13話 誰に怯えてるの? 何を泣いているの?

 雀の鳴き声が頭の上からする。

 一羽や二羽じゃない。

 雨戸井で楽しい遊びをみつけたみたいにはしゃいでいる。

 最近の雀はまるっこい。

 米を食べているせいだろう。

 新米はおいしい。

 朝食はパンにしてもいいけど一日に一回、米を食べないと食べた気がしない。

 洋食が入り込んでも捨てきれないのはそれだけ米がうまいからだ。雀は人間以上に米のうまさを知っているのかもしれない。

 君たちは立派だ、すごいよ、感服する、だけどもう少し静かにしてくれないかな、遊ぶなとは言わない、隣の家の雨戸井で遊んでくれないかな、頼むよ、もう少し寝てたいんだ、いつもならサッと飛び起きて朝食をとって学校に行く。

 そうなんだ、行きたいんだ、でも今日はだめ。身体がいうことをきいてくれない。

 頭もぼんやりと脳みそが腫れ上がったみたいに重いんだ。水で濡らしてしぼったタオルが額にのっかっている。

 すぐにぬるくなるからひっくり返すけど、痛みは鈍く残って消えない。この気持ちは君たちにはわからないかもしれない。

 いいよ、わからなくても、君たちにもつらいことがあるかもしれないけど私にはわからないから。

 あいこだね。少し鳴くのをやめてくれないかな、低く小さく、そう、そんな感じで。


 陽射しが眩しい。ブラインド越しからみえるたくさんの空、上にいくほど青さが増していく。

 遠くでトラックが走り去る。

 乗用車かもしれないし、ワゴンかもしれない。

 あれは飛行機かな、鈍いようなかすれる音がずっととぎれることなく響いてくる。

 車だと音が消えるのがはやいから。

 電車の音がする。線路の上を走り抜けていくとき、ガタゴトガタゴト一定のリズムを刻んで走る。

 かすかに揺れる、この振動は間違いない。

 電車が走っているんだ。

 電車で思い出すことがひとつある。

 まだよちよち歩きしかできなかったころ、私は何かにつけてよく泣いたらしい。お腹がすいたのか、どこかが痛いのか、おむつを替えても泣きやまなかったとき、両親は私を外に連れだし、カーンカーンと星の降るような音と一緒に赤い光を点滅させる遮断機の前にきたそうだ。遮断機の音を聞くと、不思議と私は泣きやんだそうだ。どうして泣きやむのか、当然私自身わからない。

 昔の自分はどうしてあんな音を聞いて泣きやむことができたんだろう。

 母親の胸のぬくもりより、父親の抱擁よりも無機質で触れ合うことはない、音に安らぎを感じたのだろうか。

 リラクゼーション、耳に突き刺さってくるような小うるさい音に癒されたのだろうか。ひょっとしたら1/fのゆらぎがあの音にあったのかもしれない。まさかね。もしかして音じゃなかったのかもしれない。踏切には他になにかあるのかも。どこからかチャイムの音がする。

 うちの学校のチャイムかな、それともよその学校のかもしれない。

 家にいても聞こえるんだ、チャイムの音が。

 なんか変な気がする。

 鳥が鳴いている。

 雀じゃない。

 名前もわからない鳥が鳴いている。

 鳴いている。

 なんだか眠くなってきたみたい。

 音が少しずつ聞こえなくなってきた。


 コロの鳴き声でメグミは目が覚めた。

 誰だ誰だ、お前はなにしに近づいて来るんだ、待て、それ以上近寄るな、止まれ止まれ、聞こえないのか、止まれといっているんだ、はやく止まるんだ、来るんじゃない、来たらお前に噛みついてやる、いいからいうことを聞け、止まれ止まるんだと聞こえる。

 通り過ぎていく人に対しての鳴き方じゃない、郵便物を届けに来たのならすぐに鳴きやむのに。

 犬の鳴き声にまじって家の呼び鈴が鳴っているのに気がついた。


「ガスの定期検診に来ました」


 髪の毛にかなり白いものがまじった、ぎこちない歩き方をするおじさんだった。私はクマ柄のパジャマの上に赤いどてらを羽織って玄関に立っている。


「点検のため後で台所にあがらせてもらいます。お金はかかりません」


 断る理由もない。どうぞお願いします。

 家の西側に置かれているプロパンガスの方へ歩いていくおじさんに向かって、コロは吠える。小屋から顔を出して吠えている。


 いいんだよ、吠えなくても。


 メグミはサンダルを履いてコロの前に行く。コロやめることなく吠えている。でてけでてけ、はやくでてけ、あっちにいけって言ってるだろ、本当に噛みついてやる、馴れ馴れしく御主人様に近づくな、なにがあってもどんなことがあっても僕は守るんだ。


 いいんだよ、いいんだってば。


 なんとか吠えるのをやめさせようと手を伸ばすが噛みつかれそうな勢いで、泣きやんでもくれない。いきり立ち、顔をつきだし、黒くて丸い瞳を私に向けて吠える。僕が悪いんじゃない、アイツが悪いんだ、僕はなにも悪くない、アイツがいるからいけないんだ、僕はいけないことをしているの、僕が悪いことをしてるって言うの、どうなの、僕は悪くないよ、僕が悪いんじゃない。


 コロの鳴き声が切なく聞こえた。コロは飼い主のメグミのために鳴いている。他の誰でもない。メグミだけのためだ。吠えらす動機は餌がもらえるとか散歩に連れてってもらえるとかあるかもしれないけど、今この瞬間に吠えているのは自分がいるからなんだ。


 頭は痛かったがそれ以上につらい。お前は甘やかしすぎると、父や兄から言われる。メグミはコロに甘いかもしれないと思いながらも抱きしめて、お前は偉い、すごい、すばらしい犬だよ、大好きだよコロ、お前はなんてかわいいヤツだ、と言いたくなる。その気持ちを胸の奥にとどめながらお前の気持ちはうれしいよ、すごくうれしい、でもね、少しは堪えてくれないかな、お前が泣くことは悪くない、ぜんぜん悪くないよ、犬は鳴くのが商売だ、だから鳴いていいんだ、吠えていいよ、けどね、あのおじさんはガスの点検をするのが商売なんだ、私の家になにかあってはいけない、私の家だけじゃなく他の家のしあわせを守るためにも働いてるんだ、向き合う一つひとつに一所懸命に仕事をする、会社のため自分のためにがんばっている、でもそれだけじゃなくて使いたいと思う人に安全で気持ちよく使ってくれるためにがんばってるんだと思うし、そうでなくてはいけないと思う、お前がこの家に近づく一人ひとりに一所懸命吠えるのと同じだね、だから鳴いてもいいんだ、いいんだけど犬が嫌いな人も世の中にはいるし、側で吠えられて嫌がる人もいる、なによりお前の鳴き声が私の頭をさらに痛くするんだ、だからお願い、少し吠えるのを堪えてくれないかな、と頭を撫でてやる。


 人が行動を決定するときは納得したときだ。理解できても納得できないことはやりたくないのが人の常だ。大人の世界には納得できなくてもしなくてはいけないことがあるみたいだけどね。


 撫で終わると、コロはまた吠え始めた。いくら言い聞かせたところで人の言うことはわからない。相手は人でなく犬なんだ。


「それじゃ、あがらせてもらいます」


 おじさんの後をついて家に入ると、コロは静かになった。廊下を通り台所に入る。コンロの前まで来て、持ってきた四角いカバンをおろす。コンロの後ろにある銀色のアルミでできた油よけをどけてガスの元栓をみながらおじさんは言った。


「長いこと使ってますね、今ですねえ、アンゼンソウチがついてるものと替えているんですよ、中に玉が入ってまして、ガスが漏れるとき玉が塞いでくれるんです、蓋をしてくれるわけです」


 壊れてるんですか、


「これはまだ壊れてません、つかえますよつかえますけど少しずつ替えてるんです」


 交換ですか、


「交換って、まぁ交換ですけどタダじゃないんです、購入してもらう形となります、今日の点検の方は無料です、家の外は私どものものですけども家の中はそれぞれ住んでいる人のものになります、電気と同じです、使った分を支払うわけですね」


 お金は二八〇〇円かかり、来月以降のガス代を集金するときに払ってもらうそうだ。メグミにはわからない。お金を払うのは父か母だ。


「安全装置をつけたから安全になるわけじゃないです、こんな器械つけても、使う人次第ですから、だからどうするのか決めて下さい、あって邪魔になるものではないですけど」


 メグミは安全装置つきの元栓をつけてもらうことを頼んだ。

 どちらでもよかった、とにかくはやく終わってほしい、はやくベットに戻って寝たいと思った。

 付け替えた元栓にガスホースを差し込む、箱から大きくて重そうな目覚まし時計みたいな器械を取り出してガスホースをつけた。

 どんな検査なのかわからない。

 ちゃんとガスが来るのかどうかを調べているんだろうと思っているうちに終わった。


「湯沸かし器ありますか、使ってますね、そちらもみたいんですけど」


 家の裏にありますからと言って、おじさんを案内した。玄関を通るとコロがまた吠えた。もしおじさんが泥棒なら、これで家の中をみられてしまったわけで留守の間にどうやって入ろうか、あの犬はどうしようかと考えているに違いない。やはり犬のいる家は入りにくいのだろうか。とくに人見知りがはげしいから、でも餌に弱いから簡単にてなづけられてしまうかもしれない。


 ぼんやりとした頭でくだらないことを考えているうちに点検は終わり、おじさんは帰っていった。仕事以外何も話さない人だった。私がどうして家にいるのか聞こうともしなかった。


 さて、もうひと眠りしますか。

 夕方散歩に連れていってあげられるかどうかは、君の協力にかかってるんだぞ、コロ君。


 メグミはコロの鼻の頭をちょんと触ってから、家の中に入った。


                                    終

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