのか、馬も静かにあとをついて来る。手綱を引かずとも自発的にしていることから、主人をよほど慕っていて、しかもかなり賢いのだろう。


 小屋に戻ると、湯の用意をするように言われる。螢月はすぐに水を汲みに行き、火にかける間に裂傷と止血に効く薬材を用意する。こういうとき、薬作りをしている家は便利だと思う。

 必要だと思われるものを用意して戻ると、父が男から衣服を剥ぎ取っているところだった。

「傷は深い?」

「いや、そうでもない。縫わずともよさそうだ」

 太刀筋を上手く躱したのだろう、と父は感心したように呟き、絞った手拭いでまわりの汚れを拭き取る。まだ血の乾いていない傷口は生々しく、螢月は思わず顔を顰めた。

「毒もなさそうだな」

 傷口のただれ具合を慎重に確認してから、消毒の為に湯が沸いているか振り返る。まだもう少しかかりそうだったので、他の傷口の様子も確かめてみることにする。

 手の甲や頬などにある擦過傷は、落馬したときにでもついたものだろう。あとで汚れを拭って綺麗にしておいてやれば、十日ほどで綺麗になる筈だ。

 問題は、二の腕に突き刺さった折れた矢だ。


「螢月、ちょっと押さえていてくれ」

 気を失っているが、痛みに覚醒する可能性もある。暴れられては更に傷が増えそうだし、そうならないようにしなくては。

 頷いた螢月は気絶している男に小さく断りを入れてから、父に指示された場所を掴んで押さえる。男が微かに動いたが、まだ意識は戻らないようだ。

 埋まったやじりが肉の内を傷つけることがないよう祈りながら、一気に引き抜く。

「――…ぅあ、ぐっ!」

 男が一瞬声を上げて両目を見開いたが、そのまますぐにことりと頭を落とした。暴れられることがなくてよかった。


 ホッとしつつ手を離すと、父が「これは」と小さく呟いた。

「毒矢だ」

 血の匂いに混じって薬の匂いがする、と父は呟く。

 螢月はハッとして男へ振り返る。どれくらいの間ここに突き刺さっていたのだろう。あまりに長い時間だったとしたら、もう身体中に回っているかも知れない。

 父は腰帯を解いて手早く傷口のまわりを縛ると、検分するようにその腫れている部分を睨みつける。

「吸い出す? 私がやるよ」

「いや、大丈夫だろう。こういう立場の人間は、大概が毒殺への耐性をつけている」

 なんの毒かわからなければ解毒のしようもないし、と呟き、鏃を見て毒の種類を判別しようとしている。

 そういうものか、と頷きつつ、沸いた湯を運んで来た。


 そこまで用意して、父がすっかり夕飯を食べ逃していることに気づいた。螢月は慌てて籠を持って来る。

「父さん、夕飯食べてしまって。随分冷めちゃったけど」

「…………」

「傷口拭いて、薬塗って、綺麗な布を捲くんでしょう? 出来るわ」

 何度かこうして落馬した都人を助けたことがある。横柄な人達ばかりで、礼のひとつも言ってくれたことはなかったが。

 慣れているのよ、と微笑めば、父は小さく頷き、籠の中から器を取り出した。



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