33.消えゆく灯火

 燃える。大地が、空気が、木々が燃える。かつて太陽から堕ち、今帝都で茶を温める強大な炎が、宇宙最強の戦闘機械とひとつになる。

 装甲の隙間を燃える炎の橙色が走る。黒鋼が火焔に包まれ、悪鬼、と渾名される由縁を示す。散らばった硝子が融解し、横転していた自動車が爆発。漂う翠緑を紅蓮に変えて、建物の残骸までもが溶岩のように溶け、夜の暗闇が赤々と燃える。

 その名も〈闢光・鬼火〉。

 星鋳物第七号〈闢光〉の全身に配された蒸奇経路に、炎生命体を寄生させて合体した、〈闢光〉がかつてこの街で見せた中でも最大火力の形態である。周辺温度はみるみるうちに上昇し、足下は木の自然発火点である四五〇度へ到達。木造家屋から次々と火の手が上がる。

 伊瀬新九郎は苛立つ。この奥の手を使わざるを得なかった自分自身に。

 幼い頃、空から流星のように降り注ぐ爆弾によって、東京の街が焼け野原になる光景を、新九郎は見た。炎に追われた人々は平静を失い、焼かれた喉と肌が求めるままに、言問橋から隅田川へと身を投げ、そして死んだ。焦げ臭さと腐臭の漂う街を、母に手を引かれて歩いた。この街の繁栄は、多くの死体の上にある。

 当時の記憶が蘇り、そして突き進む意志となる。この街を再び焼く力を使うなら、一瞬で終わらせる。

 炎に揺らめく怪物が一歩前へと踏み出し、左腕を無造作に振るった。

 すると出現する、超電装ほども巨大な炎の拳。周辺の大火災を飲み込みながら、〈金色夜鷓〉へと迫った。

 怪鳥が叫ぶ。生き残っていた副砲を連射し、機動攻刃を射出。だが、光弾は炎の拳に到達することなく消滅し、機動攻刃は融解する。次いで主砲を放つも、やはり炎の拳には到達せず、出鱈目な軌跡を描いて市街に着弾する。

 不気味な腕が構えた蒸奇殺刀ごと炎は金色の怪物を飲み込み、星を震わすほどの爆音が轟いた。

 火柱が立ち上り、炎の旋風となって〈金色夜鷓〉を包む。

 対するは、炎を衣にした黒鋼の悪鬼。柄の偃月飾りだけになっていた刀を構えると、渦巻く炎が集って揺れる。

「やれるな、フレイマー」と新九郎は言った。

 すると、操縦席の壁の隙間から、人魂のような炎が這い出してきて、人の顔のような形を取った。「ええ、これでも恒星の火です。いかに〈奇跡の一族〉の力といえど、おそらくどうにかなるのではないかと……」

「鳥一羽の丸焼きだ。珈琲を絶妙に温めるのとどちらが容易い?」

「無論、丸焼き!」

 〈金色夜鷓〉が炎に包まれながらも翼を広げる。当初は一六対備わっていた羽根も数を減らした。機動攻刃も防壁もすべて破壊済み。近接砲も、蒸奇殺砲の余波で破壊した。主砲と副砲も、太陽に生きる生命体の身体である超常の火に焼かれて今や燃え落ちる寸前だった。表面の金鍍金も、剥離と再生成を繰り返していた。

 ポーラ・ノースと〈斬光〉がその身を犠牲に敵の手の内を暴き、市民は日々の暮らしを捨てて戦う場を作ってくれた。砲撃でも格闘戦でも、刀での斬り合いでも決定打は与えられなかったが、この奥の手ならば、押し切れる。

 炎の旋風が、〈闢光・鬼火〉の右手で刃を成し、一〇〇米ほども一気に伸長する。さながら鬼の咆哮のように燃え上がる。

 大上段へ振り被る。そして新九郎は叫んだ。

「蒸奇殺法! 炎、十文字斬り!」

 火の竜巻に飲まれた〈金色夜鷓〉へ、真っ向唐竹割りに叩きつけられる炎の刃。間髪入れずに〈闢光・鬼火〉がたたらを踏む。その場で回転しながら勢いのままに横一文字の斬撃を見舞う。街に刻まれる十文字の炎、その交点の〈金色夜鷓〉が悶え、火柱に飲み込まれた。

 刃が霧消し、偃月飾りが〈闢光・鬼火〉の頭頂部へと再び固定される。

 鬼火の力が発生させる炎は、炎だが生命体の身体の一部である。だからこそ、思念体だけを切断することや、攻撃した超電装の機体だけを破壊することもできる。大規模火災の被害は、その狙った先での繊細な制御の代償でもあるのだ。

 今回は、丸ごと溶かしてしまうつもりだった。

 クロックマン曰く、小野崎徳太郎に対してはラプラス・セーフティは解除されている。多くの人間を消滅させ、市民生活を危険に晒した男を、新九郎も容赦するつもりはなかった。

 炎の中で、蠢く怪鳥の影が見える。

「十分だろう」と新九郎は言った。「下がれ、フレイマー。どんな超電装でも、これなら……」

「できません」

「異なことを言う。君がそんなにやる気を出すとは……」

「違います。逃げられないのです」

 炎が、火柱の中心へ吸い込まれていた。

 炎に巻かれて暴れるばかりだった〈金色夜鷓〉が、確かに両足を踏み締める。轟々と燃えさかる炎の中から、女の悲鳴のような叫びが響く。大きく広げた翼。燃え落ちた羽根が根元から再び生えてくる。

 〈闢光・鬼火〉が一歩前へ踏み出した。新九郎は前進の操作を一切行っていなかった。

 引っ張られていた。

 〈闢光・鬼火〉の額の光球から、〈金色夜鷓〉の大きく開いた嘴の奥へ、炎の筋が一本生じていた。〈金色夜鷓〉を取り巻いていた炎は、今や消滅した。代わりに、破壊したはずの箇所が次々と再生していく。攻防を司る羽根。斬ったはずの尾。そして表面の金色。すべて、見る間に元通りになっていく。

「まさか、フレイマーを喰ってる?」

「知を持つ炎です。〈奇跡の一族〉なら食べられる。想像だにしませんでしたか、探偵さん?」選留主の声が電想通信越しに届いた。「むしろこの生物は、純粋なエネルギーに近い。食べるのにうってつけです。ご覧ください、この奇跡の昂進を!」

 〈金色夜鷓〉が右手に持った蒸奇殺刀で、あろうことか自身の左腕を切り落とした。

 すると、早回しのフィルムのように、見る間に全く同じ左腕が再構成されて生える。

 また〈闢光・鬼火〉が一歩前へ踏み出す。

「離れましょう、新九郎さま」

「駄目だ!」新九郎は声を荒げる。

 もしも今、〈闢光〉とフレイマーの接合を解いたら、フレイマーが喰われることへの抗力が消えてしまう。しかし解かなければ、機体ごと引き寄せられ、両手に蒸奇殺刀を構えて手ぐすね引いて待つ〈金色夜鷓〉に斬られる。

 決断しなければならない。ここでフレイマーを犠牲にして体勢を立て直すか、己も犠牲に破れかぶれの一撃に賭けるか。どちらにせよ、分は悪い。

「裏目に出ましたねえ」とフレイマーが呑気に言った。

「押し切るつもりだったが……これでは押し切られるのはこちらだな」

「わたくしはあなたに感謝しています。故郷に居場所のない変異種のわたくしを、匿うどころか日々の仕事と居場所をくれた。最近はいけ好かない魔水銀も増えましたが、あれはあれで中々見所のあるやつです」

「行かせないぞ」

「ここは一時撤収し、天樹の自衛戦力と合流して反撃に出るのがよろしいでしょう」

「行かせないと言った!」

 選留主の高笑いが街中に響き、〈金色夜鷓〉がすっかり再生した副砲と回転式蒸奇光弾砲を乱射する。それを防ぐはずの炎の衣はすでに風前の灯火。着弾の衝撃に〈闢光・鬼火〉がよろめき、また数歩、嘲り笑う怪鳥との距離が縮まる。

 宿る光が半ば紅蓮から翠緑に戻った黒鋼の両手が、額から延びる炎の筋を掴んだ。

「人間ならば、魂だけはあちら側に辿り着く。だが君は、痕跡すら残さずに消される。それがあの怪物だ。そういうことをやってるんだよ」

「わたくしにはわかりかねますが……共倒れは避けるべきでしょう?」

「それを君が言うのは禁止だ!」

「ご安心ください。我々は人間ほど、自己の保存に執着しません」

「僕が執着するんだよ! 僕は君にも、この街にも、この世界そのものに執着する! あんなやつに、これ以上何も奪わせはしない!」

 叫べども〈闢光・鬼火〉と〈金色夜鷓〉の距離は詰まる。新九郎の額に汗が滲む。決して暑さのせいだけではなかった。点り続ける無数の警告が全身の損傷を伝える。それ以上に、新九郎の勘が、機体の限界を告げている。蒸奇機関は失力寸前。ペンローズ・バリアの出力も低下が著しい。執拗な蒸奇光弾の射撃に翠玉宇宙超鋼が削り取られ、脇腹と左脛からは骨格たる〈奇跡の一族〉の遺体が露出していた。

 緊急回避を推奨する警告が、新九郎のかけた黒縁の眼鏡に点った。〈金色夜鷓〉の三対の主砲が照準を定めていた。

 その時、両者の頭上に碧鋼の影が差す。

「蒸奇斬光、術の七!」

 逆手に構えた処刑刀を振りながらの着地に、焼け焦げた大地が震えた。その刀身は、翠緑に輝く光の刃を纏う。蒸奇斬光術の中でも最大の威力を誇る、武器と連動した技。名を必殺・蒸奇断頭剣オルゴン・パニッシャーソードと言う。

 軌跡に存在するあらゆる生命を処刑する一閃は、怪鳥の顎に吸い込まれようとしていた炎生命体を解き放つ。

「ポーラ・ノースか!」新九郎は、傷だらけの碧鋼を目にして叫ぶ。「フレイマー、後退だ!」

「失礼、お礼はあとで!」

 解き放たれた鬼火が一塊となり、一目散に後方へ退散していく。

 安堵する間もない。〈金色夜鷓〉はすでに満腹なのだ。身命を賭して支援に駆けつけた星鋳物第A号〈斬光〉に、軽口を飛ばす暇もなかった。

「来るぞ、主砲だ!」

「持ち堪えろ! 切札が来る!」

 切札、と新九郎が応じたところに閃光が走る。

 〈金色夜鷓〉の翼の付け根から三本の羽根に備わった主砲が、二体の星鋳物へ至近距離から放たれる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る