第9節 遺された人

全てが終わり、私達の世界に日常が戻ってきた。


あの後、目が冷めたメアリとジルさんに、私は全ての事情を話した。

突然訪れた家庭の崩壊。

そのショックを、二人は隠しきれていなかった。


私がお茶を飲ませるまで、彼女たちにとってテッドは『最高の旦那様』であり『最高のお父さん』だったのだ。


それが、たった数時間の内に全て失われた。

信じられないのだろう。

いや……、信じたくないのかもしれない。


私がやったことは正しかったのだろうか。

彼女たちの表情を見ていると、そう思ってしまう。

でも、もし私が何もしなければ、テッドはどんな手を使ってでもジルさんとメアリを地下室に運び込んだだろう。


愛する人に裏切られ、最悪の恐怖を抱えたまま、彼女たちは人知れず死んでいたはずだ。


だから、きっと。

これで良かった。

そう信じることにする。


ジルさんとメアリは、今の家を引き払い、実家に戻ることにしたと言う。

引っ越す前に、最後に二人は私とお師匠様に会いに来てくれた。

ジルさんの実家は、お師匠様も知っている場所らしい。


「私の知り合いの魔法使いがいるところでね。それなりに発展してるから、不自由はしないはずさ。海が見える街でね。良い場所だよ」


お師匠様が私に説明してくれる。

すると、ジルさんが深々と頭を下げた。


「ファウスト様、メグさん、本当に何から何までありがとうございます」


そう言うジルさんの表情には、どこか陰りがある。


「あの……大丈夫ですか?」


私が声をかけると、彼女は弱々しく笑みを浮かべた。


「正直言って、まだ受け止めきれていない部分もあります。あの人が、私達を生贄に捧げようとしていたなんて。でも、きっとメグさんが居なければ、私も、この子も、無事では居られなかったんですよね」

「それは……」


そうだけれども、肯定するのはいささか躊躇する。


「どの道、ダメだったんだと思います。あの人は、きっと、一人で崖に向かって歩いていた。ずっと無理させてしまっていたんです。それに気づけなかった、自分の不甲斐なさを呪います」

「ジルさんは悪くない」


私が言っても、彼女は「いいの」と受け止めた。


「もしかしたら、誰も悪くないのかもしれません。ただ、掛け違ったボタンに気づくことが出来なかった。それを、運命っていうんだと思います」

「これから母一人、子一人で大変だね」


お師匠様が、慈しむような視線を向けた。

ジルさんはそっと頷く。


「でも、メアリを失うよりはずっとマシです。ほら、あなたも挨拶なさい」


しかしメアリは、母の影に隠れるように、拗ねた表情でこちらを見ていた。


「メアリ、ファウスト様とメグさんにご挨拶を」

「やだ!」

「わがまま言っちゃダメよ」

「やだやだ! みんなとお別れなんてやだ! どうしてパパはいないの? どうして離れないとダメなの? ねぇどうして? 私、もっとみんなと遊びたかった! メグちゃんともっともっと遊びたかった!」


メアリはそう言うと、私に抱きついてきた。

暖かな涙の温度を、服越しに感じる。

生命の熱が、そこには溢れていた。


その時、私は思ったのだ。

心から、この子を救ってよかったと。


「ごめんね、メアリ。パパが居なくなったのは、私のせいなんだ。私がもっともっとすごい魔女だったら、きっとパパを助けられた」


悪魔の前に、わたしはあまりにも無力だった。

いろんな人に迷惑をかけて、お師匠様は指まで失って。


「ねぇメアリ、一つだけ約束していい?」


私の言葉に、メアリはコクリと頷く。


「いつか私は、絶対にすごい魔女になってみせる。メアリのパパみたいな人を助けられるくらいに、強く、立派で、偉大な魔女に。その姿を、あなたに見ててほしいの」


メアリは、泣き腫らした顔で、私を見上げた。


「その時まで、私は絶対に居なくならない。だから、メアリも、懸命に生きてほしい。お母さんを助けて、新しい場所でもたくさん友達を作って欲しい。そしたら、私も、ラピスの町の友達を連れて遊びに行ってあげられるから」


メアリの父親は、闇に飲まれ、道を踏み外してしまった。

この子には、そうなって欲しくない。

人は成長すると、辛い時に辛いって言えなくなる。

弱い部分を見せることを恐れてしまう。


そうやって、たくさんの物を抱えこみすぎると、人は突然壊れてしまう。

メアリには、そうなってほしくない。

生きることに、絶望してほしくない。


「メグちゃん、また会いに来てくれる?」


メアリの言葉に、私は笑顔でうなずいた。


「うん。絶対行く。約束する」

「本当に?」

「本当だよ。私、嘘ついたことないでしょ」

「でも、いっつも自分のことキレイなお姉さんだって」

「それのどこが嘘なんじゃっ!」


ブチ切れた私の様子に、メアリは涙を流しながら笑う。


その瞳から流れた涙は、地面ではなくビンの中に落ちた。




二人の姿が見えなくなるまで、私とお師匠様は見送り続けた。

家中の使い魔たちも、私達と一緒に二人を見送っている。


「メグ、後悔なんてするんじゃないよ」


不意に、お師匠様は言う。


「お前のことだ。私の指や、結果としてあの父親を殺してしまったこと、メアリ親子の将来のこと、色々考えてるだろう」

「はい……」

「驕るんじゃないよ。人にも、魔女にも、出来ることには限界がある。あんたはその中でもがいたんだ」


永年の魔女ファウストの視線は、優しくも厳しい。


「これからお前が自分の正義を貫くことで、今回みたいに多くの人が巻き込まれ、恨まれることもあるかもしれないね。それでも、お前は選ばねばならない。自分の信念に従って、正義を貫くのかを」

「はい」

「時に、大切な物を見捨てる決断を求められることもある。そのとき、もし見捨てる選択をしたとしても、後悔するんじゃないよ、メグ。あんたの選択が正しいと言えるのは、他でもないあんただけなんだ」

「はい」


私は、お師匠様を見つめる。

炭となり焼き切れた左の親指は、今も痛々しい。


「自分で決めたことを最後まで貫き通しな。世界に名だたる魔法使いは、みんなそうして来たんだ」


お師匠様は、選んできたのだ。

きっとベストな選択ばかりじゃなかったかもしれない。

助けない選択だってして来たはずだ。

でも、後悔していない。


「私はいつか、後悔のない、世界一の魔女になってみせます」


すると、お師匠様は不敵に笑った。


「なら、まずはお前の使い魔を愛でてやりな。ずいぶん心配していたからね」

「仕方ない。今日は二匹ともペロペロキャンディーみたく舐め回してやろう。嫌がることはない、ふふふ」

「ホゥホゥ……」

「キュウ……」


そうして、私達の日常が戻ってくる。

きっと私は、生き抜いてみせる。

もう二度と、後悔しないために。

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