34.くそじじい

 摩天楼を光線が貫く。あまりの熱量に建材が即座に融解し、やや遅れて炸裂。積み木細工を指で突いたように、空を支える柱のような高層建築が崩れる。だが、瞬時建築は即座に損壊部分を修復しようとする。結果、地上へと降り注ぐ瓦礫はごく僅か。折れたものを接着剤で継いだように、倒れかけの建物の先端が隣の建物に寄りかかるようにして静止する。

 ある建物は斜めに切断されて滑り落ちようとしたところで静止。またある建物は、腹に大穴を開けられ数階分崩落したところで静止する。

 また、光線の一条は避難していた市民を焼こうとして、立ちはだかった憲兵の超電装を、皇居防衛隊用装備である宇宙超鋼の携行防壁ごと粉砕した。憲兵隊のうち健在だった部隊は、星鋳物の戦いへの介入を諦め、先に橋を渡って市民の盾に徹していたのだ。

 さらに別の一条は、擱座した〈兼密・怪〉に迫り、二ツ森姉妹の放った豪熱と氷雪の壁に阻まれた。しかし、いかに帝都最強の誉れ高い姉妹であろうと、超電装を一撃で破壊するほどの蒸奇光線砲は手に余った。防御に全力を振り絞った姉妹は、半ば力尽きてその場に膝を屈した。

 それらすべてが、〈金色夜鷓〉による砲撃の余波だった。

 そして砲撃の直撃を受け、夥しい蒸奇の奔流を浴びた二体の星鋳物は、いずれも大破寸前の損傷を負った。

 〈斬光〉は、最後に残った一体の蒸奇亡霊をまず盾にした。だが、超々高出力の光線を前に数秒と保たず突破。続けて機動防壁で全身を覆ったが、防ぎきれない。そして最後の盾である全身の翠玉宇宙超鋼に光線を浴び、後方へと弾き飛ばされた。四〇米の巨体は隅田川を飛び越し、緑地帯をも越えて川沿いに建つ二〇〇米級の超高層建築の低層部に背中から突っ込んだ。

 その前方、隅田川の中へと〈闢光〉が仰向けに落下。過熱した外装部品が川に冷やされ、水蒸気がもうもうと立ち上る。その中に混じる虹色の光。ペンローズ・バリアの出力を上回る蒸奇光線により翠玉宇宙超鋼の蒸発が方々で起こり、一部では装甲固定用の外骨格まで露出していた。砲撃を受けて原型を留めないほど融解・変形した右肩の鎧を切り離して、立ち上がる。

 焦げ臭い煙が漂う操縦席で新九郎は言った。「光線砲全損、光波防壁は平時の一〇分の一。装甲の六割が持って行かれた。左腕は御遺体ごとやられてもう動かない。そちらはどうかな」

 ポーラ・ノースが淡々と応じた。「蒸奇亡霊はもう使えん。装甲は八割方やられた。機動防壁もただのボロ切れだ。幸い手足は動くが、似たようなものだな」

「まったく、最初にやられるのが左腕とはね。元を正せば君のせいだぞ」

「あれは貴様のミスだ!」

「北極野郎はこれだから。誰のおかげでお天道さまを拝めているのかよく考えてみたまえ」

「与太話は後にしろ。来るぞ!」

 〈斬光〉が全身の外装部品から火花を上げながら機体を起こす。蒸奇斬光、術の五の掛け声とともに両手に光の戦輪を生成。続けざまに投擲し、直後に跳躍する。

 翠緑の空飛ぶ回転鋸が向かう先は、黄金の輝きを放つ〈金色夜鷓〉。即座に反応した機動防壁の羽根が戦輪を砕き、空中の〈斬光〉を巨大な尾が薙ぎ払った。

 一方の〈闢光〉には回転式蒸奇光弾砲と機動攻刃が迫る。川面に上がる水柱。本来なら物ともしないはずの光弾に機体が揺さぶられる。そして眼前に迫る光の刃。

 南無三。新九郎は叫ぶ。〈闢光〉が後退しながら、右手で動かない左腕を引き上げた。

 機動攻刃が、弱ったペンローズ・バリアと削られた翠玉宇宙超鋼を破り、左腕を貫通する。だが、止まった。その隙を逃さず、腕ごと川沿いのビルの壁面に叩きつけた。

 金に輝く機動攻刃が推力と光刃を失う。そこへ浴びせかけられる副砲の連射。川沿いに回避しながら、新九郎は川向こうの怪物を見た。

 焼け野原になった街に、翼を広げる金色の怪鳥。夜の闇に沈み、炎に照らされるその姿は、機械というよりも絵巻物の怪物に見えた。たった今喪失したはずの羽根さえ、即座に周辺の瓦礫を材料に再構築する。一対の尾は苦しむ蛇のようにのたうち回り、土煙を上げながら瓦礫をさらに細かく砕く。

 元は超電装と同じか少し大きい程度の金の球体だった。それが今や、翼を広げると左右に三〇〇米以上に及んでいる。猛禽のような脚は川沿いの道路を砕き、辛うじて立っていた信号機を押し倒して橋の袂を踏み締める。上体を反る。人間の男から性器を取り除いたような本体が蠢き、女の乳房のような隆起が微振動する。だらりと垂れた、人間のそれのような腕には羽根が変形した蒸奇殺刀。羽根を基部に外周に刃を発生させたそれは、印度のジャマダハルに似ていた。

 鳥のような頭部、だが額に生えた一角が天を差す。中に鮫のような牙の並んだ嘴を開き、女の叫び声のような声を上げる。威嚇か、それとも勝利の雄叫びか。

 新九郎は深呼吸した。

 最善は尽くしたはずだ。敵の力を十分に見極めてから仕掛けたし、それを奪うための策も講じた。有利な戦場に引き込んだし、〈朧諸星〉も、〈闢光・鬼火〉も、使える手はすべて使った。

 奇跡の痕跡をその身に宿す、宇宙最強の力である星鋳物が、二体がかりでもこの結果。ならば、相手が強大すぎるのだ。この戦いは、地球人の反動行動の形を取った、〈奇跡の一族〉の内乱に等しい。つい先日まで超光速通信すら与えられていなかった地球人が敗北したとて、何も恥じることはない。

 何も恥じることはないはずなのだ。

 だが新九郎は、左腕で操縦席の壁面を叩き、呟く。

「ちきしょう、なんて無様だ」

 背中に多くの祈りがあった。八百八町から墨田の中州へ避難した市民たちだった。彼らは北へ逃げることも、南へ逃げることも、西へ逃げることもできたのに、墨田を渡って天樹の足下へ集まった。それは、星鋳物の勝利を疑わないからだ。街を焼き、天樹倒壊を企む不届き者を、必ずや〈闢光〉が成敗すると信じているからだ。

 彼らは様々な名を叫んでいた。星鋳物。〈闢光〉。黒鋼の悪鬼。だが一番新九郎の耳に突き刺さるのは、時折新聞を賑わし、星鋳物を操る者の異名として知られ、しかし一方では不名誉な意味合いも持つ――すなわち、愛と親しみを込めた渾名だった。

 誰かが叫んだ。

「負けんなよ、蒸奇探偵!」

 別の誰かが叫んでいた。

「頑張れ、蒸奇探偵!」

 また誰かが、涙混じりに声を張り上げた。

「やっちまえ、蒸奇探偵!」

 期待と願い。絶望の淵で踏み留まろうとする人々の意志。裏切るわけにはいかなかった。

 そして仲間たち。警邏車の上でなぜか座禅を組んでいる財前剛太郎。ボンネットに座って足を組む門倉俊也。いずれも、戦いの成り行きをじっと見守っている。生身で蒸奇光線砲を防いだ二ツ森姉妹も、今はそれぞれの得物を手に再び立つ。焔の傍らに命拾いしたフレイマーの火の玉。凍の足下には超電装を捨てた理久之進の生身である液体金属の塊。彼らもまた、次の出番に備えている。

 備えているのは早坂あかりも同じだった。右手にヘドロン飾りを握り、何かを待っている。星鋳物の敗北に怯える様子は少しもなかった。

「……空しい叫びだ」と選留主が言った。「彼らは、どんな物語にもいつか終止符が打たれることを知らない」

「そういうことは打ってから言うんだな」

「私がなぜ彼らを生かしていると? 目撃者になっていただくためです。あなたが滅び、私が生きる。主役を失う失望により、物語はその価値を失う。そして私は旅に出る」

「ひとつ予言しておいてやる。僕を殺したところで、この世界は失われはしない。お前がどんなペテンを使ってもだ」

「試してみましょう」

「やってみろ」新九郎は吐き捨てる。

 とはいえ、気力で何がどうにかなるものではない。伊瀬新九郎は、時に人を無為な死へと追いやる精神論というものを、あまり好まない男なのである。

 その時であった。

 天樹の麓にひしめく人々の頭上に、巨大な影が落ちた。

 夜空が震え、水がさざめき、大地がざわめく。超大型の蒸奇機関が発する周期音が、戦場に降り注ぐ。〈金色夜鷓〉が首を傾げ、〈斬光〉が空を見上げる。

 朧な月光を遮り現れたのは、一粁四方にも及ぶ、超巨大な空中要塞島だった。底部に回る無数の蒸奇プロペラは推進力を司り、一方では剥き出しの歯車機構が浮力を生む。探照灯が四方を照らし、内ひとつが、地上の〈闢光〉に注いだ。

 要塞といえど、非武装である。だが、星鋳物に匹敵するペンローズ・バリアと電光防衛システムにより、いかなる物の干渉もはね除ける。現に今も、領空侵犯に対し緊急発進した帝国空軍機が手出しもできず随伴機のようになっている。

 非武装にして不服従。蒸奇技術の粋を集めた超機械を多数保有し、英国を拠点に全世界の救命救難活動を行う私設の慈善団体〈GR〉の空中基地である。

 その岬のような突端部の先端に、咥え煙草に腕組みで、仁王立ちする男がいる。

 この時を待っていた。

 新九郎は口の端で笑った。

「遅ェんだよ、くそじじい!」


 遠くに戦闘の轟音が響く、千住吉原の老舗遊郭〈紅山楼〉――その奥座敷。

 外出着の女将、紅緒は蜻蛉玉のついた簪を髪に挿すと、重い腰を上げた。

「さァて、そろそろ頃合いかねえ」

 禿の沙知を脇に従え、紅緒は奥座敷に通じる急勾配の階段を下り、客を取る座敷を抜けてさらに階段を下り、中庭を横目に番台も抜けて、下駄を突っかけて表の通りへ出た。

 紅緒の前には、見世の一同が勢揃いしていた。法被姿の男衆。世間がこの有様では茶を挽く他ない女たち。出番に備える隠密衆と、それを束ねる粂八老人。

「それでどないするん、姐さん」と口を開いたのは、揚羽だった。〈紅山楼〉で女将に気安い口を聞けるのは、稼ぎ頭にして次に見世を背負って立つ人材と見込まれ、揚羽の名を継いだ彼女だけである。「伊瀬の先生、えらい旗色悪そうやけど?」

「ここからがお楽しみさ。しかし……まだ水を差そうとする連中がいるみたいだからねえ」紅緒は、外出用の紙巻き煙草に火をつけ、煙を吐いて言った。「お前たち、ちょいとひと肌脱いでくれるね」

「そりゃ女将のためなら。ね、粂さん」

 水を向けられた粂八老人は、黙って首肯する。

 無言の肯定とともに控える一同を見渡し、紅緒はぽんとひとつ手を叩いた。

「そいじゃあひとつ、あたしの男の晴れ姿を拝むとしようかね!」

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