第4話 死神をまとう

第1節 黒霧

幼い頃から、時折奇妙なものを見ることがあった。


「ねぇ、おししょうさま」

「何だい、メグ」

「あの人、なんだかくろい」


黒い霧のような、奇妙なもやをまとった人。

それは妙に他の人よりも存在が希薄で、今にも消えてしまいそうに見えた。


私が言うと、お師匠様はそっと私の頭を撫で、


「そうか、お前には見えるんだね」


と、悲しげに言ったのだ。

後に、その霧をまとった人が亡くなったことを、幼い私は知った。


死期が近い人――恐らくは、一ヶ月以内にも亡くなる人にだけ現れる、黒い霧。

それは死神なのだと、お師匠様は言う。


「死神って、スーツ着てないの?」

「着てるわけないだろう。まったく、今度は何の番組の知識引っ張ってるんだか……」

「映画だよ?」

「番組の問題じゃないよ!」


当時映画を見ることにハマっていた私は、誤った死神像を抱いていた。


黒い霧は必ずしも見えるわけじゃ無かった。

ただ、死が色濃く纏う人には、時折現れた。

例えば老衰、末期癌、その他手遅れな大怪我。

避けられぬ運命を持つ人の元に、それは現れる。


あれから、もう十年以上経つ。

今でもたまに、死神を見ることがある。




「ヘンディさーん、今週分の薬効上昇薬と保存液納めに上がりやした」

「あぁ、ありがとうメグちゃん。そこに置いといてもらっても良いかな」

「あいよー」


私は町医者ヘンディさん宅を訪ねていた。

以前頼まれていた医療用の魔法薬を届けるためだ。


都心部の大病院や、他の町医者を訪ね、必要な薬を調合する。

そうして、魔女の技術を提供するのも修行の一つ。

もちろん、お師匠様のチェックなしに薬を提供したりは出来ないけれど。


私が台車から荷物を降ろしていると「あっ」と幼い声がする。


「魔女のお姉ちゃんだ!」

「アンナちゃんやん。こんちわ」

「遊ぼうよ!」

「生憎と私は忙しいのだよ、お嬢さん」

「ケチンボ、ブサイク」

「どの口がほざいとるんじゃ! こんガキャ髪の毛むしり取って肉達磨にくだるまにして豚の生き餌にしたろかい!」

「わぁい、おこったぁ」


待合室でヘンディさんの娘のアンナちゃんとキャッキャウフフしていると、どこからか笑い声が聞こえた。


「仲が良いのねぇ、二人とも」


待合室の隅の方で、町外れに住むフレアばあさんがニコニコと笑みを浮かべていた。

花壇が美しい家に住む、一人暮らしの老婆。

優しい人で、怒った姿を見たことがない。

幼い時はよく花の育て方などを教わったが、ここ最近はとんとご無沙汰だ。


「フレアばあさん、久しぶり。こんなしみったれた所で奇遇だねえ」

「しみったれていてごめんね……」


受付から悲しげな声を出すヘンディさんを私は無視する。


「メグちゃん、すっかり大きくなったわねぇ。元気そうで何より。カーバンクルちゃんも」


すると「キュイ」とカーバンクルが荷物の中から姿を現した。

いつの間に。


「こらぁ、また着いてきちゃったの? シロフクロウとお留守番って言ったじゃん」

「キュウ……」

「まぁ良いじゃない。この子、メグちゃんのこと大好きなのよ」

「じっとしてらんない性質なんですよ。誰に似たんだか」


すると「お姉ちゃんそっくりだね」とアンナちゃんがにっこり笑った。

殺すぞ。


私はふと、フレアばあさんの手に持たれた紙袋に目が行く。

見覚えのある薬品名が書かれていた。


「それ、私が作った魔法薬じゃん」

「そう。関節痛のお薬と一緒に飲むとよく効くの。私が今も元気に歩けてるのはメグちゃんのおかげよ」

「そりゃ良かった。フレアばあさんも今年で八十歳かぁ。元気でいてよ、マジで頼むから」

「ふふ、そう言われたら頑張らないとねぇ」

「今日はこのまま帰宅?」

「いいえ、ちょっと町外れの森までお散歩するの。大きな御神木に会いにね」


フレアばあさんはそう言うと、ゆっくりと立ち上がった。

私はその体をそっと支える。


「それじゃあヘンディさん、失礼しますね。アンナちゃんも」

「ええ、お大事に」

「おばあちゃん、またね」

「メグちゃんもありがとう。ここで大丈夫よ」

「そう? 気をつけてよ。そうだ、フレアばあさん、今度遊びに行って良い? 花のこととか、また教えてよ」

「ええ、いつでも待ってるわ」


ドアを開けて「それじゃあ、また」と手をふるフレアばあさんを見送る。


その時、私は一瞬見てしまった。

フレアばあさんにまとわりつく、見覚えのある黒い霧を。


全身に鳥肌が立ち、思わず息を飲む。

自分の吐き出す息が震えているのがわかった。

寒い日のはずなのに、額から汗が伝う。


「どうしたの? お姉ちゃん」


声をかけられてハッとした。

見るとアンナちゃんが心配そうに私の顔を覗き込んでいる。

私の様子に気づいたのか、ヘンディさんも近づいて来た。


「メグちゃん、顔色が悪いけど。調子でも悪いのかい?」

「えっ? ……いやぁ、大丈夫大丈夫。元気だけが取り柄だからさ」

「そうかい? 風邪ひきやすい季節だから、気をつけなよ」

「あんがと。ところで、フレアばあさんって、何か重い病だったりする?」

「いや、そんなことはないと思うけど。どうかしたのかい?」

「ううん、何でもない」


フレアばあさんにまとわりつく、黒い死神。

それは、避けられぬ彼女の天命を告げていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る