第3節 契約者の視線

「悪いことは言わない。その子には近づかない方が良い」


ショックだった。

世界魔女、七賢人、百戦錬磨のお師匠様の口から、あんな言葉が出るなんて。


いや、それでも、私はわかっていた。

お師匠様は、ただ冷たくあしらいたいからあんな物言いをした訳じゃないと。


どうしようもない運命が待ち受けている時。

あるいは、とてつもない危険が待ち受けている時。

お師匠様の口調は、冷たいものに切り替わる。


それは、いつだって私を守るためだった。


「うぁぁぁぁ、やる気でねー」


ラピスの街にある行きつけのパン屋さん。

そこのカフェテリア席で天井を仰ぎながら、私はダラけた声を出した。

私の顔面上に使い魔のカーバンクルが寝転ぶが、どける気にもならない。


「ちょっとメグ姉、カフェテリアでペット連れ回さないでよ」


テーブルを拭いて回っていたパン屋の息子のオネットが迷惑そうな顔で私を見る。

なんだかイラついた私はカーバンクルの背中をつまみ上げると「あぁん?」と声を出した。


「テメェ、誰に物言ってんだおぉん?」

「何ヤンキーみたいな声出してんのさ」

「これはペットじゃないんだよぉ! 使い魔! 私の忠実なる下僕!」

「キュイ?」

「何で下僕が主人の顔の上で眠るんだよ!」

「風通しの良い風潮でやらしてもらってるんどす」

「屁理屈ばっか言わないでよ全く……」

「ちぇっ、いいじゃんちょっとくらい。今お客さん居ないんだし」


先程まで喧騒に満ちていたカフェは、波が引くようにサッとお客が消えていた。

お昼過ぎのこの時間はいつもそうだ。

だから私はここでくつろいでいる。


すると、店の入口が開くのがわかった。

カランカランとドアに付けられた鈴が鳴り響く。


「ほら、お客さん来たから隠して隠して」

「んもぅ、ドケチのムッツリ。ほら、カーバンクル、こっちに入りな」

「誰がムッツリだ」


上着の内ポケットにカーバンクルを入れていると「あっ!」と声がした。


「メグちゃんだ!」


立っていたのは、メアリだった。


今一番会いたくない相手だっただけに、一瞬ドキッとする。

しかしそこはメグ・ラズベリー。将来伝説になる女。

良い女特有の胆力を用いて、表情をしっかりと整えるのだ。


「あはは、変な顔」

「……」


まぁこんな日もある。今日は少し調子が悪いしね。下痢もしているし心不全でもある。不整脈も出たし肺が片方機能していない。おまけに盲腸でインフルエンザだ。そう言うことにしておこう。


「メアリは一人でお使い……とかじゃないよね」

「うん。ママとパパとパン買いに来たの!」

「へぇ、家近いんだ?」

「サウスニース通りだよ!」

「マジかよ。フィーネの家の近くじゃん」

「フィーネお姉ちゃんのこと知ってるの?」

「うん。幼馴染で親友なんだ。まぁ、マブダチってやつ?」

「そっかぁ、フィーネお姉ちゃん、メグちゃんと友達なんだぁ……」

「何か言いたいならハッキリ言えや? おぉん?」


そんな会話をしていると、横からメアリの母親が姿を現した。

大人っぽい長い髪をした、優しそうな顔立ちの女性。

どこかメアリの面影があった。


「はじめまして。ファウスト様のお弟子さんよね? いつもメアリがお世話になってます。メアリの母のジルです」

「あぁ、いいえ。こちらこそ娘さんにはお世話になりましてからに。見習い魔女のメグ・ラズベリー言います。どうぞよろしゅう」


何故か私は大人に挨拶をする時、いつも胡散臭いキャラになる。

そんな私の仕草に引くことなく、ジルさんはクスクスと笑ってくれる。

見た目通り優しい人なのだろう。


この人が本当にメアリを生贄に捧げたのだろうか。

とても信じられない。

そう思った時、すぐにそれが間違いであることに気がついた。


彼女の首筋にもまた、メアリと同じ刻印が刻まれていたからだ。


私の心臓の鼓動が早まるのを感じた。


「ジルさん。少しだけ、首元よろしいですか? ホコリが付いてるみたいなので」

「あら、本当?」


ジルさんは疑うことなく座っている私に首元を差し出す。

私は恐る恐る、その烙印に触れてみた。


その瞬間。


ジュッ


まるで焼きごてに手を当てたかのような、鋭い痛みが指先を襲う。

予想だにしていなかった事態に、私は思わずビックリして机に足を打ちつけ「痛ぁ!」と悶えた。


「大丈夫?」

「だ、大丈夫です。ちょっと静電気にやられて」

「それにしては、随分驚いていたけれど」

「私、昔から静電気が体に走るとエクスタシーを感じる体質なんです」


我ながら無茶苦茶な言い訳をしていると、ジルさんは「そう、可哀想に……」と憐憫の目を差し向けた。

この場は乗り切れたが、人として何か大切な物を失った気がする。


それにしても。

何だったんだ、あれは。


烙印に触れた時、私は同時に三つの感覚に襲われた。


一つ目は、引きずり込まれる感じ。

指先で少し触れただけなのに、まるで海の底に引きずり込まれるかのような、不気味で嫌な感触が私を襲った。


二つ目は、視線。

誰かが自分を見ている。

そんな感覚が、漠然と私を包んだ。


三つ目は、熱。

まるで焼きごてを当てられたかのような、激痛が走ったのを覚えている。

私は烙印に触れた指先を見つめた。

めちゃくちゃ熱かったが、指は何ともなっていない。


悪魔の烙印。

そう言われるのが納得できるほどの、不気味な感触。

無意識に、私の体は震えていた。

本能が、近づいてはならないと警笛を鳴らしている。


あの烙印には、何かの意思が宿っているように感じられた。

まるで、未知の生命体みたいだ。


「メアリ、ジル、知り合いかい?」


すると二人の奥から、一人の男性が声を掛けてきた。

男性を見て「あ、パパ!」とメアリが嬉しそうに駆けていく。

その後ろ姿を追うように視線を走らせた時。


私の呼吸は止まった。


「今ね、魔女のメグちゃんとお話してたんだよ」

「へぇ、ファウスト様のお弟子さんの? そりゃあパパも混ぜてほしいなぁ」


微笑ましい親子の交流をよそに、私は立ち上がった。


「あ、ちょっと私、お師匠様から言われてた用事を思い出しちゃって。今日はこれにて」

「えっ? メグちゃん、もう帰っちゃうの?」

「ほほほほごめんねぇ、こうみえても美少女だから忙しくってさ。じゃあオネット! お金、机の上に置いとくから!」

「あ、うん。毎度……」


私は立ち上がり、足早に入り口のドアに手をかける。

すると。


「魔女さん」


背後から、声をかけられた。

メアリの父親だった。

大きくとも何ともない声なのに、私の体は、まるで杭をに打ち付けられたように動かなくなる。


「また今度」

「は、はい、また……」


私は静かに頷き、店を出た。

先程まで重りをつけられたかのようだった体が、一気に解放される。


私は逃げるように、全速力で街を走った。


あれだ。

あの人だ。

あれがだ。


メアリの父親は、人の良さそうな男性だった。

仲が良さそうな親子だった。


だけど、人間の気配じゃなかった。

メアリの父親の視線は、烙印に触れた時に感じた、悪魔の視線と同じだった。

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