9話 今日と明日の間には永い時間がある

 その日、学校から戻ってきてからというもの、こめかみの上あたりがひどく痛く、お腹は膨れたような重い感じが鈍く続き、軽い吐き気もあったから風邪を引いたのかもしれないと思いつつも、鼻水はでないし喉も痛くないまして寒気もないのに風邪といえるのかな、帰りによったコンビニで買った肉まんを食べたせいかもしれないと考えながら大人しく夕飯までの時間、テレビを眺めて過ごしていた。


 メグミはソファーの上に座り、リモコンのボタンを押した。

 夕方は軒を連ねたようにどの局もニュース番組ばかり、しかも同じ画像、同じ事件、同じ論点が流され、原稿を読み上げるキャスターの顔色をみても、しまりのない泣き疲れたカエルのようで、たまに笑ったり怒ったりしてみせるけど目のまわりの筋肉が痙攣のような引きつりをするだけで瞳の輝きに変わりはなかった。


 夕食の用意ができた頃に父が帰ってきたから、家族そろって夕食をとることになったけど気持ち悪さは続いていて、テーブルに並ぶ照明で艶やかに光りながら湯気をたてる御飯と、海の香りとともにたちのぼってくる蒸気の向こうで対流がおさまりつつある味噌汁と、シャワーあがりでさっぱり汚れを落としてくつろいでいるレタスとトマトとキュウリのサラダに、電気回路のショートで焼け焦げ鼻につく油臭い煙かすが残る焼き魚、大雨に流され堆積した大量の土砂が山積みに置かれたような里芋の煮っ転がし、毎度おおきにえろうすいませんなぁなかなかへりゃしませんけどごひいきしておくれやすという茄子の漬け物を前に食欲は減退していくばかり、もっとあっさりとしたお茶漬け、それよりお粥が食べたくなって母に作ってと頼むが聞き入れてくれず、気がつくと母は泣き、兄は黙り、父に叩かれていた。


 何を言ったのかおぼえてはいない。


 母にひどい言葉を言っているときは背中から持ち上げられるような、身体でなく他に別の、魂というのかわからないけどそういうもの、自分の心が釣り針に引っかかって引きずり上げられる、必死に身体の中にいようと抵抗したいのに力が入らず身体から抜け出そうになっていくことに意識がいき、口からもれ出ている言葉はスピーカーから流れ出る無意味で騒がしいJPOPの音楽みたいで何を言いたいのかわからなかったけど、頬を打ち据えた父の顔が石像のようで怖く、サウンドペーパーでこすったみたいにジリジリと頬が痛かった。


 部屋に閉じこもってからどれだけたったのか、一階の様子があまりに静かなのでドアをそっと開けて顔だけ廊下に出した。

 電気をつけてない廊下に時間の流れをみつけることができず、静止画像をみているような気分になってきたから顔を引っ込めた。ベットの上に腰を下ろし枕を引っ張ってきて抱きしめながら顔を埋める。


 メグミの頭の中にコロが浮かんだ。


 夕方に降り出した雨はぱらつくほどだったけど日に日に冬に近づいているんだなと思わせる肌寒さで、家に帰ってきたときコロは犬小屋から出ようともせず顔を出して私をみていた。犬小屋の入り口には透明なビニールシートがかけられていて、風や雨が吹き込んでこないようにしてある。そのシートを鼻で押して顔だけちょこんと外に出してメグミの帰りに、おかえりと言ってるみたいで、ただいまとコロの頭を撫でながら言った。


 あの時のコロのみていた映像が浮かび、ドアから顔を出して廊下をみていた自分とだぶるのに気づいた。


 暗くて寒い小屋から顔だけ出すと、鼻の頭がひんやりと冷たくなったけど頭を撫でられたことで少しうれしくなった。本当は外に出て遊んでほしいけれど外は寒いし雨に濡れるのが嫌だから我慢しようと思ったらさっさと玄関のドアを開けて入ってしまう。その後ろ姿に待ってよいかないでもっとあそんでよこっちむいてといくら尾を振ったところで小屋にいるからわからず外に出たくてもでていけず遊んで遊んでと媚びても振り向いてもらえない。啼いてみようと思うけど自分から言うのもなんだし動くと寒いしじっとしてた方があったかいとはいわないまでも寒くはないからけど置いてかないでと思ってもドアは閉められ足音も聞こえなくなって騒がしくたくさんの人や車の音がとぎれとぎれに小さく聞こえ、遠くでガタゴトガタゴトと聞こえた。


 コロの気持ちが重なってメグミの気持ちに厚みと重みが加わった。

 泣いていた。

 声まででないけど涙が零れてくる。母に酷いことを言ったことも、コロに冷たかったことも、自分がとても悪い子だと思ったことも、全部ふくめて何故か悲しかった。

 鼻をすすって目をこすりながら、やっぱり風邪を引いたんだと思ってそのままベットに転がった。

 心が風邪を引いた。

 心の栄養バランスが悪く心の疲労から、無理を積み重ねてこじらせてしまった。

 心の風邪薬はこの世にないのだろうか。

 この国は便利で豊かな国のくせに、科学技術を持ってるのに心の風邪を治すこともできない。


 メグミは泣いた。


 つらいとかさびしいとか苦しいじゃない。

 濡れた布巾をしぼれば水が滴り落ちるように心をしぼっているから涙がほろほろこぼれ落ちて、心が悲しい。


 はやく謝らないといけない。

 悪いのはわかっているんだから。

 でもどうやって謝ればいいんだろう。

 素直になれない。

 明日、謝ろう。

 明日になれば、なにかいい考えが浮かぶに違いない。

 明日になれば、きっと素直になれるような気がする。

 明日になれば、とにかく明日が早く来てくれることだけを願って、メグミは泣きながら目を閉じた。

 壁に掛かった時計はいつもと同じリズムで時を刻んでいた。



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