18.切札の一枚手前

「じゃあ俺はここで。無茶すんじゃねーぞ、伊達娘」

「そっちこそ!」

 天樹が手配した浮遊車から、小林剣一がひらりと飛び降りる。眼下は陸軍憲兵隊の小石川駐屯地だ。超電装が乗っ取られる、という伊瀬新九郎の警告に応じ、小林を戻すことにしたのである。

 手を振り、車体の外形をなぞるような円形をしたひと繋がりの座席に腰を下ろす。機種側に独立した運転席に座るのは、クロックマンである。

 ドーム型の窓が閉じ、機体が高度を上げる。本来、浮遊車といえども交通安全のため高空の飛行は許可されず、地表から高くとも数米を走行する必要があるが、天樹の車は例外だった。

「それで、早坂とやら」ポーラ・ノースは、向かい合う人間と天樹の遣いの割合が人間優勢から一対一になったためか、やや形が崩れていた。「アルファに封じられた〈奇跡の一族〉と話したというのは、事実か」

「事実です。なぜ罪を重ねるのかとわたしが訊くと、復讐だと彼は答えました」あかりは指先で正八面体に戻ったヘドロン飾りを撫で、続ける。「古来、彼は生贄を求める神でした。未踏文明調査のため地球を訪れていた彼は、その優しさゆえに、同じ直立二足歩行ですが発展途上の人類に肩入れし、災害や疫病から彼らを守った。人はその御業を奇跡と崇めました。そして彼は本来の調査期間が終わっても母星へ帰ろうとせず、地球へ留まり続けました。知的生命体である人を喰らって、生き延びたのです」

 〈奇跡の一族〉が?」

「本来、知性が創造したもの、即ち奇跡を摂取することで、〈奇跡の一族〉はその命を永らえます」とクロックマンが補足する。「たとえば会話。たとえば絵画。たとえば書物。しかし知性の発達が半端な生物しかいない場所に長く留まるなら、その生物自体を食べるしかない」

「ええ。そして今からおよそ二〇〇〇年前、他の〈奇跡の一族〉が同じく地球を発見し、神のように振る舞っていた彼、アルファ、と呼びましょうか。その彼を見つけたのです。アルファの行いは、奇跡を起こしたことも知的生命体を喰らったことも、何もかもが大罪。ですがその動機が、純粋な愛だったことから、新たに地球を見つけた〈奇跡の一族〉は、アルファを裁かず、星団評議会に対し地球の存在を隠蔽しました。そしてアルファを封印した。これが〈アルファ・カプセル〉です」

「アルファを封印した〈奇跡の一族〉は、今どこに?」

「魂は、既にこの世のものではありません」とまたクロックマン。「骸は今、星鋳物第七号〈闢光〉と呼ばれています」

「封じられても、〈アルファ・カプセル〉が奇跡を招く物であったことに変わりはありません。人の願いを叶える器、魔法の道具として、各地に伝承を残しました。如意宝珠、アダーストーン、黒石、リア・ファル、賢者の石、シャルルマーニュの護符……最終的には、何かの箱や結晶のように見える宝物として、大英博物館に収蔵されました」

 ポーラの姿がまた青い肌に禿頭の男に戻った。「そして星団評議会の目からこの星が隠蔽されている間に、多種多様な異星人勢力が潜り込み、人類の営みに介入した。その極地が……」

「第二次世界大戦。異星人同士の代理戦争と言われているものですね。ですが異星から供与された科学技術を、人類は我が物としてしまい、もはや地球独自の文明の産物と区別がつかなくなり、そして戦後、この街に天樹が降りました」

「復讐心の矛先は?」

「天樹ですよ。降臨以来二五年、〈奇跡の一族〉は〈アルファ・カプセル〉の存在に気づいていながら、その存在自体が彼ら自身の醜聞であるため、放置していました。封じられた二〇〇〇年、そして二五年の恨みを、彼は天樹へぶつけようとしています。そのための器が……」

「偽星物〈金色夜鷓〉、か」

「ここからは、彼も黙っているのでわたしの推測も含みますが」と中置きし、あかりは言った。「岩城が行っていた最終調整とは、万能の増幅器たる〈アルファ・カプセル〉の力を借りて岩城の研究を完全にすること、だけではないと思います。たぶん、封じられる前と同じように人を喰えるようにすること。先生曰く、〈金色夜鷓〉は羽を閉じたままだったんですよね」

「なるほど。全電甲にするには多すぎる数の人間を拉致したのは、派手な動きで阿呆の伊瀬新九郎を釣るためのみでなく、〈金色夜鷓〉の餌にするためでもある、と。そして満腹になれば、いよいよ天樹へと飛び立つのだな」ポーラは、人はその動作をするのだと今更思い出したように瞬きをする。「天樹で済むか?」

「もちろんその次は光明星でしょう。今頃あの円盤も、岩城を含む乗組員全員アルファに喰われてもぬけの殻かもしれません」

「事態は思ったより深刻のようだ。……しかし、特級というのは凄まじいな。アルファとは、数秒も話していまい」

「言語とは、非言語であるほど単位時間あたりの情報量が多いんです。〈奇跡の一族〉の言葉はその一番凄いやつですから。それに、彼とは今も繋がっていますし」

「今も?」ポーラの肉体の輪郭が少し曖昧になる。

 運転席のクロックマンが、文字盤を半ばあかりへ向けた。

「繋がっているというか、離れないというか……」あかりは淡く発光するヘドロン飾りを掌の上に載せた。「直通回線ができちゃったみたいな感じです。どちらかが拒絶すれば簡単に切れると思うんですけど。受話器を置くみたいに」

「特級の能力ということか」

「いや、でも前に天樹で六号の人と話した時にはこんなふうにはならなかったですよ」

「君の能力の成長の証だ」とクロックマンが口を挟む。

「そうなんでしょうか。むしろ、向こうのせいな気がします。話したくて仕方ないから、わたしを繋ぎ止めようとしている。二〇二五年分の、話をしたい欲求ですよ。……ところで」あかりは車両最後方へ目を向けた。「……人喰いの話、何か聞いていますか、榊さん」

 天樹の手錠で後ろ手に拘束され、さらにこれでもかとばかりに縄を巻かれてほとんど蓑虫のようになった榊貴利が床に転がされていた。岩城邸からの撤退時に置き去りにされた彼を放っておくわけにもいかず、しかし天樹の者であるクロックマンは手出しできないので、致し方なくポーラとあかりが拘束したのである。

 ポーラが立ち上がり、榊に噛ませた猿轡を解いた。

「榊さん、いかがですか」とあかり。ポーラが席に戻り腕を組み、目を閉じる。

「聞いてねえよ」と榊は息も絶え絶えに応じた。「俺はただの雇われだ。餌になるつもりで協力なんざするもんか」

「あなたは〈下天会〉の信徒ではないのですか?」

「誰があんなカルトなんざ信じるかよ。俺が信じるのは俺の腕と、金だけだ」

「でしょうね」あかりは腰を落として榊と目線を合わせた。「選留主……小野崎徳太郎の目的については何か?」

「あの男は夢、夢、世界の嘘云々と意味不明なことしか言わねえ。すべての人に都合のいい世界を与えるとかなんとか。俺自身はやつの研究の過程も、仰山の信者をこさえるまでも知らねえんだよ」

「いつ知り合われたんですか?」

「英国行きの前に、超電装を使える護衛としてな」

「〈金色夜鷓〉が大量虐殺を行うとして、それでもあなたは彼の護衛を続けますか?」

「ちょっと待て」ポーラが目を開いた。「早坂、君はその男を味方に引き入れるつもりか?」

「ええ。非常時ですし。もちろん後で裁きは受けてもらいますし……あの人から逃げられるとは思いませんよね?」あかりはポーラの方へ目線を送る。「うちの先生に一方的で屈折した恨みがあるのはお察ししますか……」

「馬鹿にすんじゃねえ! 誰が伊瀬新九郎の手助けなどするものか!」

「そうですか。じゃあ、いいです」あかりは腰を上げる。「でも、多くの犠牲が出るかもしれないこと、そのうちひとりやふたりでも、あなたが立てば救えるかもしれないことは、覚えておいてください」

 榊は鼻を鳴らす。「小娘が。何を偉そうに……」

 そしてあかりが、小娘呼ばわりに抗弁しようとした時だった。

「……これはいけない」とクロックマンが言った。

 機は既に渋谷上空。東急文化会館の天文館と百貨店に面したロータリーに人々とバスが行き交い、駅から西へ広がる上り坂に貼りつくように近代的な建物が並ぶ。書店。映画館。百貨店。レコード店。時代が進むにつれ西へ西へと市街を広げ、山手線の東側とは異なる文化の発信地としての性格を強めている街だ。

 その外れに広がる高級住宅地、松濤の上空を、金色の光が満たしていた。

 羽を畳んで首をその中に潜り込ませ、縮こまったような姿は遠目に見ると装飾過多な球体のようにも見える。だが、その直径は超電装の倍ほどもある。

 直下には〈松濤トゥルーアース会館〉とそれを包囲する警官隊、そして憲兵の超電装、五〇式〈震改〉の姿がある。そして彼らの中心に、レッドスターの飛行円盤が墜落していた。

 操縦者を失った、つまり、〈アルファ・カプセル〉に封じられた存在に喰われたということ。推測が的中してしまったのだ。

 そして〈金色夜鷓〉は、機体の各部から断続的に眩い怪光を放っている。

 ポーラが立ち上がり、流星徽章を両手中指の指輪に変形させた。

「俺を落として来た道を戻れ、クロックマン」

「ですが、あなたの使命は別にある」とクロックマンが応じる。

「そうですよ。先生もすぐに合流するって言ってましたし」あかりも言った。

「それでは駄目だ。命が消える」

「でもあれにはたぶん、〈奇跡の一族〉が入っているんですよ!?」

「相手に取って不足はないな」

「言って止まるなら、星鋳物があなたを信任することはない」ドーム型の窓が開き、車内に強風が吹き込む。クロックマンは肩越しにポーラを見た。「頼みます、スターダスター」

「でも!」

「そんな顔をするな、早坂とやら」既に縁に片足をかけたポーラが言った。「これは蛮勇ではない。俺が倒れても、この街にはまだ最後の切札が残されているのだから」

 風に吹き乱される髪を抑えてあかりは応じた。「表情を翻訳する翻訳機などないはずですが」

「人間は感情を顔に表すと俺は知っている。次は笑顔というものを、俺に教えてくれ」

 あかりが応じる間もなく、ポーラは空中へ身を躍らせる。

 そして金の閃光が散る中に、星虹の影が開いた。

「星鋳物第A号、〈斬光〉……刃よ来たれ!」



「よござんすか。原則として、カッショーの生体改造は各々の我流です。しかしながら、同じ生物が対象であれば、方法論は必然的に似通う。技術の収斂進化ですよ。異なる生物種が同じ目的のために似た形質を獲得するような。カッショーの目は、地球のカマキリによく似ているでしょう」

「ニュートンとライプニッツが同時に微積を発明するような?」

「ええ。ご理解いただけなければその喩えを出すつもりでした。さすが新さん。話が早くて助かります」

「つまり、僕の依頼は可能だが、容易でも快適でもない」

「その通り」ショグは満足気に牙を鳴らす。おそらく満足を意味する仕草なのだ。

 帝大病院の廊下だった。そして、ばかに長身の立襟シャツに和服の男である伊瀬新九郎はともかく、その隣には全身に機械化した腕を持つ、巨大な昆虫を彷彿とさせる不気味な異星人がいる。医師も看護婦たちも、ショグの姿を認めると立ち止まって呆然と目で追っていた。患者やその家族の中には悲鳴を上げる者もあった。だが、あまりにも堂々と、当然のように歩いているためか、誰も静止する者はなかった。

 ショグをもってしても、二ッ森姉妹を改造前に戻すことはできない。彼女たちは、帝都への帰還を果たした直後、その技術を持つ者を探して帝都中を駆けずり回った。そしてどうしても見つからず、鬼灯探偵事務所の扉を叩いた。まだ、依子が存命の頃だった。そして帝都の表裏を探し回った新九郎と依子は、ウラメヤの出現直後から店を構えていた義肢装具士のショグに辿り着いた。彼と新九郎との付き合いはその時以来である。

「当時彼女たちを検査したときの記録が残っていますから、肉体への物理的な変更が加えられていなければ、再書き込みまでさほど時間はかかりません」ショグは翻訳機越しの声で言った。歯車を回すような小刻みで鋭い足音が重なった。

「記録というのは、彼女たちの脳の、変更部分を抽出、複製したもの、ということですか」

「ええ。微小機械を分散させた疑似髄液をブスリ、で済みます」

「投与後、動けるようになるまでは」

「本人たち次第ですね」

「痛みの程度は」

「それも本人たち次第、と言いたいところですが、流し込むものを肉体に最適化していませんし、あたしは身体の方に手を入れちゃいませんから。すると、その齟齬を合わせるのに、肉体が分裂するような痛みが生じます。まあ、一〇分ほどの地獄の苦しみで収まるでしょうて」

「人間の脳をいじるものはちゃんと仕入れているんですね」

「物騒な人間の方から、無茶な筋電甲のご依頼も多いもんで」

 なるほどねえ、と新九郎が応じる。特別病棟のある廊下に差し掛かっていた。

 番をしていた、財前の部下の若者が、行く手に立ち塞がって言った。

「困りますよ、伊瀬さん。そちらの方は一体……」

「医師だ」

「医師、ですか。この方が」若い刑事はショグに怪訝な目を向けた。さすがに怯えた様子はなかった。「妙なやつは入れるな、と財前さんに厳命されているのですが」

「その財前さんが今、窮地に立たされているかもしれない。彼ならあの娘たちを治療できる」

 すると、たった今までの頑なさが嘘のように、その若者は道を開けた。「なら、頼みます」

「君の立場が悪くなるかもしれないが、僕は同情するだけだ。すまない」

「構いません。俺も、ご老人を抱えて跳んだり、子供を引っ掴んで走る彼女たちをこの目で見ています。俺の経歴で彼女たちの傷が癒えるなら、安いものですよ」

「感謝する」と新九郎は言い、焔の病室の扉を開けた。

「来やがったな」焔は、新九郎と、その後ろのショグを認めると、急ぎ寝台を降りて、裸足のまま扉の方へ来た。「話は凍の方でやろう」

 全員でノックもなく凍の病室へ入る。凍も、ショグの姿を認めて、状況を察したようだった。

 姉妹を寝台に腰掛けさせ、新九郎は正面に立つ。ショグは扉の脇に控えている。

「前にも話した通り、僕は君たちに強制も依頼もしない。長いことかけて療養するのもいい。特に凍、君の方は。君の能力が消えて、普通の人間として生きる未来を選ぶのも、僕にとっては喜びだ」

「俺の答えは決まってる」と焔が言った。「どうせ厄介なことになってんだろ。のんびり養生なんて性に合わねえ。それに、〈下天会〉に一発かましてやりたくて、うずうずしてんだよ」

「参考に伝えておくと、今にも、帝都の各地に例の全電甲が出現しているかもしれない。五色のやつらだけじゃない。あれの廉価版のようなやつらが少なくとも五〇体いて、帝都市民の生命と財産を脅かそうとしている」

「憂さ晴らしにはうってつけの数だな」焔が指を鳴らし、それからショグを見る。「あんたはいいのか? 足を洗ったから、ウラメヤに引っ込んだんだろ。ナヤゴのしたことだ。あんたが責任を感じることじゃねえ」

 ショグはすべての腕を畳んだ。「ナヤゴもあたしも同じカッショー。禍学の災いに落とし前をつけるのが、あたしがこの命を永らえている理由のひとつでさあね」

「カッショーにもいいやつはいるんだな」

「天樹にとってはあたしも立派な星間犯罪者ですがね」

「凍、君はどうだ」新九郎は腰を落とし、俯く凍と目線を合わせて言った。「姉と一緒である必要はない。君を追い立て続ける宿命に終止符を打つ、たぶん最後の機会でもある。どうする?」

 銀髪が流れて、目を瞠るほど美しく整った横顔を隠した。楚々と揃えた膝の上で、両手の十指が固く組まれていた。

 夜明けの氷柱から落ちる雫か、それとも真夜中に舞い落ちる牡丹雪か。ぽつり、と凍が声を漏らした。

「わたくしは……」

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