三章 Gentiles not invited(招かざる異邦人)
場所は星ノ宮の繁華街。
目のいい石動でも見える星はほんの少しだ。
代わりに地上ではLEDや看板の光が煌々と輝き、人々は思い思いの場所へ歩いていく。
これから仕事のキャバクラ嬢たち。
仕事帰りのサラリーマン。
怪しい客引き。
酔っ払いの大声。
彼らの無数に聞こえる足音。
文字通り、人が川のように歩く。
石動も、その川に飛び込んだ。
人の波に歩調を合わせながら、石動は器用にスマートフォンを出し人差し指で操作を始めた。
俗に『歩きスマホ』と呼ばれるマナー違反だが、石動は画面から目を離さず普通に歩く速度で誰とも接触せずに進む。
向ってくる人間に対して足運びを変え、身をよじって進む。
時刻は帰宅ラッシュである。
ぶつからないほうがおかしい。
事実、そこかしこで接触が起こり、中には軽いトラブルになっている。
それらを無視して、石動は自分の車を停めた駐車場に向かう。
だが、SNSで友人に送る文面に石動はいささか頭を悩ませていた。
今回の仕事は久しぶりの大口からであった。
『自社のホームページを作ってくれ』という依頼だ。
まずは、社長である石動が相手から要望を聞いた。
相手も社長で年下であった。
しかし、かなり情熱的に自分のイメージを言ってきた。
新進気鋭のラーメン屋チェーンで、まだ豊原県のローカルチェーンだが、全国展開への野心に燃えていた。
以前、弟分である平野平正行と普通の客として店に入った。
良くも悪くも『昔ながらの国道沿いにあるラーメン屋』だった。
豚骨スープやラードの匂い、餃子の焼ける音や威勢のいい掛け声、古びた漫画の単行本……
流行歌の間に自社のCMを入れるのには、少し驚いた。
それ以上に驚いたのは店員から出されたラーメンである。
正行は背油の浮いた、如何にも『濃いラーメン』だった。
石動は普通のラーメンを頼んだはずだが、正行のラーメンよりかはギトギトしていないが、他店の普通のラーメンより油が浮いていた。
分厚いチャーシュー数枚に煮玉子、メンマ。
野菜は、もやしと揚げきのこが申し訳ない程度にあるだけだ。
途中で四十になった胃が悲鳴を上げ、正行に残りをあげた。
二十代の正行は石動の分も余裕で食べ終えたが、石動は胃もたれがした。
店前の自販機で野菜ジュースを飲んだ時、ようやく、一息ついた。
社長は自分のラーメンに自信を持っていた。
前のめりで話す社長がラーメン同様、目がギラギラしていた。
構想も壮大であった。
――今はラーメンだけのローカルチェーンだが、世界規模の店にして様々な食べ物を扱いたい
石動は社長の言葉を半ば聞き流し、一息ついたところでこう問うた。
「そもそも、何がしたいんですか?」
その言葉に社長はいささか冷静になった。
ようやく、本題に入れた。
色々整理して共に考えた。
それでも、部下であり友人には依頼された仕様などを見てどう思うか……
制作現場では悲鳴になるだろう。
友人は有能なプログラマーである。
だが、前の大口の仕事の際、ストレスで胃に穴が開き緊急手術と入院には石動も大いに慌てた。
幸い、友人は人望が厚く部下たちも倒れた友人ほどではないが無理をして納期までに仕上げたが、それから一週間は誰も使い物にならなかった。
無情にも、仕事をしなければ金は入ってこないのが『資本主義』である。
中にはシステムを構築して納品しても金を支払うことなく姿を消す相手もいたので、それから比べればマシだ。
既読がついてないので、まだ、家族とどこかに出かけているのかもしれない。
『見たら、気絶するかも……』
石動は本気で心配になってきた。
大通りを抜け、スマートフォンを背負ったバックにしまう。
そこは、一本わき道にそれただけだが大通りの喧騒がうそのように静かだ。
多少酔っ払いとすれ違う程度だ。
「助けて!」
最初はふざけた外国人の酔っ払いかと思った。
しかし、すぐに、石動は声のする方へ踵を返した。
直観であった。
昼間ならば、近所の子供たちが遊んでいるであろう、小さな公園で少年らが円陣を組んで誰かを攻撃している。
やっている本人たちは気持ちいいのかもしれないが、石動にとって弱者を虐める光景は唾棄するべきものだった。
攻撃の合間を縫い、石動は円の中心に割って入った。
その素早さに少年たちは驚いたようで手を止めた。
正面から見れば、少年たちは十代そこそこで二十歳過ぎなのが数人いる。
「君たち、やめなさい」
石動は静かに咎めた。
だが、返ってきたのはあざ笑う顔であり、彼らはバタフライナイフを出した。
それを見ても石動は眉一つ動かすことはなかった。
暴力を受けていた外国人に肩にかけていた革のメッセンジャーバックを投げ付けた。
「悪いが、持っていてくれ」
それを合図に若者たちは残酷な笑みを浮かべながら襲い掛かってきた。
必要最小限の動きでナイフを躱し、腹や首筋に打撃を与える石動。
結末はすぐについた。
ナイフを持っていた少年たちは全員、地面に倒れていた。
弱々しく呻いてばかりで立ち上がることもない。
「あ……ありがとうございます」
安心して立ち上がった外国人は流ちょうな日本語で石動に礼を言った。
イントネーションなどの間違いもない。
石動は、この外国人を一瞥した。
髪一本生えてない頭皮に、目鼻立ちのいい顔に生真面目そうな黒縁眼鏡、上物のスーツに馬革のビジネスバックと石動が投げた牛革のメッセンジャーバックを抱えている。
黒目だが、目鼻立ちは、西側諸国の人種のように、彫りが深い。
体格がいいせいか、スーツがよく栄える。
「酒でも飲むか?」
前に落ちた黒髪を払う。
不愛想にメッセンジャーバックを外国人から取ると、再び肩にかけた。
「……はい」
表通りと住宅街の中間にある居酒屋へ石動は案内した。
引き戸から煌々とした光と客のにぎやかな声が漏れている。
暖簾をくぐり、引き戸を開け、中に入ると光と声は一気に倍以上になった。
酒やおいしそうな食べ物の匂いが店の中に充満している。
カウンター席や座敷、テーブル席には多くの仕事帰りのサラリーマンや近所のママ友のような女性たち、大学生サークルなどが笑い、愚痴り、泣き、慰める……
石動は外国人も入ったのを認めると戸を閉めた。
それから、奥のカウンターで料理を作っている店主に声をかけた。
「すいません。二階席、空いていますか?」
調理用白衣を着てバンダナキャップをかぶった頑固そうな主人は手元で料理をしながら石動の方へ顔を向けた。
その顔が石動を見てほころんだ。
「おや、いらっしゃい‼ お久しぶりです! ……二階席はちょうど、団体さんが終わって綺麗にしたばっかりなのでどうぞ!」
「じゃあ、いつものと適当に肴を見繕ってください!」
「はい、分かりました‼」
石動は靴を脱いで細い廊下から年季の入った木の階段を上る。
二階には、和室に大きな四角の卓が置かれ、綺麗に磨かれていた。
若干、前の客達の残り香らしき酒臭さはあるものの全開に明けた窓からは涼しい風が浄化する。
「まあ、座れよ」
石動が同じように靴を脱いだ外国人に手短な所を指差した。
とりあえず、向かい合う形で男二人は座って鞄を置いた。
あれだけうるさい賑わいが、遠くに聞こえる。
連れてきた外国人は珍しそうに周りを見回す。
外の光も地上よりくどくない。
「お酒とお通しです」
女将らしき割烹着を着た女性が卓上用燗付け器と、細長いコップのようなお猪口、ガラスの小鉢を割り箸と共に二人の前に出した。
中は鮫の軟骨を梅肉と出汁などで和えた『梅水晶』である。
千切りにされた透明な軟骨に梅の鮮やかな色彩が美しい。
石動は燗付け器から酒の入った『ちろり(酒たんぽ)』を出してお猪口に注いで飲んだ。
五臓六腑に沁みる。
この時期は『ぬる燗』と呼ばれる温度の酒が一番いい。
もう少し季節が過ぎれば熱燗が恋しくなる。
「いただきます」
と石動は言い梅水晶を食べる。
軟骨独特の歯ごたえと梅のさわやかな酸味と香り、出汁の美味さが堪らない。
目の前の外国人は……石動の見よう見まねで食べている。
箸の使い方も上手く、握り箸などをする日本人よりも器用に箸を使う。
変に食べ物に顔を近づけ珍しそうに弄らない。
「あの……改めてありがとうございます」
小鉢の中の梅水晶を食べ終え外国人は礼を再び述べた。
また、言葉を紡ごうとしたが、再び女将が現れた。
「はい、今日は新鮮な鶏が手に入ったからモツを中心にした焼き鳥ですよ!」
「とりあえず、食べなよ」
「いただきます」
石動はまず、皮塩を手に取った。
一口食べると表面がぱりぱりで脂があふれ出る。
今度は砂肝だ。
独特の歯ごたえだ。
ささみも食べてみる。
梅と紫蘇のペーストが塗られて飽きがない。
二人は黙々と食べ、飲んだ。
ほぼ食べ終わり、石動は外国人に愛想よく聞いた。
「どうだった?」
「大変美味しかったです……清算は……」
「いいよ、いいよ……俺が勝手にやったことさ」
片手を振りながら石動は軽く笑った。
少し、酔っているようにみせる。
だが、急に眼が細くする。
相手を見定める。
口調も小さく低くなる。
「今は何も聞かない。全部食って飲んだら、とっとと俺の前から消えろ」
外国人は黙っている。
この外国人、最初からおかしかった。
もしも、ビジネスや旅行者なら、あんな裏路地に入ろうという気にはなるまい。
酔っぱらいなら分かるが、彼は素面であったし、スーツのブランドなどを見るに表通りのレストランにいるべき人間だ。
しかも、彼は少年たちに襲われていた時に顔や股間などを的確に守っていた。
袖口から見えた筋肉には無駄な贅肉などなかった。
明らかに少年たちを挑発し誰かを待っていたようにも思える。
外国人は、肯定も、否定もしない。
しばらく、にらみ合いが続いた。
どれだけ過ぎただろう?
同じような目つきになる。
不意に外国人が眼鏡を外した。
鳶色の目だが、相変わらず眼光が鋭い。
目鼻立ちはいいが、頭髪がないので迫力がある。
眼鏡は幾分、彼の印象を和らげる効果があったようだ。
「俺はポー。ツンドラ王国の諜報機関に属するものだ……石動肇。失礼だが、お前を追っていた。あの喧嘩もお前を誘う手段だった」
「俺の名前を知っているということは、俺の妻、ナターシャを奪いに来たのか?」
石動は声に若干の怒気を含ませた。
「いや、ナターシャ妃がお前にさらわれたのは俺たちの認識不足、知識不足、技術不足だ」
ポーはそういうとお猪口から酒を飲んだ。
「……高い授業料だったがな」
「それを返却しろと言うのか?」
石動の言葉にポーは首を振った。
「いや、俺はお前に依頼をしたい」
「依頼?」
ポーは石動の問いには答えず思いを巡らし慎重に言葉を選んでいるようだ。
ポツリ聞いた。
「ナターシャ妃はご健全か?」
「ああ、今のところ、大きな病気もない。最近、ちょっと季節の変わり目で体調を崩して、大事をとって今日病院に行かせた」
ポーの身体から少し肩の力が抜けた。
「細かくは言えないが、ツンドラ王国はナターシャ妃をさらった石動肇を追いかけ、奪還しようとしている」
「さらってはない。ナターシャとは、お互い合意の上だ」
石動がはっきり言う。
「ほとんどの王族や国民はそう思っている。しかし、一部の過激派や、それに与する王族どもはそうは思ってない」
疑問に思った。
ポーは妻、ナターシャに関しては丁寧な言葉なのに、他の王族にはむしろ嫌悪感を抱いているような口調だ。
だが、言葉には出さなかった。
ポーは続けた。
「そこで、依頼だ。ナターシャ妃を奴らから守ってくれ」
石動は考えた。
言いたいこと、聞きたいことは山のようにある。
しかし、それは彼が『諜報員』として話せないことばかりだろう。
「……報酬は?」
石動の言葉に依頼人の顔が若干明るくなる。
「ツンドラ王国からナターシャ妃の追跡を止めさせる。金も欲しい分だけ言ってくれ」
――政府なんぞ信じられないが……
石動は熱燗を飲み干した。
温かった。
「わかった。その依頼を受けよう」
「ありがとう」
ポーは頭を下げた。
石動の頭の中は様々な事を思い浮かべる。
ここは戦場ではない。
自分たち以外にも日常生活を謳歌している人たちがいる。
自分にも様々な仕事もある。
少し考えて、ある答えが出た。
それに石動は少し悩んだが、他に選択肢はないように思えた。
翌日、ポーを襲っていた少年たちはゴミ箱に気絶しているところを近所の住人に発見された。
そして、誰もが口々に更生と非行の反省の弁を述べた。
誰にやられたかは頑なに黙っていた。
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