第6節 夕暮れ時のパンの匂い

「ぐひぃ、重いぃ!」


長い長い階段を、私は紙袋を抱え老婆を背中に背負って登っていた。

どうやらこの階段を登った先、街一番の丘の上に、おばあさんの家はあるらしい。


「大丈夫? 私まで運ばなくても良かったんだけどねぇ。降りようかい?」

「不要! 女子に二言はない!」


鼻でフーフーと息をしながら私は言った。

寒い季節なのに額から汗がこぼれ出る。

吐く息が白く染まり、鼻水が垂れてきた。


なぜ私は魔女なのに肉体労働をしてるのか。

こういう時こそ魔法を使うべきではないか。

疲れた体で朦朧としながら思考する。


重力無視の魔法を使えば荷物もおばあさんも軽くできる。

肉体強化の魔法を使えば一時的にだが力を上昇させられる……次の日筋肉痛になるけど。


今日を通じて、色々と自分でも気づきがあったはずだ。

自分なりに改めようと思った部分があったし、反省もした。


だから、もう良いじゃん。

使っちゃおうかな、魔法。

そんな悪魔の声が脳裏にこだまする。


私は頭を振ると、その考えを振り払い、目の前に集中した。


まずはここから始めるんだ。

これは、私にとってもう一度立つための儀式みたいな物なんだから。



「はぁぁ、づがれだぁ」



ようやく頂上にたどり着いておばあさんと荷物を降ろした私は、まるでスライムのようにその場にぐにゃりと倒れ果てた。

ゴロンと寝転がり空を仰ぐ。

星が微かに瞬いており、宵の色彩が混ざり始めていた。

夕焼けに照らされて吹き付ける風は、冷たいが心地良い。


「お疲れさま」


そんな私の顔を覗き込むように、おばあさんがひょこりと顔を覗かせる。


「すまないねぇ、腰を痛めてなかったら普段は問題ないのだけれど。自分の歳を考えないと駄目ねぇ」

「こ、ここまで来たら、もう、大丈夫だよね……」

「ええ。本当に、どうもありがとう」


おばあさんはニッコリと笑うと、階段にそっと腰掛けた。


「あなた、ファウスト様のお弟子さんだね。最近、人助けをして回ってるって聞いていたけれど、本当に偉いねぇ」

「そ、そうっすか……。聞いたって、一体誰から?」

「お店の人や、街の人、色んな人が、話してくれてたのよ」

「へぇ……何でだろ」


私は、むくりと体を起こす。


「もしかして、私がソフィと魔法パレードをして有名になったから、みんな私の行動を見てくれてるのかな」

「魔法パレード?」

「ほら、異界祭りの時の」

「あぁ……あの時の花火は見事だったねぇ。七賢人の魔女さんが、わざわざファウスト様の為にこの街で催しをして下さったんだから。それだけ、ファウスト様が偉大なお方なんだろうね」

「うんうん……うん? 私は?」

「ごめんねぇ、あなたのことは気付いてあげられてなくて。あれだけの人混みだと、魔女さんを直接見れた人は少なかったんじゃないかしら。ほら、旅行客とかも沢山いたでしょう」

「確かに……」


私は世界的な有名人と共に仕事をしたことで、自分が有名になったと思っていた。

でも、街の人の目には、実は私の仕事なんて全然目に入ってなかったんだろう。


あの祭りで私がやったことは、七賢人ソフィのサポート。

見に来ていた観客も、ほぼ全員がソフィが目当てだった。

イベントスタッフとか、芸能人のマネージャーの顔をわざわざ覚える人は居ないように、あのパレードで私の顔を覚えた人なんて、たぶんほとんど居ない。


私がこうして色んな人に知ってもらえていたのは、他ならぬ私のおかげだった。

知らない間に私はずいぶんと頑張っていたらしい。

なんでそんなに頑張ったんだろ。命が懸かってるからかな。


考えていると不意に「綺麗だねぇ」とおばあさんが声を出し、私は顔を上げてその視線を追った。

そこで、ハッと息をのむ。


夕陽に照らされたラピスの街が一望出来た。

私が愛した、故郷の街が。


ああ、そうか。

私は何となく思う。

私、この街に住む人が好きだったんじゃん。

頑張って来れたのは、私が助けてあげたいって思って行動してたからだ。

そんな当たり前のことを、いつの間にか忘れていた。


「今日の魔女さんへの報酬だねえ、これは」

「……そだね」




おばあさんを家まで送り届け、私は少し遠回りをして駅の方へと向かう。

街を抜け、住宅街を通り、人混みを抜け。


「あ、魔女のお姉さんだ」

「お疲れ様、魔女のお嬢さん。今日はもうお帰りかな?」

「メグさん、お仕事お疲れ様でした」

「またメグだ!」

「メグちゃん! バイバーイ!」


声をかけてくれる人たちの顔が、今は何だかよく見える。

私が好きな、ラピスの街の人達。

その人たちの顔を、私は全然ちゃんと見れていなかった。

知らない人だと思ってたのに、誰も彼もよく見れば見覚えのある人ばかりじゃないか。


「魔女さん」


不意に声を掛けられて振り返ると、スーツを着た若い男性が立っていた。

その姿を、私はよく覚えている。


「あれ、仕事病みしてた兄ちゃんじゃん。奇遇だねえ」

「いま帰りかい?」

「いや、ぶらぶらしてるとこ」

「じゃあちょうど良かった。これ、この間のお礼」


差し出された紙袋を受け取って、私は「どうも」と答える。

中身は焼き立てのパンだった。


「わぁ、これ角のパン屋のやつじゃん。お師匠様が大好きなんだよね」

「今から届けようかと思って買って来たんだ」

「わざわざ? そんな、良かったのに」


しかし、彼は首を振った。


「どうしても君にお礼がしたかった。あの時、仕事で追い込まれてて、誰にも話を聞いてもらえなくてパンク寸前だった。そんな時に、君に声をかけてもらって……救われた気がしたんだ」

「大げさだよ」

「君が言った言葉、よく覚えてる」

「そんな気の利いたこと言ったっけ?」

「『誇りを持て』って」

「誇り?」

「どんな時も、誇りを持てる自分でいろって。世界中の人間が裏切っても、自分だけは絶対に自分を信じ続けろって君は言ってくれた。それが、いつか自分の支えになるからって」


彼はそう言うと、深く深く頭を下げた。


「僕はあの時、仕事に全く成果が出せなくて、自信を……自分を、見失ってたんだ。そんな僕に、君は『やるべき事をやってるなら何も間違ってない』って言ってくれた。あの時は本当にありがとう」

「いやいや、私は話を聞いただけだからさ。頭を上げておくれよ」

「でも……」

「報酬はこのパンで充分。また困ったことあったらいつでも言って、力になるから」


彼はゆっくりと顔を上げると、静かに笑みを浮かべた。


「わかった。期待してるよ、ラピスの魔女さん」



男性と別れて、私はまた歩き出す。

私は道を歩きながら、静かに深呼吸する。


誇りを持て、か……。

それは、何だか私自身にも響く言葉だった。


紙袋に包まれたパンは、優しい香りで鼻孔を刺激した。

その匂いに釣られて、カーバンクルが肩まで昇ってくる。


「良い匂いだ。お師匠様喜ぶぞ」

「キュウ」


どこからか子供が笑っている声が聞こえ、車が緩やかに走り、夕焼けが街を照らしていた。

人々の喧騒が夕暮れを思わせ、家路につく人達は少しだけ疲れた顔をしている。

その街が、私は好きだ。



私は沢山の人を助けるうちに、色んなケースに対処できるようになっていた。

しかし、いつしか効率を考えるうちに、純粋な宝物だった嬉し涙達は私の下心の塊になっていった。

一番大切な、相手の気持ちを考えることを忘れていた。


きっと、私が成長して来れたのは、誰かのために全力で行動していたから。

誇りを持った仕事をしていたからなんだ。

誰かの為に必要な方法を考えて、時には学んで、文字通り命懸けで行動して、その中で魔法を使ってきた。

一の全力は、手を抜いた百の努力に勝る。


私にとって嬉し涙の価値は、ただ寿命を長引かせるためだけの道具じゃないんだ。

縁や、学び、経験、心……沢山の物を得る為の、人と結ぶ大切な絆。

私にとって大好きな人たちが少しずつくれた、想いの結晶なんだ。



その証拠に、最近、私に声をかけて来るようになったのは、私が助けて来た人ばかりだったじゃないか。



「ホゥ」


目の前にどこからともなく白い鳥が舞い降りてくる。

シロフクロウだった。


「何? お師匠様が帰って来いって? それで迎えに来てくれたの?」

「ホゥホゥ」

「ふふ、殊勝な心掛けだ。ご苦労」


私が頭を撫でてあげていると「キュウ」とカーバンクルも声を出す。

私は二匹の使い魔と顔を合わせて、静かに笑みを浮かべた。


「じゃあ、帰ろっか」

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