第6話 下天の内をくらぶれば

暗黒禍学者 カッショー星人 偽星物・金色夜鷓 登場

0.幻之丞・魔都倫敦血風録(前編)

 魔都倫敦ロンドンは帝都東京に次ぐ世界第二の蒸奇都市スチーム・シティだ。世界大戦があり、天樹が降りるまでは、世界一だった。内部に仕込んだオルゴン結晶に空気を循環させて大気中の電子を捕集して発電する蒸奇発電機が、ここでは歯車の形を取り、街の辻々に配され翠緑の光を放っている。その様はまるで都市自体が巨大な一個の機械になったかのようだった。自在に変動する微小機械が寄せ集まって瞬時に一個の都市を再建した帝都東京が生物に喩えられるのとは対象的だった。

 もちろん、変わらないものもある。都市が呼吸するような蒸奇の蠢き。浮遊する車。暮らし続ける人々。

 煉瓦色が茜に染まり、観光客が今夜の宿へと急ぐ夕暮れ時。そんな街の一角に、細やかな彫刻が施された白い石造りの、三階建ての建物がある。一階は店舗。二階より上は住居。屋上の柵と手すりも石造りであり、さながら小さな神殿のよう。

 その小さな神殿に不遜にも腰掛ける、髭面の日本人がいた。白髪交じりの髪を後ろに撫でつけ、胸元を大きく開けた司祭服に、足元は高下駄。だが、男の出で立ちを何より異様にしているのは、十字に背負った二振りの刀だった。

 男、葉隠幻之丞は、丸まったカワウソの描かれた瓶から琥珀色の液体を、瀬戸物のお猪口に注いでぐいと飲む。

「意外とぴりりとしてるな」

「複雑怪奇な多数の有機化合物を感じる。記憶しても再現に難儀するな、これは」

「お前はそればっかだな、五号」応じつつ、買っておいた白身魚を揚げたものを齧る。

「構成成分が多く、かつ複雑な分子であればあるほどいい。環境に独自のものとなり、閲覧の喜びが増す。価値に高低はないが、私という個体が感じる喜びは異なる。わかるか、幻之丞」

「俺も倫敦に来る度に違うのを頂いてんだよ。まあー、同じスコッチ・ウイスキー、何がいいとか悪いとかはよくわかんねえけどよ。全部美味いし。でも、違うってことはわかる。そういうことだろ」

「いかにも」幻之丞が首から提げたロザリオの下で、鳩尾の辺りに埋め込まれた、赤く発光する球体から日本語の声が応じた。「私が、兄弟たちからはぐれ、進むべき場所から目を背け、ここに留まるに足る、大きな理由だ」

「はぐれ者なんだろ。〈アルファ・カプセル〉に封じられてるやつも」

「私は、君の身体を借りて観察しているにすぎない。だがやつは、二〇〇〇年以上前からこの星の歴史に干渉してしまった。愛ゆえに。理解し、共感し、同情し、己が分身の如く感じたがゆえに、彼は人類を時に導き、時に裁く、超越的な存在として認知されるようになった」

「そして星団憲章への重大な違反ってことで封印されたが、腐っても〈奇跡の一族〉ってわけだ。お前と同じ」

「我々にとっては、この国の言葉でいう、スキャンダルだよ。ゆえに、美術品になってしまったカプセルを我々は回収できない」

「本当なのかねえ」幻之丞は足元に瓶を置いて眼下を見渡した。「魔都倫敦が誇る世界の宝物庫、大英博物館に収蔵されている〈アルファ・カプセル〉を、今夜賊が狙う」

 権威主義の模範である。

 古代ギリシアの神殿を模したような建物のそこかしこに警備兵。柱の根元は山羊の角のような文様を描き、灯された照明が複雑な陰影を形創る。その威容は、世界各地からの美術品・文化財の略奪さえも正当化するかのようだ。

 幻之丞が酒瓶片手に陣を構えるのは、その大英博物館の正門を望む、土産物店の屋上だった。店舗内にはロゼッタ・ストーンやミイラを象った置物。葛飾北斎の浮世絵を印刷した茶碗の類もある。そしてもちろん、英国名物・熊のぬいぐるみ。赤い帽子に青いコートを着た熊こそが、ともすればこの街の主役なのかもしれない。

 芝生には超電装スーパーロボットが一機。大日本帝国の陸軍憲兵隊に配備されている四八式〈兼密かねみつ〉と同じく、仏蘭西フランス製の〈パスティーシュ〉の改造量産機である〈グレナディア〉である。

 日本のそれが背を丸めて同心に付き従う岡っ引きを模しているように、〈グレナディア〉は赤い上着に熊の毛皮の帽子を被った近衛兵の姿を模している。とはいえ、印象を決定づけているのは、塗装と装飾だ。猛牛が後ろ足で立ち上がったような重心の低い姿は変わらない。装甲板のうち上半身を赤、下半身を黒に塗り分けているのだ。元は騎士の鎧のような形状の装甲を機体正面から取りつけていたものを、内製化するにあたって左右分割して逆三角形を四角にし、喉元から臍にかけて金色の丸い飾り部品まで追加されている。その無用の改造のために正面からの打撃に弱くなっているのだから始末に負えない。その上、毛皮の帽子を模した頭部は余剰蒸奇を排出する五〇式〈震改しんかい〉の襟巻のような役割を担っているが、経路設計が甘く全開にすると三〇秒ほどで受像機が壊れて戦闘不能に陥る。英国陸軍は決して認めないが、欠陥機なのだ。

 次世代機として、都市内の制圧近接戦に特化し、剣を主武装とする新型〈ガラハッド〉の試作機が半年ほど前にお披露目されたが、名を借りた穢れなき騎士とは程遠い製造元の国費横領などの醜聞により、未だにただの一機も配備されていない。

「軍も見ての通りの厳戒体制だ。でまかせを掴まされたわけではないのだろう」

「でまかせねえ。〈奇跡の一族〉のお使いになる言葉かね」幻之丞は自分の胸元を見下ろす。

「君の旧友を讃えたのだよ。君と彼らの共通の情報源。そして、君をこの国へ呼び寄せた者でもある」

「旧友? 馬鹿言え。大先輩だ」

「人生の?」

「探偵業のだよ」

 幻之丞はふうと息を吐き、日中に訪問したある怪物的友人のことを思い出した。


 その男は今や倫敦の面積の一割を占めるほどに肥大化した。名を、シャーロック・ホームズという。かつては顧問探偵として、英国政府の依頼を請けて警察機構も手間取る難事件を解決する、王国最高の知性だった。現在は肉体を廃棄し、意識を巨大な蒸奇計算機ヴィルヘルム・エンジンへ移し、己の知性が人間のちっぽけな脳に収まらないことを証明するかのように、己の頭脳であり肉体である銅色の歯車と配管を次々と増設し続けている。

 その役割は今や政府そのものだ。株価を予測し、新たな技術を生み出し、税制を設計し、必要十分な兵器と兵士の規模を弾き出す。政治、経済、安全保障、社会保障、治安維持、その全てが今やシャーロック・ホームズに依存している。凡才が集まって議論を重ねてもシャーロック・ホームズほど優れた策を講じられないし、シャーロック・ホームズは決して女王を裏切らない。そしてシャーロック・ホームズは一切の私利私欲を持たず、ただ英国と世界の安寧と反映だけを望む。

 彼の住まいがベイカー街221Bであったことから、今や倫敦の一割がベイカー街221Bになっている。リージェンツ・パークの一部を飲み込んだ中核区から高速道路に沿って電信経路が三方へ伸び、西はイーリングやアクトン周辺、東はフィッシュアイランド、北はハムステッド周辺――大ロンドン計画で策定されたグリーンベルトより更に内側にもう一周の輪を作るかのように自身の身体を配置している。シャーロックはこれをオルゴンベルトと呼んでいる。社会が成熟すれば都市の無秩序な拡大よりも人口減少が課題になり、巨大な大ロンドンの小さい相似形を用意しておくことが必ずや後の世に利するのだという。

 四方から銅色の機械が迫り、すれ違うのも難しいほどの隘路を抜けると、天井が見えないほどの空洞が広がる。壁面からは家屋や列車が機械に飲まれて生えている。畝る配管に包まれた空洞は、まるで人の脳を内側から眺めているかのようだ。しかし中央には、ぽつんと残る白壁に黒い屋根の小さなアパート群。かつてのベイカー街の遺構である。

 歩み寄り、扉を開けると、淡い翠緑の光が幻之丞を出迎えた。

「久しいな、幻之丞」

 ひと言ごとに、背後の巨大な機械群が生体のように蠕動し、意味不明な無数の計器が針を揺らし、銅色の表面に翠緑の光が走る。この光こそがシャーロック・ホームズである。天樹の内部にある〈奇跡の一族〉の居室に似ている、と思い出せるのは、仮にも特定侵略行為等監視取締官だった幻之丞ならではである。

「俺を紙切れで呼び出せる男は、この世広しといえどあんただけだぜ」

「呼び出さねば、無駄話の相手にも欠く身だ」

「ワトソン計画は? イマイチか」

「ああ。生まれるのは半端者ばかり。私という生者に死を超越させることはできても、死者を呼び戻すことはできない。少なくとも、今の私には」

 本来ならば一二〇歳近い老人である。かつていがみ合った兄弟も、警官も、恋人も家主も、仇敵もとぼけた助手も、彼は皆失った。ワトソン計画とは、死者の人格を有した人造人間の製造を目指すものであり、早い話が死者の復活。今の彼が取り組む最大の課題であり、身体を巨大化させ続けるのも計画の成功へ近づくためなのだ。

「でも、副産物で不死身の忍者軍団ができたんだろ。聞いてるぜ。Oナンバーズとか言ったか」

諜報員エージェントだ。政府の情報機関で試験運用させている。記憶と経験を引き継ぎ、教育不要で絶対に裏切らない諜報員は、この上なく便利だと聞いている」

「あんたのために阿片を買い漁るお偉方も泣いて喜ぶだろうさ」

「私は阿片と女王陛下の命で動く」

 今現在、世界最大の阿片の消費国はここ、英国である。偏に、シャーロック・ホームズという巨大機械が阿片を燃料とするからである。化学合成されたモルヒネ等ではなく天然由来の夾雑物を多く含む生阿片を投入した方が高効率で駆動するため、英国は国内での芥子の栽培を合法化し、中東や東南亜細亜から大量の阿片を買いつけている。かくして生産国の国内総生産は年々上昇し、買い手である英国はシャーロックが次々と生み出す技術革新と相場予測により阿片を買うカネを生み出し続ける。

「世間話のために呼んだんじゃねえだろう」

「ああ。銀河の危機が迫っている」

「大きく出たな。デカいのは身体だけにしろよ」

「〈下天会〉とカッショー星人の残党が手を組んだ」

「ペテン?」

「君の国に蔓延るカルトだ。彼らは、信じる者を望むものすべてが手に入る別天地へと誘うのだそうだ。その実態は、私にも見通せない」

「そのカルト集団が、銀河の危機とやらになんの関係がある」

「彼らは大英博物館の〈アルファ・カプセル〉を奪う」

「〈奇跡の一族〉の鳥籠か」幻之丞は、さすがに笑うのをやめて眉を寄せた。「俺に、守れと」

「そうだ」

「『奪おうとしている』ではなく、『奪う』と。あんたにはもう未来が見えているのか?」

「見通せない」部屋を淡く満たす光が揺らいだ。「過去のすべてを集めれば必ず未来は見える。仮説から不可能を削り取って残ったものならば、それがいかに奇妙奇天烈であろうと、真実である。推理できるうち最も適切な未来が現実となる。だが今度は見通せない。最も確からしい仮説はひとつ。私を上回る複数の存在が、その恐るべき乱雑さで私の推理を阻んでいる」

「なぜ俺を呼んだ」

「この星で二番目の武力を有する人間であり、自由に動くことのできるものの中では、一番だからだ」

「あの馬鹿が、地上最強か」幻之丞の口元が思わず緩んだ。「おめでてえ世の中になったもんだぜ」

「君だけだ。この敵は、私の手駒には余る」

「だが、俺でも阻めない」

「私の推理が届く限りは」

「あーあー、どう思うよ五号」幻之丞は肩を竦める。「この名探偵さまは、この俺にをしろと仰る」

「手抜きはならんぞ、幻之丞。君は技も一流だが、手抜きも一流だ」と胸元の赤い光球が応じる。

「わかってるよ。俺が力を尽くさなけりゃ、このヤマはもっととんでもねえことになる。だろ?」

「その通りだ」部屋中に老いた探偵の嗄れ声が反響する。「私が未来を語るのは、君が特別な存在だからだということを、忘れるな」


「……買い被りだってんだよ」煙草を吹かし幻之丞は呟く。「大体、てめーだって使える手駒はいくらでもあるだろうによ。おかしいだろ。わざわざ海の向こうからこの俺を呼び出すんだぜ」

 日はとうに暮れ、白亜の博物館をいくつもの照明が照らし出す。観光客の姿が次第に消えるも、兵士の数が減ることはない。そして葉隠幻之丞は、博物館に並々ならぬ関心を寄せる、自分以外の存在を直感する。何気ない通行人。酒瓶を片手に酔歩する男。街灯の足元で新聞を広げ、警官に声をかけられている男。スカーフで髪を隠して足早に歩き去る女。何台もの車が通り過ぎる。

「今のDB5、四回目だ」

「よくある形状の移動機だろう」

「番号も同じだぜ」幻之丞は鼻を鳴らす。「大方、噂の不死身の英国忍者……」

 その時だった。

 幻之丞の背に悪寒が走った。たおやかな女の指に背を撫でられたかのよう。続けて、心臓が大きく高鳴る。百戦錬磨の猛者であり、百万の軍勢を向こうに回しても決して怯まない男が、呼吸を忘れた。

 姿も見えないのに刃を眼前に突きつけられているかのようだった。我知らず、幻之丞は背負った刀の柄に手をかけた。胃の奥がきりきりと痛み、額を脂汗が伝う。通行人の様子に変化はない。博物館の前庭に詰めかける兵士も、先程までと変わらずに雑談を交わしている。この場で、この存在を感じられるのは葉隠幻之丞だけ。即ち、常人には認知することも叶わぬ圧倒的な何者かが、悪意の顎を開いていた。

「五号! こいつか?」

「愛と理を喰らう下天の者が来る」胸元の光球も、心做しか光を失っていた。「喰われるなよ、幻之丞。君にはまだ、私専属の地球案内人を務めてもらわねばならん」

「お気楽だな、この野郎」

「いざという時は私の全力を貸す。最長で三分。あれを止めろ」

 応じた口笛を、目も眩むような閃光と夜空を貫く爆音が遮った。

 大英博物館の正面入口が吹き飛び、砕け散った瓦礫が四方八方へ飛散する。もうもうと渦を巻く黒煙と炎。外部からの侵入者を警戒していた衛兵たちと超電装〈グレナディア〉が一斉に振り返る。

 炎の中から現れる人影は、僅かに四。

 幻之丞は十字を切った。すると、履いていた下駄が崩れ、紐で編み上げた洋靴へと変形した。

「父と子と聖霊の御名によって……御用だ、曲者!」

 屋上から身を躍らせる幻之丞。霧烟る魔都に降りる紫紺の帳を、二刀の閃きが裂く。

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