32.最後の切り札
元より人外相手の剣だ。背丈が大きい敵を制するための技も、空を飛ぶ相手と戦うための技もある。むしろ、普通の生身の人間と立ち会うよりも、怪物相手の方が相手への気遣いを忘れられる分だけ楽だとさえ新九郎は感じていた。
にもかかわらず、押し負ける。
二刀流ですらない、剣を二本持っているだけの力任せの斬撃に〈闢光〉の豪腕が震える。乗り手である新九郎の腕まで痺れるかのようだった。
刀を折られないよう受け流しても、その勢いを利用した逆襲の斬撃に繋げられない。機体の姿勢を保ち、次の攻撃に備えることしかできない。こんなにも苦戦を強いられる相手は、師・葉隠幻之丞以外に覚えがなかった。
しかし幻之丞の脅威は、出鱈目な体力に裏打ちされた隙のない技にある。対して、〈金色夜鷓〉が用いるのは技ですらない。ただの力だ。獣ですら、生存本能という確かな論理が行動の背後に息づいているが、それすらないのだ。
後退に次ぐ後退。背負った天樹と墨田の中洲の摩天楼が、次第に大きくなる。
「不思議ですか、探偵さん」と選留主が言った。「所詮星鋳物といえど奇跡の骸。基本性能の違いですよ。ちょうどあなたが、犯罪者の操る凡百の超電装と戦うようなものです」
舐めるな、と怒鳴り返す。応えて〈闢光〉が両脚部の装甲を展開。内蔵された蒸奇光線砲を放った。
顔面へ的中。二刀の構えを崩すべく、大上段から刀を叩きつけた。
並の相手ならば武器を取り落とす。だが金色の腕は、ほんの少し揺らぐだけだった。着弾の煙が晴れ、無傷の嘴、角、そして両眼が露わになる。装甲表面に展開されたペンローズ・バリアがあまりにも強力であり、至近距離からの砲撃すら容易に打ち消すのだ。
このまま斬り結んでいては、勝てない。
戦えているということは、勝てる可能性があるということだ。ラプラス・セーフティは、戦闘による知的生命体の不要な殺傷を避けるための安全装置だが、自己の保存を妨げない範囲で、という限定がある。この裏解釈として、戦って確実に負けるなら、それは自己の保存を妨げる行為となる。原則としてありえない仮定ではあるが、もし、そのような状況が生じれば、警告の後に機能停止するはずなのだ。
だが、その存在するはずの勝利への糸口が掴めない。
「お前は何が目的なんだ」と新九郎は言った。「この世界を記述するものを暴いて、外側から俯瞰する存在になって、何をする?」
「理解して下さっているものと思っていました。どうやら私は、あなたを買い被っていたらしい」
「探究心か? 知識欲か?」
「違いますよ」〈金色夜鷓〉が、腕を大きく左右に広げた。「私は、あなたになりたいのですよ」
隙ができた。話に付き合う理由はなかった。両脛に加えて両胸の砲門を開き、光線を連射する。
着弾、着弾、着弾――〈金色夜鷓〉は僅かに身動ぎするばかり。
「この広い帝都に、自分の人生の主役が自分であると感じられる人は、どれほどいると思いますか?」選留主は構う様子もなく続ける。「皆無でしょう。子供のうちは、人生は自分のものではない。思春期で自分のものにしようと足掻き、叶わずに大人になる。働くようになれば、その実感はますます大きくなる。会社勤めなら主役である会社を盛り立てるための脇役になる。自営業でも、相手がお客様や社会になるだけで同じでしょう。子を儲ければ、人生の主役は子になります。老いては語るまでもない。そしてこの世界における唯一の例外が、あなたなのですよ。何者かに記述されたこの長い長い物語の主役。すべての風に背を押される男。晴天なき帝都に天地開闢の光をもたらす蒸奇の申し子、伊瀬新九郎」
「蒸奇殺法、十文字斬り!」
大上段から真っ向唐竹割りの一閃。間髪入れず、瓦礫を巻き上げながら〈闢光〉の巨体が軽やかに回転。横一文字の斬撃を見舞った。
剣風が蒸奇の煙を払う。そして再び姿を現す、〈金色夜鷓〉の威容。本体は全く無傷だった。ただ一カ所、透き通る翠緑の刃だけが刃毀れしていた。
怪鳥ののぎょろりとした目がその刃毀れを見て、無造作に、野球選手がバットの重さを確かめるかのように剣を振るった。
受けるが、受けきれない。
新九郎の眼鏡の上に警告が走る。蒸奇殺刀の刀身にひび割れが生じていた。そして固体の層を保てなくなった刀身が、爆散する。
〈闢光〉が宙に浮いた。
新九郎の全身が前後に激しく揺さぶられる。そして〈闢光〉は背中から大通りに落下。舗装を砕きながら路面の建物に頭から突っ込み、元より崩れかけだったものがとうとう粉々の瓦礫になって降り注いだ。
両手に剣、畳んでもなお大きすぎる翼で左右の建物をなぎ倒しながら、猛禽の足で地面を踏み締め、〈金色夜鷓〉が一歩ずつ接近してくる。
「物語を完全に終わらせる唯一の手段は、主役の死です」と選留主。「あなたの死によって、夜が明けて夢は終わる。他の世界に夢を見たこの世界の住人たちは乱数の海へと帰り、この世界に夢を見た他の世界の住人たちは、ようやく己の現実と向き合うのです。そして私は、私が主役の物語を編みましょう」
「主役になって、どうする。宮殿に住んで国中の美女を囲うか? それとも世界の平和でも守ってみるか?」
「目的は、私が歩む先に生じるのです。なぜなら私が主役だから、自分で自分を演出する必要などないのですよ」
「目的すらも他力本願。自分を王子と思い込んでいるどこかの阿呆が可愛く思えてきたよ」
「それが運命に愛されるということです、探偵さん」
「なら僕も、ちょいと他力に頼るとしよう」
瓦礫を押し退け、〈闢光〉が立ち上がって刀身を失った偃月飾りを天に掲げる。
そして新九郎は叫んだ。
「来い、フレイマー!」
墨田の中州、と巷に言われる帝都東京の東側。戦後、天樹を中心に瞬時建築された超高層建築群は、遠くから観察すると巨大な剣山のようにも見える。高さが揃うところもあれば、凸凹するところも。さながら空の道ができたかのような光景は、遠く紐育に勝るとも劣らぬ摩天楼である。
一部は天樹の官僚や技術者、その他戦後の合法的な地球移住者の住まいや働く場となっている高層建築群。当然、高すぎる建物は彼らだけで埋まるはずもなく、かつての住民が暮らす地区も存在する。また一方では、商業施設や飲食街も存在し、浅草仲見世に匹敵する帝都東京の観光名所としての顔も持つ。
東京にとって最も意義深いのは、星外技術の高等教育機関だ。今や日本はもとより世界中の大企業や研究機関がここへ人員を派遣し、人智を越えた奇跡の力を科学の産物として読み解くための学を喰らい、持ち帰ろうと日々励んでいる。北條重工などは立派な社員寮まで設けている。もっとも、海外からの留学者はむしろ八百八町の方に興味があるらしい。特にウラメヤ横町などで流通する、容易に軍事転用できる技術を盗み出すべく、学者や学生を騙って送り込まれた諜報員が後を絶たないのだ。
今、その研磨された金属や硝子が多用された街路や、とても地球のものとは思えない街路樹が植えられ重力を無視する噴水が設置された広場は、上野・浅草界隈から避難した市民らに埋め尽くされている。
西の境界線を守るのは、傷だらけの星鋳物第A号〈斬光〉。そしてその傍らで中破し、それでも防塁代わりにはなるだろうと倒れて橋の袂を動かない〈兼密・怪〉の頭部から、ひと塊の炎が飛び出した。
「やべえな」と〈兼密・怪〉の膝の上に座った二ツ森焔が言った。「伊瀬の旦那の奥の手だ。おいロバちゃん、しんどいだろうが踏ん張れよ」
右腕の理久之進が応じた。「合点承知。死んでもここは通さんでござる」
「まずいですわね」と〈兼密・怪〉の肩の上に立った二ツ森凍が言った。「そこのチンピラさん、操縦席からお出でにならないことをお勧めしますわ。わたくしもお姉さまも、あなたを守るつもりはさらさらございませんので」
拡声器から榊が応じた。「出ねえよ! 出たら捕まんだろうが!」
さらにポーラ・ノースも言った。「いくら君らが超人でも、生身で巻き込まれて無事とは限らん。早坂を連れて下がるべきだ」
「すみません! それは無理です!」とあかりは叫んだ。
「アルファの声か?」
「それもなんですけど、誰かがわたしに言ってるんです。ここにいろって」
「誰か? アルファ以外の、なんらかの意識体が?」
それは、と言い淀むあかり。
かたや焔が、橋の下の川へと目を向けた。
「なあ、凍。気のせいじゃねえよな」
「ええ、お姉さま」同じく川面を睨む凍。「敵意は感じませんわ。全電甲の連中ではありませんわね」
その会話を聞いたのか、或いは別の理由があるのか。川底から気泡が昇り、そしてばねに弾かれたように何者かが飛び出した。
姉妹が得物に手をかける。その何者かは、空中で前転しつつ橋の上に着地。背負っていた呼吸器を外し、足ひれを脱ぎ捨て、黒い潜水服をいそいそと脱ぐ。
中から現れたのは、堂々たる白い夜会服の白人男だった。まるでそのまま美女と腕を組んで紳士の社交場に足を踏み入れるかのような姿。だが、七部に分けた褐色の髪が、頭からずれていた。
「……ヅラだ」と焔。
「……ヅラですわね」と凍。
「……ヅラですね」とあかり。
「何者だ」とポーラがようやく言った。
男は、ボウタイに仕込んだ装置に触れ、英語で言った。ほぼ同時に、翻訳された日本語がボウタイから発せられた。
「私は不死身の英国忍者だ。シャーロックの伝言を伝えに来た」
「ヅラだよなあ……」と焔。
「ヅラですわ……」と凍。
「ヅラですよ……」とあかり。
「魔都
自称、英国忍者は、ずれたかつらを直して言った。
「最後の切札を送る。君たちの勝利を祈る。ついでに色情狂の酔っ払いを返すから、煮るなり焼くなり好きにしろ」
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