第12話・かわいくなれない、わたし
「あっ、あの御前…私そういうつもりでは…っ」
自分のことを大層な呼称で呼んだ長身メガネを無視して、律心の制服に身を包んだ小柄なコは、ゆっくりとわたしの前にやってくる。
百五十六センチのわたしよりもわずかに低い背。
おかっぱ寄りのショートボブに、ちっちゃい丸眼鏡。
メガネといえばそっちの長身メガネの印象が強いのだけれど。
こちらはメガネの向こうにある目の方に、印象を引きつけられる。
それは、見えてるのか見えてないのか心配になるような糸目で、けどその分…。
「注意してください、センパイ」
秋埜が小声で警戒を促すくらいには、何を考えているのか、分からなかった。
「ふふ、ボクの大事な千也呼が世話になったようだね。いろいろと」
そして口にした言葉の意味も分からなかった。ナニコイツ。
「…あんまり大事に扱っているようには見えないのだけどね」
「愛し方にはいろいろあるものだよ。キミがその背中に庇う娘を愛しく思うやり方とは…違うものさ」
物言いがいっちいち芝居がかってキモいなあ…。
「…ねえあっきー、これがうわさのお耽美、ってやつ?」
「…なんか違うと思う…けっこーおナル入っててぶっちゃけ関わりたくない」
後ろの二人は勝手なことを言ってるけど、まあわたしも割と同意見だった。
「まーそっちの問題はそっちで解決しといてよ。わたしたちは帰るからさ」
はい撤収ー。回れ右して秋埜と今村さんの背中を押す。
「そっすねー」
「いい子はお家に帰る時間でーす」
二人ともノリのいい後輩で助かるなあ。
この面倒な事態をようやく抜け出られるならスキップくらいしても構わない。
…そんな気持ちで一歩踏み出したわたしの後ろから、本気で心外っぽい調子の声がかかる。
「え、帰っちゃうのか…?つまらないなあ…それじゃあ千也呼たちで遊ぶしかなくなるじゃないか…」
踏み出しかけた左足を下ろすのさえ、止まる。宙に浮いた足を微動もさせずに、わたしは耳に入った単語の意味をよく噛みしめると。
おい…今、「千也呼たち『で』」って言わなかった?
何する気なのよ、その子たちで。
「あの、センパイ…?」
止まった時が動き出すかのように、地に降りるわたしの足。
それをそのまま軸足にして、もう一度回れ右。
怪訝な顔のボクっ娘を真っ正面から睨み付けたわたしは、自分でもどうかしてると思うくらいのドスの利いた声で問う。
「これから何をするつもり…?」
「ええ?あ、もしかしてボクと遊んでくれるの?嬉しいなあ」
…のだったけど、これがまた邪気ゼロの完璧な笑顔で応えられてしまったのだから、わたし、面食らう。
というか、何でわたしと遊ぶとかそういう話になんのよ。
困惑のままに長身メガネを見ると、首をブンブン振ってた。よく意味は分かんないのだけど、言うことを聞かない方が良い、ってことなんだろうか?
今度は秋埜の方を振り返り見る。
わたしと目が合うと、高速で手と指を繰って何かを告げてきた。えーっと、なになに…?
そいつ。
マジヤバい。
ので。
早いとこ。
逃げましょう。
…いや何で打ち合わせもしないでジェスチャーを理解出来てるの、わたし。
「えーと…」
「なにして遊ぶ?千也呼たちと同じことでいいかな?あ、初めてだから自己紹介からしないとね。ボクは、
「あっ、わたし、は、中務麟子、だけど…」
「中司。へぇ~由緒ある家の出なのかな。りんこ、ってのはどう書くの?」
「麒麟の麟に、子」
「へぇ~、へぇ~」
何かわたしの名前に感心するところでもあったのか、しきりに頷いている。というかうちは特にいわれのある家でもなんでもないんだけれど。
「麟子、かあ。とてもいい名前だね。気が強そうで楽しめそうだ」
そりゃ気が強いってのは認めるけど…感心するようなところなのだろうか。
「…あの、御前、私達がおりますし、その方は」
「黙ってて、千也呼」
「ですが、お友達もご一緒のようですので、それ以上は…」
「黙れと言ったんだよ、千也呼」
そこでようやくちびっ子…三条美乃利と名乗った子は、長身メガネの方に振り返って声をかける。ただし、叱責するような調子で。
わたしの名前を口の中で繰り返してた時のような楽しげなものではなく、一オクターブ低い声は、自分に向けられたものでなくても、どこか心胆の冷える心持ちがするものだった。
「…は、はい…申し訳ありません…」
そして長身メガネの様子も、妙と言えば妙だった。その、叱られて恐縮するでもなく、むしろ顔を赤らめて恍惚としてるよーな…。
「千也呼は後でたっぷり可愛がってあげるよ。何せ、ボクはキミのお姉さまなのだからね」
「あり、ありがとうございます…」
うーん。
「…………?」
「………!、…!!」
秋埜の方をもっかい見たのだけれど、やっぱり否定的。「やめとけ、やめとけ!」とでも言いたいのだろう。
つまるところ。
このちびっ子とわたしの相性がとんでもなく悪い、と秋埜は見たわけで。
それならわたしとしても関わりにはならない方が…。
「ああっ?!」
え?
悲鳴に近い声に慌てて振り返ると、長身メガネが頬をおさえてへたれ込み、その前に三条美乃利が仁王立ちしていた。背中からでも分かる、明らかな怒気をはらんだ様子で。
「ダメだと言ったじゃないか、千也呼。あの子はね、ボクからキミを奪おうとしたんだ。それなりのお仕置きが必要なんだよ?ボクのものであるキミが口出ししていいことじゃない」
あの子ってのはわたしのことか。まったくそんなつもりありません、って言っても信用されないだろうなあ。わたしの中で、また律心女子学院への印象が悪化。こんな変なのばっかなの?あのガッコ。
けどまあ、それはどうでもいい。
わたしが怒らなければいけないことがあるのだとしたら。
「ちょっと。自分の友だちを張り倒して何がしたいわけなの、あんたはさ」
「あん?」
思いっきり首を上斜めで後ろ側に巡らして、わたしの方をじろりと一瞥。
糸目が微かに開いて瞳の光が見えたけど。なんかコイツ、まともじゃない。
けど、見過ごしていい場面でもないと思った。
「思い通りにならないからって簡単に暴力振るうようならあんた、真っ当な神経してないわよ。そっちの子らに謝ったら?」
そりゃそんな恰好してたら首が疲れるだろうなあ、と呑気なことを思わせるようなゆっくりさで、三条美乃利はわたしに向き直る。やれやれ、とため息をつきながら。やれやれ、はこっちだわよ。
「ひとのものを盗っておきながら随分な態度だね、キミ。泥棒猫、って言い回しがあったけど知ってる?今のキミにぴったりだと思うんだけれどな」
「知らないわよ。あんたのお友達がわたしともお友達になりたい、って言ったからって
「
ダメだこりゃ。前提からして話噛み合ってないんだから、会話が成り立ちやしない。
まだ座り込んでいる長身メガネを見る。助けて欲しいなら力になるけど?、というつもりだったのだけれど、わたしと目があっても小さく頭を振るばかりで訴えかける様子もなくて、それはその後ろの三人にしても同様だった。
…だったら、わたしがこれ以上関わる意味もないのかな、と気を抜きかけた瞬間だった。
「…へえ、こうして見るとキミ、結構かわいいじゃないか」
一歩、わたしに近寄った三条美乃利が熱にうかされたような口調で言う。
「…それはどーも」
一瞬遅れて気のない返事。だけど、わたしは全身に鳥肌が立っていた。
今までいろいろな場面でいろんな人に「かわいい」って言われたけど。
なんだこいつ。
わたしは初めて、「かわいい」って言われて気分が悪くなっていた。
そしてその隙を突いたのだろうか。
パァン!!
派手な音ともに、わたしの左の頬が張られていた。
「先輩?!」
「センパイ!何しやがるっすかこいつ?!」
背中で響く、今村さんと秋埜の悲鳴。
「………」
けど、わたしは意地でもこいつから目を離さなかった。顔に迫る手の平を睨みながら、避けることもなかった。
「…へえ、なかなかいい反応をするじゃないか。ますますキミに興味が増したよ?」
「あんたみたいなクズに興味持たれたって寒気しかしないわよ」
「いいねいいね、その口答え。ボクのことをキミが屈辱に塗れた様子で『お姉さま』…って呼んでくれるときを思うと、ぞくぞくするね」
あーもう。こいつぶん殴ってやりたいなあ、グーで。
口の中でも切れたのか、血の味がする。そういえば平手を見るのに集中して、歯を食いしばるの忘れてたな。
頬を張られた姿勢のまま、わたしは顔の左側を横目で睨みながら拳を握った。
本気の取っ組み合いのけんかなんて、小学生の時が最後だった。
その時は男の子が相手で、いい加減体格で勝てない勝負だったわけで、でも多分女の子相手ってことで、あっちも加減も出来ないけんかじゃなかったんだろうなあ、って今にして思う。
だから、女の子とたたき合いみたいなけんかになってどうなるのかなんて、想像もつかない。
でもさあ…バカみたいだとは思うのだけれど、コイツはぶん殴ってでも分からせてやらないといけない、って思うのは子供の時のけんかの切っ掛けと全然変わってなくって。
わたしは相変わらずだなあ、って内心苦笑しながら、やっぱりわたしはわたしでいたい、って思う。
ごめんね、と脳裏に浮かんだ何人かの人に先に謝っておく。
わたし、かわいくなんかなれないよ。
「御前!…いえ、三条さん。止めましょう」
正面を見据えたその時、長身メガネが三条美乃利に取りすがっていた。
…というか、背中から抱き留めるような感じ。
殴られて、どうしていいかも分からないかのように呆然としてた時がうそのような、凛とした様子。
「…千也呼?ボクに指図するつもりかい?」
「お叱りは後ほど如何様にも。ですが、これ以上は律心の生徒として許されることではないと思います」
「ふぅん。いい度胸してるね、千也呼も」
「はい。ありがとうございます」
誉めたんじゃないんだけどね、と三条美乃利は大仰に肩をすくめると、まだ自分のことを睨んでいるわたしを上目遣いで見やる。
「千也呼がなかなか気骨のあるところを見せてくれたから、今日は見逃してあげるよ。興醒めもしたことだしね」
「…次なんか無いことを祈ってるわよ」
「ふふ、意見が合わないね」
シラケた様子の中にも、ちょっとだけ楽しげに笑う。そこだけは年齢相応のあどけなさであったのだけど。
「じゃあね。またどこかで会いたいな」
もうこれ以上口を利きたくも無くて、お断りだ、とも言わず、五人が静かに去って行くのを見送った。
「センパイ、大丈夫ですか?!」
「あっきー、先輩叩かれたからハンカチか何か、濡らしてきて…ああうん、私が持ってくるからあっきーは先輩についてて!」
「わかった、お願い」
場が静かになるとようやく、身動きもとれなかっただろう二人が近寄って介抱してくれる。あー、秋埜の声、気持ちいいな…。
「なに呑気なこと言ってるんすか!もっちーが戻ってきたら帰りますよ!」
わかってるって。あ、でもわたしの家ってここからだと結構歩くよね…秋埜の家は近いのかな?
…やっぱりどこかで一休みしたいな…。何か、疲れた…。
「センパイ?!」
「あっきー、持ってきた…先輩?!」
頭にのぼってた血が下がったせいなのか、なんだかすっと気が遠くなって、わたしは秋埜の胸に顔を埋めてそのまま、崩れるように眠りこけたのだった。
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