埼京線快速で思う、こじらせ女子と仏教の話

@akihiko810

第1話

「人生って旅だよね。最悪の部類の」

僕は今、埼京線新宿方面大崎行きの列車に乗りながら、彼女について考えている。

彼女にはもちろん名前があるが、僕はここでは、彼女のことを「彼女」と呼びたい。

夏目漱石の『こころ』の書きだしが「私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。」だったが、僕も同じように彼女の名前をここで明かすことはしない。僕が彼女のことを「彼女」と呼ぶのはなんだか不自然だけど、他に呼び方が思い浮かばない。

彼女は僕の友人だった。恋人ではない。僕は本当は彼女のことが好きで、以前一度それとなく好意を伝えたのだけど、同じくそれとなく断られてしまった。それ以降は、僕は何もなかったかのように彼女と接して、彼女も何もなかったかのように僕と話した。

彼女は酒飲みだった。下戸の僕とは対照的に、彼女は酒をよく飲んだ。でも決して酒に強くなくて、飲むときは毎回、吐くまで飲んでいた気がする。

そして彼女は「こじらせ女子」を自称していた。いつだったか彼女は雨宮まみの本を読んでいて、読み終わると僕の方を向いて「この人は私だから」と言ってニッと笑った。

彼女と最後に話したのは雨の日だった。なぜか彼女と旅の話になった。僕は出不精なので旅行はしない、と言うと、彼女もそれに同意した。

そしてそのあと彼女は一言、「でも、人生って旅だよね。最悪の部類の」と言った。

僕は「人生」なんて嘘くさい単語が急に出てきて驚いたのだけど、これは彼女なりのジョークだと思って曖昧に笑った。そのあとは何の話をしたのか覚えていない。

この数週間後、彼女は死んだ。あとで訊くと、彼女は何かやけになって夜まで酒を浴びるように飲んで、そのまま倒れるように寝て寝たまま嘔吐し、喉に吐瀉物を詰まらせて窒息死したそうだ。

彼女がなぜその日、そこまでやけになったのかは知らない。ただ彼女は、「最悪の部類の旅」である人生から逃れようとしてその日酒を飲み、図らずも死出の旅へと旅立ってしまったことは想像できる。

--電車は県境に差し掛かり、荒川の上を走っている。川に反射する夕焼けがやけに綺麗だ。--

僕は彼女が言った言葉について考える。

人生とは、自ら望んで始めるものではない。いわば人生とは根拠なき旅であり、望むと望まざるとにかかわらず漂浪せねばならないのだから、彼女の言う通り「最悪の部類の」旅だろう。その上で彼女は、何かしらの困難を抱えていたのかもしれない。

その意味で彼女は、人生という旅路で遭難し、のたれ死んでしまったといえる。

彼女はきっと、生き辛さを抱えて生きていたのだろう。そして彼女みたいに辛い人間は珍しくないのかもしれない。

彼女の死を考えるたびに、ある仏教の本--禅僧・南直哉の『賭ける仏教』という本を読んだときのことを思い出す。

仏教なんて興味はなかったのだけど、書店で「人はなぜ生きるのか?」と帯に書かれている本を見つけて偶然手に取ったのだった。

内容はこうだ。著者・南老師は幼少時から「人は何故生きるか」「死とは何か」について悩んできた。中学の時、国語の教科書に「諸行無常」とあるのに感銘し、仏教に興味を持つ。大人になりサラリーマンになるが、幼少時からの「死」という問題意識を捨てきれずについに出家する。そのときの気持ちは、「生きる方に賭ける」という気持ちだったという。そして「仏教では不殺戒があるから、自殺はできない。自殺という一発必殺のカードを捨てなければならない。だから私は、仏教を頼りに生きる方に賭けた。自分の<生きる>意味は、自ら<生きる>と決めたときにしか現れてこないと思った」といったことが書かれていた。

僕はこれを読んだとき、「これだ!」と思った。これは僕の問題意識と同じだと思った。「生きる方に賭ける」…なんて魅力的な言葉だろうと思った。

僕はそれから南直哉の本をすべて読み、仏教の勉強もそれなりにして今にいたる。

彼女がこじらせ女子の雨宮まみに影響されたように、僕は禅僧の南直哉に影響された。どちらのも生きるのが苦しい、実存の問題を抱えた人間だ。

仏教では、人生のように根拠のないこと、どうにもならないことを「苦」という。仏教とは、「苦がまとわりつく人生をやりきるための、テクニック」なのだと南老師は言う。

彼女は残念ながら、「生きるテクニック」を身に着けることができなかった。

僕は思う。彼女がもし、仏教の言葉に出会っていたら。彼女がもし、「生きる方に賭ける」という言葉に出会っていたら、彼女はのたれ死ななくてすんだのではないだろうか。

たぶん彼女と僕の違いは、仏教の言葉に出会ったかどうかだけだ。彼女は仏教の言葉に出会わなかったし、僕は仏教の言葉に出会った。それだけの違いだ。彼女はのたれ死んでしまったが、僕はまだ人生という旅をまだ続ける。

--列車が新宿に着いた。僕は降車する。僕の旅がどこに向かうのかは、ここでは書かない。  <了>

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