6話 顕微鏡の中の空をみおろしている
パソコン画面には、夕闇の空に輝く星の側に丸みを失った月が写し出されている。
ところどころ雲があるけど、インターネットでみた天気予報だと雨の心配ない。
メグミはマウスを何度かクリックして、今晩みられるはずの満天の星座を表示させた。
画面に映し出される秋の星座達の中で、秋の四角形を持つペガスス座が目立ってみえた。
今夜はアンドロメダ大銀河や渦巻き銀河、ペルセウス座の二重星団などきれいな星々を冷却CCDカメラがとらえるに違いない。
メグミは画面にペガスス座付近の星図を表示させると、観測準備に取りかかった。
準備といっても、初期設定はしてあるしパソコンと天体望遠鏡の専用ケーブルは接続済み。
画面に表示された天体をマウスでクリックするだけで低いうなり声をあげながらモーターが動き、望遠鏡をその星に向けることができ、冷却CCDカメラで撮像してパソコンの中に画像を取り込める。
あとはカラープリントアウトでもしたら天文写真のできあがり。
その瞬間が来るまで待てばいい。
実にお手軽だ。
人間の生み出した、科学という力は実にすばらしい。なにげなく夜空をみあげる行為を、意味づけして手順をふまえて高尚な嗜好に仕立て上げるのだから。
まったく、いやになるよ。
「だったら、勝手に使うなよな」
秋人はメグミを見下ろしている。
まずい。
と思ったときには遅かった。
頭より首に痛みがきた。
振り下ろした兄の手がメグミの頭のてっぺんに落ちてきたのだ。
なにも叩かなくててもいいのに。
兄は星をみるのが好きで、十数万もする天体望遠鏡を持っていた。
しかもよりよく天文ライフを楽しむためとか言って、パソコン、冷却CCDカメラ、カラープリンター、フラット・ヘッドスキャナー、フィルムスキャナ、モデムなどを買いそろえ、それらが部屋の中を所狭しと並んでいる。
壁には自分で撮影した天文写真や取り込んだ画像をプリントアウトしたもの、星座のポスターにカレンダー、あげくの果てに蛍光塗料のついた暗闇で光る星のカーテンがかかっている。
なにもここまで星づくめにしなくてもいいのに。
私の部屋とはすごい違いだ、いつから星好きになったのか、メグミは知らない。
「なにやってたんだ」
学校の宿題、星みろって、
「外行ってみてこいよ」
寒いよ、
「黙って使うなよな」
じゃぁ、かして、
「だめだ」
いいじゃない貸してくれても、ケチなんだから、
「勝手に使うなよ」
ひとの趣味に文句をいうつもりないけど、女の声で起動時に「起ち上げてあげたわよ」ってなに、悪シュミ、
「あれは声優の……って別にいいだろ、貸してやろうかと思ったけどやっぱりやめだ、外行ってみてこいよ、寒い寒い言うな、秋や冬に星をみるのならそれぐらい我慢しろ、上着着て行け」
部屋を追い出されたメグミは仕方なくジャンパーを羽織って外に出た。
キャンパスに絵の具を殴りつけたような空、もうじき夜の闇にすっぽり包まれる。
街灯が点きだし、家の明かりも目立てきた。
住宅の集まる中にメグミの家は建っている。
星をみるのに適した場所じゃない。
だからパソコンでみようと思ったのに。
ケチなんだから。
メグミは夕食を食べ終えてからもう一度外に出た。
空気は冷たいけど寒いほどではない。
玄関先で見上げると星がみえた。
線香花火の火花をひとつちぎって、夜空に貼りつけた感じに輝いている。
消えそうで消えない、小さな光がひとつ、ふたつ、みっつ、首をゆっくり動かしながらよっつ、いつつ、と数える。
ここのつ、まで数えたとき、急に視界が塞がった。
「星をみる前は十五分から三十分、暗闇に目を慣らす必要がある、猫の瞳は暗いところで大きくなるだろ、大きくしてたくさんの光を取り込むためだ、人間も一緒だよ」
目隠しした手を離してくれた兄の顔は少し大きくみえた。
「昔は一緒に星をみたよな」
小学校に上がりたての頃、私は兄の後ろにくっついて歩いていた。
いつも兄の背中をみて歩いていた。
兄がサッカーをはじめれば私もサッカーボールを蹴るようになり、兄が好きなテレビ番組を一緒になってみたりした。
よくいじめられたし泣かされもした。それでも兄のあとを歩いていた。
星もよくみた。
学校の宿題で、星をみるというのがあったらしく夜になると一時間くらい外に出て星をみていた。
その横で一緒になってみていた。
けれど。
いつからか憶えがないが、兄の後を追うのはやめていた。
やっと兄離れしたんだなと、父も母も安心した。
でもちがう。
兄離れをしたんじゃなくて、大きな兄妹ゲンカをやらかしてから溝ができたんだ。
「星空は見上げるものと思ってるだろ、そんなこと考えてみてると、五分で飽きてしまう」
星は見上げるものだよ、
「でもちがうんだ、空は頭の上をふさぐ天井じゃないんだ」
じゃあ、なんなのさ、
「あの星の輝きは小さな小さな穴なんだ、空に穴が開いていて、外の世界の明かりがこぼれ落ちているんだ、俺達はあの星の穴から顕微鏡をのぞきみるようにしてみられているんだ、星をみているつもりでも、逆に俺達は星々にみられているんだよ。星をみるってことは片思いを募らせることじゃない、対話してるんだ」
また変な作り話なんかしちゃって。
笑いながらメグミは、どうしてあのころ、兄妹ゲンカばかりしていたんだろうかと考えてみた。きっと星に夢中になりすぎてかまってくれなくなったから、星にやきもちを焼いたのかもしれない。
星相手じゃ、はりあうこともできないからケンカをしたんじゃないかな。
家の中に戻るとき、犬小屋から顔を出していたコロが兄をみていた。
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