第106話

 世界中で地獄の蓋が開いたのは日本時間でいうと3月14日の午前9時26分……奇しくも20年前に世界で初めてダンジョンが発生した時間のことだった。


 既にダンジョン外で活発に行動していたゾンビやゴースト、スケルトンなどのアンデッドモンスターはおろか、ダンジョン内からはゴブリンやスライムなど比較的低位のモンスターを皮切りに、オークやオーガ……果てはドラゴンやグレーターデーモンなど、悪夢の象徴のようなモンスター達までもがダンジョン外にでて破壊と殺戮の限りを尽くさんとした。

 スタンピード……始めに誰が口にしたのか?

 本来なら家畜の暴走や人の狂騒を指すその言葉が、進軍するモンスターの群れを表す言葉に置き換わったその日……。

 結局のところ、名付け親は誰なのかは分からないのだという。


 その日、日本は朝から国内至るところ、まさに戦場のようになった。

 それまで部隊単位での運用で被害者を多く出しながら、ひたすら後手に回り続けていた自衛隊も、今回ばかりは戦車や戦闘機などまでも持ち出し、それはそれは激しく抵抗をした。


 ……初めは良かったのだ。

 ゾンビに対して、ゴブリンやオーガに対して、さらにはグリフォンやワイバーンなどに対しても、現代兵器の数々は間違いなく有効だったし、むしろ優位に戦闘を進めていた。

 もちろん人員および兵器の集中運用の弊害で、彼ら自衛隊が守護していられた地域は、各主要都市の未だに機能していた地域に限定をされていた分、その他の地域はモンスターどもが好き放題に暴れ回っていたという現実を横に置くならば……だが。


 彼らの鬼門となったのは、ドラゴンやフロストジャイアントなどの大型かつ伝説級の魔物達もそうだが、それより何より……本来ちっぽけなモンスターであるところのゴーストや、グレムリンなどだった。

 ゴーストなどの非実体系モンスターに、いかなる銃弾や物理兵器も通用しないことは自衛隊でも早くから情報を得ていたし、それに備えるため魔法の発動体たる杖や指輪の入手を目指し、志願者を中心にダンジョン探索に従事させていた経緯はある。

 ……あるが、いかんせん時間が足りなかった。

 各部隊に分散配置するにはとても数が足りず、仕方なく単一部隊として編成していたのも仇となった。

 非実体系モンスターへの切り札のような扱いを受けながらも、彼らはゴーストのような対象モンスターを排除しきるところまでは至らず、あるところではドラゴンのブレスに巻き込まれて全滅したし、またあるところでは、ワイトに操られて同士討ちする破目に陥ってしまうなど、当初期待された活躍は見られなかったという。

 そうなると銃弾も砲弾もミサイルすら通用しない非実体系モンスターに対して、彼らに打つ手は無かった。

 じわじわと後退し、人間の領域を減らしながら、物理的な兵器の通用する相手をコツコツ減らしつつ、それ以上の被害者を出していく展開となってしまう。


 探索者と呼ばれる民間人との協力を良しとしなかった自衛隊の上層部……ひいては防衛省の生き残り達にも責任はあるだろう。

 もし魔法の発動体を持つ探索者だけでも迎え入れていたなら、もう少し戦線の崩壊を招くに至るまでの時間を稼げていた筈だった。


 制空権を賭けた戦いにおいては、さらに一方的な展開に陥る。

 初めこそ自衛隊が地上戦よりよほど優位に戦えていた。

 高空においてはドラゴンさえも、最新鋭の戦闘機の前では良い的に過ぎなかった。

 何しろ速度が違う。

 剣や弓矢で倒すには無理があるサイズのモンスター達も、戦闘機の誇る機銃やミサイルの前にどんどんその数を減らしていった。

 異変が起きたのは突然だった。

 ある戦場で最も多くのモンスターを撃ち落としていたパイロットの機体の、レーダーが死に無線が死に……ついにはエンジンまでもが死んだ。

 慌てて緊急脱出を図るも、脱出装置までもが既にダメになっていた。

 茫然としたパイロットを乗せたまま墜ちていく機体。

 敵味方が争う戦場の上から真っ逆さまに墜落し、多くの道連れを双方に出して爆散することになった。


 空に潜んでいたのは透明化の能力と、瞬間憑依能力を兼ね備えた戦闘機の天敵……グレムリンの大群だった。

 戦闘空域に達したグレムリンは動かない。

 自らは全く動かぬまま、獲物が通り掛かるのをひたすらに待つ。

 瞬間憑依の能力を発動出来る距離に戦闘機が達した場合のみ、その能力を遺憾無く発揮して戦闘機そのものに取り憑くのだ。

 そこに速度の差などは関係しない。

 人間の知覚能力では到底実行不可能なこの難事を、そのための能力のみに特化した存在たるグレムリンは鼻歌交じりに難なくこなす。

 事実、グレムリンに取り憑かれた戦闘機のパイロット達が最期に聞いたのは、この陽気な邪妖精の下手くそな鼻歌であった。

 空の戦いはグレムリンによって阿鼻叫喚の様相を呈していたのだ。

 決着が付いた時点で空を駆けるモンスター達は嬉々として陸上の戦いに介入していく。

 ことここに及ぶと整然とした撤退などは不可能に近い。

 もはや軍どころか、隊と呼べるものですらなくなって逃げ惑う自衛官達の姿が、あちこちの戦場で見られたという。


 海に近い主要都市では陸上部隊の支援のため、海上自衛隊や、海上保安庁の船舶が所狭しと並んでいた。

 海上からの支援攻撃を指して、艦砲射撃などと呼ばれていた時代より、よほどに効果的な支援が可能なのが現代の戦闘用船舶ではある。

 しかし……アンデッドモンスターの親和性が高いのは、むしろ陸より海上だった。

 セファラポッド(巨大なタコやイカ)や石距てながだこ、フォートレスロブスター(要塞エビ)、シーサーペント(巨大海蛇)などを相手取っていた時はまだ良かった……しかし、実体の無い戦艦は反則だろう。

 戦艦と言っても旧時代のそれ(ガレオン船やジャンク船、安宅船や関船まで含まれていた……)であるし、そもそも実体が無いのだから艦砲などは怖くない。

 問題は非実体系モンスターを満載して来たことだった。

 欧米人の姿をした水夫や海賊、はたまた倭寇や平家の落武者、元寇時代のモンゴル兵などを模したゴーストの群れに混じって、スペクターやワイトなどの上位アンデッドも束になって襲い掛かってくる。

 甲板や艦橋はおろか、たとえ船室内に閉じ籠もっていたところで結果は同じ。

 幽体しか持たない怨霊どもは、壁や扉など容易く通り抜けてしまうのだから……。

 こうなると陸上の戦闘と、全く同じ轍を踏むことになってしまう。

 ……いや、なお悪い状況だったと言える。

 …………退路が無い。

 仮に首尾よく港に逃げ込んだとしても、結局は押し寄せるモンスター達の餌食となる時間が、早いか遅いかというだけの問題だろう。

 大半は逃走どころか、船内に侵入してきた非実体系モンスターに気を取られた結果……まともな戦闘行動を持続出来ずに、緒戦で撃退しまくっていた海棲生物系モンスターにまで雪辱を許してしまう船も非常に多かった。

 一か八か敵中を突破……沖の方に逃げた船が最も命を永らえたという。

 結局はモンスターの追撃に遭い、船ごと海の藻屑と化したのは変わらなかったが……。


 戦力の集中を選んだ自衛隊に対し、警察は分散配置を選んだ。

 国を守るのは自衛隊に任せ、警察は市民を守ることにしたのかもしれない。

 いや、上層部同士の折り合いが付かなかった可能性も十分に考えられるが……。

 結果は言うまでもない。

 自衛隊とモンスターの大群がぶつかる前の段階で、警官隊の敷いた防衛線はいとも容易く破られていたところの方が多かった。

 むしろ防衛線とも呼べない程度の人員しか配置されていなかった、非都市部のダンジョン周辺の方がマシだったのは皮肉な話だ。

 そうした地域では探索者との協力体制を現場の警官達が黙認していたのも幸いした。

 モンスターとの戦いにおいては、個人個人の柔軟な判断こそが生き残りに必要な条件だったのかもしれない。

 要は逃走に成功した者だけが生き残ったというだけの話なのだが……。


 これまで比較的安全とされてきたエリアのダンジョンから続々と湧いてきたモンスター達は、最初は低層の雑魚モンスターばかりだった。

 しかし次第に中層や深層に生息するモンスターが増えてきたことにより、ダンジョン周辺で待ち構えて迎撃……という戦術を選んだ者達は撤退か死か、どちらしか残されていなかった。


 愛着のある故郷や自宅を守れた者など一握りの幸運な者しかいない。

 大半の者は何故かモンスターが避けて通るエリア、モンスターが進入してこない地域まで撤退を余儀なくされたという。


 この日、モンスター達はその領域を大いに広げ、対して人類は点在する安全地帯に逃げ込み窮屈な生活を強いられることになるのだった。

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