終怪

 鴉が鳴いている。ぎゃあぎゃあ、ぎゃあぎゃあと、けたたましく、不愉快な声で。都会の街並みでは気にならないその声がこんなにも不快であるのは、今の自分の精神状態にも起因するのだろう、と、高月は溜息をついた。彼は憂鬱だった。とても、とても。

「ふふ、こんなに麗らかな朝に美少女と共に登校しているというのに、随分な顰めっ面じゃあないか」

 ――それは、この、隣を歩く顔だけは美しい少女のせいである。高月は顔を一層顰めて、息を吐いた。

「……まず麗らかじゃねーよ」

 麗らかな朝に鴉の鳴き声など響かないし、こんなにも淀んだ空の色はしていない。時刻は朝の七時だというのに、空はどす黒い紫に染まり、夜のように暗く、歩む道は赤黒く染まっている。

 それが、『昔から変わらない、この町の姿だった』。

 ――ああ、不愉快だ。この町の雰囲気も、姿も、隣を軽やかに歩きながら高月を揶揄するこの幼馴染みも。高月はそう、何度目かも分からない幸せを逃がす。

 それをまた、愉快そうに笑って、幼馴染み――幽は形の良い唇を弾ませた。

「うふふ、いいんだぜ? 私は、君を置いてさっさと行ってしまっても」

「……」

 高月は途端に黙り、だが、彼女の隣からは離れない。それこそが答えであって、幽はにまにまと笑い続けている。実に不愉快だった。それでも、彼女に離れられては困るほど、高月は情けなかった。

 ――道の端に集まって、高月を見詰める数多の瞳。鬼蜘蛛、悪鬼、旧鼠、その他諸々の異形達。

 鬼島町においては『昼夜問わず』化物共が溢れかえっている。幽が居なければ、高月などはあっという間に引き裂かれ、腸を引き摺り出され、目玉も脳味噌も啜られて殺されてしまうだろう。それ故に、高月は幽の隣から離れられないのであった。

「……もう引きこもりてぇ」

「おやおや、高月君はいつから不良になってしまったのだろう! 不登校だなんて、咲夜さんが心配してしまうぜ? それに鈴の教育にも良くないじゃないか」

「うるせぇよ……」

 そもそも外に出掛けなければまだ危険性は下がると言うのに、この隣の女はそうさせてはくれない。理由はどうせ、つまらないからだろう。この幼馴染みにとって、自分は愉快な玩具でしかないのだから。

「うふふふ、それにしても高月君。いくら周りの禍達を見たくないからと言っても、前は見ないといけないぜ」

「あ?」

 道の両端から聞こえる唸り声や血肉を咀嚼する粘着質な音、そういったものから意識を逸らそうと足元を見て歩いていた高月は、幽の言葉に反射的に顔を上げた。

 ――蛇の尾をゆるりと揺らし、狸の胴体から繋がる太い手足は虎のもの。顔は猿、だが、ぎょろぎょろとした目は血走って、鋭い牙を具えた口には町の外の住人であろう若い男の首を咥えている。その死体の表情こそが、男の悲惨な死を嫌でも想像させてしまう。

 道の真ん中を通る巨大な鵺。高月はそれと、目が合ってしまった。

「――ひっ」

 思わず後ずさってしまう。それこそが、鵺を刺激した。鵺は生首を吐き捨てて、高月へと首を向ける。生臭い息が掛かる心地がして、高月はさらに後退り、足が縺れて倒れ込む。虎の足がコンクリートを踏み付ける。

 高月の眼前に、黒い爪が迫った。


 ぐちゃ。びちゃびちゃっ。そんな音が、通学路に響く。


 高月の目は無事である。怪我らしい怪我はひとつもなく、強いていえば倒れ込んだ時に付いた手がひりひりと痛むだけだった。だが、髪から赤い液体がぼたぼたと滴る。

 幽が鵺の頭を釘バットで吹き飛ばして、それが高月の頭上を通り越した時、思いきり被った血肉だった。鵺の息とは比べ物にならないほどの生臭さに目眩がする。

 胃に酸っぱいものが迫り上がる。

「――っあっはははは!! やっぱり高月君は最高だよ!」

 血溜まりに吐瀉物を混ぜて項垂れる高月に、幽は高らかに笑い続ける。

 ――ああやっぱり、この女は最悪だ。

 高月はそう、心の中で呪詛を吐いた。飛んで行った鵺の頭などもう知ったことではない。どうせ、小鬼あたりが貪りに来るだろう。そんな光景を見たくも、小鬼という危険に晒されたくもない。ならば、さっさと学校という安全地帯に行かねばならない。そっちの方が、まだ何倍もマシなのだから。

「あれ、高月大丈夫?」

 後ろから馴染みのある声が聞こえて、振り向く。そこに居たのは馴染みのある友人達だ。男子制服ながら女のような顔をした、片目から薔薇を生やした白戯が歩み寄り、高月の背を摩る。

「朝っぱらからかっこ悪いわねぇ高月ってば」

「なになにー、また幽チャンにいじめられたの?」

 白戯の後について、空音、傘本が楽しげに高月をからかう。相変わらずの友人達に、落胆と、脱力と、僅かな安堵を覚えて、高月は項垂れつつも起き上がった。

「そんなことより、今日帰りに鬼島茶屋に寄ろーって話してたんだけど、二人も行くよね?」

「勿論だとも」

 白戯の問いに、高月を押しのけて幽が答えた。高月に答える隙はなく、即ち、拒否権も無いということである。いつもの事だと、高月は諦念の息を吐いた。

 そう、いつもの事なのだ。全ては幼少の日に、高月『達』が、町にやってきた『幼い幽』を一目見ようと、『鬼島荘に集まって覗き見をした』時から。

 あの出会いから、もう、幽は高月達の日常にいたのだから。


 ――とん、とん、とんから、とん。


 そんな声が、自転車の転がる音が。

 聞こえた気がして、高月は振り返る。だが自転車なんてものは影も形もなく、ただ、いつも通りの血なまぐさい通学路があるだけだった。

「そういえば高月、宿題やった?」

「、あ? あぁ……」

 白戯に声をかけられて、ハッと我に返って答える。その答えに、空音が「忘れてた! 写させて!」などと騒ぎ立てた。

 どこまでも、いつも通りの。


「……なぁ、白戯。『とんからとん』って、何の事だかわかるか?」


 歩き出した彼らと共に学校へと向かいながら、前を歩く白戯に問う。ぱちくりと、薔薇ではない方の瞳を瞬かせた彼は、笑った。

「何それ、暗号か何か?」

「……だよなぁ」

 白戯もこう言うのだから、きっと何かのゲームか漫画かで見た単語なのだろう。明確に思い出せないほど、きっと取るに足らないものなのだろう。

 そう、高月は、何も気にしないことにした。

 そういえば、自分がこの町に帰ってきてどれくらいの日数が経っただろうか、などということも。きっと、取るに足らないものなのだろうから。そんなことよりも、大事なことはあるのだから。

「おい幽、頼むから今日はもう暴れんなよ。食欲失せるわ」

「おやおや、そんなふうに言われると余計に君をいじめたくなってしまうなぁ」

 隣の幽の返答は予想通りである。高月は嫌そうに顔を歪めて、優に二桁は到達していそうな溜息を零す。

「今晩はステーキにシチューに、デザートにケーキがあるんだよ」

「ほう? 今日は何か祝い事でもあっただろうか」

「お前が鬼島荘に入った日だろ」

 言ってやると、幽がぱちくりと珍しい間抜け面を晒す。人形のような顔立ちのこの女も、そんな顔をすれば少しは人間味があって可愛げが無いことも無いなと、高月は少々気分が良くなって、鼻で笑った。

「咲夜さんはそういうとこマメだからな。そんな日に飯残したら咲夜さんに悪いだろが」

「……それもそうだ、ならば今日は少しは気を配ろうか」

 目を丸くしたまま、幽がそんなことを言う。いつもそうしてほしい所だが、そんなことを言えば火に油だろうと、高月は口を噤むことにした。


「……鬼島荘に入った日、だなんて、都合上設定したに過ぎない記号だと言うのにね」

「あ? なんか言ったか?」

「いいや、何も」


 幽はふわりと、顔だけは本当に美しく、笑いを零す。


「君達は本当に面白い」



 鬼島町には、人智を超えたモノ達が蔓延っている。あそこに行くのなら、気をつけなければならない。

 こわいものはいつも、すぐそこにあるのだから。


 今日も、町には何処かで禍の啼く。

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禍の啼く町 ミカヅキ @mikadukicomic

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